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Chapter-07
Log-143【神に最も近づいた愛-弐】
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――強烈な力で襟首を引っ張られた。身体が宙に浮く。著しい速さで後方に吹き飛ぶ。アクセルの視線を横切ったのは、ルイーサだった。
「ウルリカ様を――頼む」
たった一言、ルイーサは言い残す。直後、アクセルの目の前で幾重もの爆発が起きた。榴弾による爆風を利用した推進力で後退は加速する。みるみるうちに彼女の姿は小さくなっていき、巨神の蹂躙範囲から遠ざかっていくのを認める。
「ルイーサ――様――――」
アクセルの言葉が聞こえたのだろうか。ルイーサは最期に、こちらを一瞥する。その表情は、想いを託すものだった。一寸先の闇に臨む者が、後進に道を示す者の顔だった。
己の使命、矜持、祈願、仁義、奉仕。その全ては、我が主のために。それを引き継ぐは、主の傍らに並び立つ者。
それでいい、それでいいんだ。切り開かれし道とは、誰かの屍の上に敷かれてきたもの。誰かの犠牲なくして、豊かな実りは手に入らない。私が残す微かな轍が、あの方を救う道となれば。願わくは、災厄に苛まれる世界中の誰かを――たとえば、私と同じ境遇にある子供を――救う道となれば。それは確かに、誰かの心の中に、爪痕を残せ――
「ルイーサ様ァァァァァッッッ!!!」
アクセルの喚呼、それが全く掻き消されるほどの激震が、大地に響き渡る。跡形もなく、完膚なきまでに、一つの命が消し飛んだ。人が蟻を踏み潰すように、人は神によって造作もなく踏み潰された。人とは、それだけ小さな存在。それだけ、儚い存在。
「あ……あ…………」
眼前に佇む、巨礫の如き甚大な足。何もできなかった。何かできるわけもなかった。一歩踏み出すだけで災厄を振り撒くような神に、ヒトはただ無力、ひたすらに無力。どれほど足掻こうとも、神の前にヒトは敵わず。ただただ、人知れず滅び去るのみ。
――ヒトは、本当に無力か?
脳裏に囁く声。誰かも知らないのに、よく知る声。幾度も現れては、記憶の影に潜んで消え入る者の声。誰だ? などという問いが愚問に等しい相手。それが再び、囁き始める。
――力が、欲しいか?
欲しい……! これ以上の犠牲は、もういい……もう十分だ。僕の命で代えられる程度のものなら、幾らだって捧げてやる。だから、みんなを救えるだけの力を。
――多くを、望むか?
望まない。保身のための力なら、いらない。世界を支配するような力も、いらない。死者を蘇生するような力も、いらない。ただ、ここに生きる人々を救うだけの力が欲しい。そのためなら、この眼も、この鼻も、この耳も、この命だって、全部捧げる。
――いずれ、確約された滅びが訪れる。その身を焦がす痛みも、別れも。
承知の上だ。地獄の淵に堕とされるのは、僕だけでいい。世界から貶められるのは、僕だけでいいんだ。だって、そうだろう? だから君は、それを選んだんだろう? 苦しみ抜くために、そのざまと成り果てたんだろう。なあ、アルトリウス。
――暫く、この身を預ける。ヒトの繁栄を望みし神を、蹂躙する力を。
こうして、二人の――己との――問答が終わる。そして、指輪は音を立てて砕け散った。
*
「クッ……! ルイーサ……ッ!」
巨神の足底の下敷きとなったルイーサ。その一部始終をただ眺めていることしかできなかったイングリッドは、爪が食い込むほどに拳を握り締める。後悔と憂いが錯綜する、同時に無力感が全身に悪寒となって襲ってくる。
だが、立ち止まって、打ちひしがれている時間はない。ルイーサが命を懸けて守り抜いたアクセルとウルリカを即座に回収し、勇者の功業を続けてもらわなければならない。自分達を捨て置いてでも――その後に待つだろう悲劇から目を背けてでも。
「今、向かうわ……! 少しでも、その場から離れなさい……ッ!」
イングリッドが一目散に駆け出す、氷壁を飛び越えて、二人の下へと。しかし、彼女の動きを見計らったかのように、霊峰の如き巨神は動き出した。二歩目のそれは、間違いなくアクセルとウルリカを狙った歩幅。脚を大きく振り上げ、二人の真上から一直線に振り下ろそうとする動作は、まさしく小さな命を殺める者の動きだ。
まずい、届かない。どんなに速力を上げても、どんなにウルミを伸ばしても、雪原の彼方で寄り添う二人に届かない。どれほど足掻いても辿り着けそうにない二人の境地、それがまるで、心中を決意した者の姿にさえ見えた。それほどにまで、イングリッドの想いとは裏腹に、時の流れは早すぎる、裁定は厳しすぎる、現実は過酷すぎる。何もかも届かなかった彼女だからこそ、たった一つだけでも叶えたい願い。それが脆くも崩れ去る、目を背けたい現実が、目の前にあった。
「駄目……駄目よ、お願いだから……逃げ――」
嗚呼、伸ばしたその手は届かず、その声も、想いさえも届かない。自らの命を賭してでも、人の願いを護るためにここに立っていながら、それすらも護れないのか、自分は。
イングリッドの眼前では、待ち焦がれた劇場の幕が終演を待たず閉じるかのように、不条理にも神による裁定が下された。彼女の、そして人の願いは果たされず、無慈悲なる鉄槌によって押し殺された。圧殺された、轢殺された、鏖殺された、抹殺された。
「――あ、あ……そん、な…………」
もはや、悲哀の涙さえ零れない。たった今、人類の全てが終焉を迎えたのだ。救いはなく、明日は来ない。戦いの中で命を散らした戦士も、人の願いを命懸けで守り抜いたルイーサも、報われることはなくなった。残るものは、神による世界の破壊と再生のみ。
――そんなもの、誰が許した?
「ウルリカ様を――頼む」
たった一言、ルイーサは言い残す。直後、アクセルの目の前で幾重もの爆発が起きた。榴弾による爆風を利用した推進力で後退は加速する。みるみるうちに彼女の姿は小さくなっていき、巨神の蹂躙範囲から遠ざかっていくのを認める。
「ルイーサ――様――――」
アクセルの言葉が聞こえたのだろうか。ルイーサは最期に、こちらを一瞥する。その表情は、想いを託すものだった。一寸先の闇に臨む者が、後進に道を示す者の顔だった。
己の使命、矜持、祈願、仁義、奉仕。その全ては、我が主のために。それを引き継ぐは、主の傍らに並び立つ者。
それでいい、それでいいんだ。切り開かれし道とは、誰かの屍の上に敷かれてきたもの。誰かの犠牲なくして、豊かな実りは手に入らない。私が残す微かな轍が、あの方を救う道となれば。願わくは、災厄に苛まれる世界中の誰かを――たとえば、私と同じ境遇にある子供を――救う道となれば。それは確かに、誰かの心の中に、爪痕を残せ――
「ルイーサ様ァァァァァッッッ!!!」
アクセルの喚呼、それが全く掻き消されるほどの激震が、大地に響き渡る。跡形もなく、完膚なきまでに、一つの命が消し飛んだ。人が蟻を踏み潰すように、人は神によって造作もなく踏み潰された。人とは、それだけ小さな存在。それだけ、儚い存在。
「あ……あ…………」
眼前に佇む、巨礫の如き甚大な足。何もできなかった。何かできるわけもなかった。一歩踏み出すだけで災厄を振り撒くような神に、ヒトはただ無力、ひたすらに無力。どれほど足掻こうとも、神の前にヒトは敵わず。ただただ、人知れず滅び去るのみ。
――ヒトは、本当に無力か?
脳裏に囁く声。誰かも知らないのに、よく知る声。幾度も現れては、記憶の影に潜んで消え入る者の声。誰だ? などという問いが愚問に等しい相手。それが再び、囁き始める。
――力が、欲しいか?
欲しい……! これ以上の犠牲は、もういい……もう十分だ。僕の命で代えられる程度のものなら、幾らだって捧げてやる。だから、みんなを救えるだけの力を。
――多くを、望むか?
望まない。保身のための力なら、いらない。世界を支配するような力も、いらない。死者を蘇生するような力も、いらない。ただ、ここに生きる人々を救うだけの力が欲しい。そのためなら、この眼も、この鼻も、この耳も、この命だって、全部捧げる。
――いずれ、確約された滅びが訪れる。その身を焦がす痛みも、別れも。
承知の上だ。地獄の淵に堕とされるのは、僕だけでいい。世界から貶められるのは、僕だけでいいんだ。だって、そうだろう? だから君は、それを選んだんだろう? 苦しみ抜くために、そのざまと成り果てたんだろう。なあ、アルトリウス。
――暫く、この身を預ける。ヒトの繁栄を望みし神を、蹂躙する力を。
こうして、二人の――己との――問答が終わる。そして、指輪は音を立てて砕け散った。
*
「クッ……! ルイーサ……ッ!」
巨神の足底の下敷きとなったルイーサ。その一部始終をただ眺めていることしかできなかったイングリッドは、爪が食い込むほどに拳を握り締める。後悔と憂いが錯綜する、同時に無力感が全身に悪寒となって襲ってくる。
だが、立ち止まって、打ちひしがれている時間はない。ルイーサが命を懸けて守り抜いたアクセルとウルリカを即座に回収し、勇者の功業を続けてもらわなければならない。自分達を捨て置いてでも――その後に待つだろう悲劇から目を背けてでも。
「今、向かうわ……! 少しでも、その場から離れなさい……ッ!」
イングリッドが一目散に駆け出す、氷壁を飛び越えて、二人の下へと。しかし、彼女の動きを見計らったかのように、霊峰の如き巨神は動き出した。二歩目のそれは、間違いなくアクセルとウルリカを狙った歩幅。脚を大きく振り上げ、二人の真上から一直線に振り下ろそうとする動作は、まさしく小さな命を殺める者の動きだ。
まずい、届かない。どんなに速力を上げても、どんなにウルミを伸ばしても、雪原の彼方で寄り添う二人に届かない。どれほど足掻いても辿り着けそうにない二人の境地、それがまるで、心中を決意した者の姿にさえ見えた。それほどにまで、イングリッドの想いとは裏腹に、時の流れは早すぎる、裁定は厳しすぎる、現実は過酷すぎる。何もかも届かなかった彼女だからこそ、たった一つだけでも叶えたい願い。それが脆くも崩れ去る、目を背けたい現実が、目の前にあった。
「駄目……駄目よ、お願いだから……逃げ――」
嗚呼、伸ばしたその手は届かず、その声も、想いさえも届かない。自らの命を賭してでも、人の願いを護るためにここに立っていながら、それすらも護れないのか、自分は。
イングリッドの眼前では、待ち焦がれた劇場の幕が終演を待たず閉じるかのように、不条理にも神による裁定が下された。彼女の、そして人の願いは果たされず、無慈悲なる鉄槌によって押し殺された。圧殺された、轢殺された、鏖殺された、抹殺された。
「――あ、あ……そん、な…………」
もはや、悲哀の涙さえ零れない。たった今、人類の全てが終焉を迎えたのだ。救いはなく、明日は来ない。戦いの中で命を散らした戦士も、人の願いを命懸けで守り抜いたルイーサも、報われることはなくなった。残るものは、神による世界の破壊と再生のみ。
――そんなもの、誰が許した?
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