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Chapter-06
Log-118【人知尽力、朱に染まれ】
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「ルイーサ、援護を頼むぜ!」
「承知」
戦いが始まってから、アレクシアの傍らにあったルイーサ。その頼みに対する応答はまるで、猛進していく主人の背中を見送るかのよう。
すると即座に、背負っていた筒型の機関銃を下ろし、腰で固定して、持ち手を握る。波濤となって全身から放たれるルイーサの魔力が、その砲身を回転させ始めた。重々しい駆動音を伴って、今か今かと発砲の瞬間を待ち焦がれる銃口を、こちらを睨め付けた破狼の顔面へと差し向ける。そして、
「アレクシア様は、ここで仕留めるつもりです。陛下、私に続いて下さい」
胸に留めた無線機に向かって語り掛ける、それを受け取ったのはレギナ。
「了解。タイミングは任せるよ、ルイーサ」
それは、一斉掃射の合図。確実に仕留めるため、それが僅かな勝因でも、全ての可能性を、今この一点に集中させるつもりだった。
全ては不遜なる頂点捕食者の意表を突いた、二重三重に折り重ねられた電撃戦の賜。二度目が通じるほど、対峙する相手は愚かではない。この好機を逃せば、次はない。
「――斉射ッ!!」
ルイーサによる号令を以って、戦場に夥しい数の銃声が響き渡る。
彼女の機関銃からは、まるで繋ぎ目が無いかのように連発される銃弾。それは着弾する度に炸裂し、破狼の表皮を剥ぎ取っていく。その傷を抉るかのように、レギナ達の銃弾が雨霰となって飛来した。
「――撃てぇッ!!」
続けて、側防塔のレンブラントによる号令が轟いた。ゼロ距離からの火砲による榴弾の砲撃、床弩による大矢の射撃。至近距離であれば、威力の減衰を待たずして命中する。それは、一切を弾き返してきた大狼の強靭さを、確かに貫きはしたのだ。
首元から、顔面から、口腔から、血飛沫をあげる。苦悶の咆哮を上げて、痛みに痙攣する大狼。だが、それでも、致命傷には遠い。銃弾が、砲弾が、大矢が、その表皮で止まる。如何に削ろうとも、如何に抉ろうとも、筋繊維の奥底には決して届かない。それほどまでに、その肉体は、途方もなく頑強だった。
そこに、アレクシアら第一中隊が、脚部への突撃を重ねる。屈強なる彼らが握るは槍斧と呼ばれる、槍の穂先に斧が取り付けられた武器。二メートル程もあるそれを、まるで棒きれのように振り回し、前脚に、後脚に、最大速力で打ち付ける。榴弾が炸裂するかの如き、大地が震えるほどの衝突が、何度も、何度も、繰り返し轟いた。やがて、それがもたらしたものは、神殿の中心に据えた大黒柱を彷彿させる脚部の、鈍く重く、砕け折れる音だった。
「撃ち方やめ!!」
時間にして、数十秒ほどの猛攻。それは、破狼の膝が崩れ落ちるという戦績を以て打ち止めとなった。
しかし、その程度で人類側の攻め手は途切れない。
天高く飛翔したアレクシアが、身の丈ほどの大剣を掲げながら、大音声で呪文を唱える。
「『我は岩をも徹し、山をも引き抜き、世をも覆そう! 我が身は怪異、勇力、悖乱、鬼神に非ず、一筋に十駕を駆けし駑馬なれば! 其に一念の矜持を払い、百錬千磨の鋼を纏いて、賜りし艱難辛苦を超克せん! 鍛筋鋼体《タフレイブ》!!』」
呪文の詠唱が履行する、彼女の骨細胞が、筋細胞が、爆発的に増幅していく。その肉体は瞬く間に、大振りな外套がはち切れんばかりに膨れ上がった。大地に膝を折った大狼の、焼け爛れた顔面に向かって急降下し――その怪力で、叩き切る。
正中線に連なる急所である眉間に、動地が如き猛打を放ち、舌を出して息を切らした口吻を、その舌ごと咬合するように打ち閉ざした。頭蓋は眉間から沈降し、舌は噛み千切れ、眼窩から、鼻孔から、鮮血が迸る。
力なく頭を垂れる破狼、息はあるが、その脈動は絶え絶え。大狼の鼻梁に立つアレクシアは、無用な苦痛を取り払わんと、眉間に目掛けて、振り翳した大剣の切っ先を差し向ける。安死術を構え、今にも命を摘み取らんとする彼女は、しかし、不穏な雰囲気に気づく。
「うん、やっぱりなあ。餓狼は狡猾に獲物を仕留めるという。手前みてえな怪物相手にしちゃ、トントン拍子に行き過ぎたんだ」
アレクシアの囁くような声に、応えるかのように――血涙を流す大狼の眼が、開く。
「チィッ! んなこったろうと思っていたぜッ!」
大剣を振り下ろす、だが遅い。その切っ先が眉間に達する前に、大狼は首をしならせ、鼻梁を跳ね上げる。骨砕けた脚で立ち上がり、身体をブルンと震わせると、纏わり付いていた砂鉄を跳ね除け、更には、鉤綱で縛り付けていた特鋭隊も吹き飛ばしてしまった。
鼻梁から宙に投げ出されたアレクシアは、その場で姿勢を整えるも、逃げ道はない、眼下には瞳に残忍な色を湛えた大狼が待ち構える。皮一枚で繋がる舌を靡かせながら、泡立つ瀝青を孕んだ谷底を打ち開き、彼女を飲み込んでいった。
「させるかよッ! 馬鹿野郎ォッ!」
咄嗟に、口腔の粘膜に剣を穿ち、支え棒の要領で閉じる口を押し留めた。
谷底から吹き付ける鼓膜が狂うほどの咆哮と、剣を突き立てた内膜から吹き出す血飛沫を浴びて、身も意識も赤く染まっていくアレクシアが、その危機下で、叫呼する。
「イングリッドォォォッ!!! 俺ごとやれェェェッ!!!」
彼女が下したのは、最後の砦として構えていた、イングリッド率いる魔術師達による典礼魔術の使用。そして、彼我諸共の殲滅だった。
「わざわざ申されずとも、そのつもりでしたわ」
姉の号令に対し、冷徹に応じる妹。アレクシアの言葉を待たずして、彼女が危機に陥ったの光景を視認した瞬間から、既に魔術の執行は始まっていたようだ。それは姉妹という親しい間柄にのみよるものではなく、戦士として信頼を寄せるがゆえの、即断。
「『天地上下に泥濘の凪あり。不動の近きに寄り添いて、浮動の幽かを見逃さず。閃く光が描く道、其は決して栄えに非ず、ただ沈黙に枯れ果てるのみ。ささやかなるが、弾指の間を、甘やかな日溜まりに揺蕩え、白蜜の軛』」
イングリッドが大地に刻み込んだ無数の罠が一斉に起動し、太古の地上絵のような巨大な魔法陣が瞬時に結ばれていく。それを照らすかのように、まるで天空に棚引く極光にも似た、しかし、遍く波を鎮める零度の獄が、天から降り注いだ。それはまるで日溜まりのように、荒れ狂う獣を優しく包み込み、その波打つ脈動を、狂気する思考を、静かに、だが瞬く間に、凍てつかせた。刻む時の衰えも、震える冷たさも、覚える間も無く。
そこには、静寂が訪れた。アレクシアを喰らわんと天を仰ぎ、口吻に彼女を咥えた破狼が、顔面、眼窩、鼻孔、口腔から迸る鮮血が、まるで彫像のように静止している。その様は、英雄を謳う叙事詩の一幕であるかのように、奇妙な荘厳を呈していた。
「そ、そんな……アレクシア……!」
大狼を見上げたジェラルドが、彼女の身を案じた声を漏らす。すると、視界の端に、高速で飛翔する閃光を視た。それは、風切り音を響かせながら、大狼の開かれた口へと一直線に突き進み、そのままアレクシアと衝突したかのように見えた。
その直後、大狼の口から現れたのは、彼女を抱えた、閃光に身を包むエレインだった。天地を貫く極光が身体を極度に冷却し、凍えるその身に霜を纏い、雪白の蒸気を上げながら、イングリッド達が陣を取った地上へと離陸していく。
「ひぃ~! 冷たっ! 寒っ! 痛っ!」
二人分の重量は想定外なのか、落下の衝撃を和らげる為か、離陸と同時に、アレクシアと共にゴロゴロと転げるエレイン。雪に塗れた身体を、犬のようにブルブルと震わせて、振るい落とす。一頻り震えると、顔を上げてイングリッドを見遣った。
「お姉ちゃん巻き込んで、なんて魔術使うんだよ~!」
「仕方ないでしょう? あのままでは、姉様はいずれ捕食されていた。大丈夫よ、姉様ならその通り、殺したって死にはしないわ」
大狼を氷漬けにする魔術の手は緩めず、エレインの言葉に応えるイングリッド。彼女の言葉通り、凍結したように冷たくなったアレクシアだったが、息は確かにあるようだ。
「……俺は、問題ない……俺ごとやれと、言ったのは……俺自身だ……」
仰臥した彼女は、紫色に変色した、その震える唇で語る。身震いは止まらないが、自らの魔力を身体の修繕に総動員させたことで、体温はすぐに戻っていった。しかし、彼女がこうして助かったのも、間を置かずに行われた救助と、彼女自身の圧倒的な生命力ゆえ。生半可な者では、一瞬にして凍死していただろう、それほどの魔術だということをエレインは指摘していた。
とはいえ、その恐るべき魔術のお陰で、今や大狼は氷の彫像と化していた。最早、ピクリとも動かない。完全に制止していた――目に見える限りでは。
「……イングリッド……そうかお前、んな燃費悪りい魔術を、解かないってこたぁ……」
横たわるアレクシアの肉体からは、白煙が上がり続ける。力なく仰臥したまま、イングリッドを一瞥する、余裕が一切ない彼女の表情から、現在の状況を察したようだ。
「ええ、その通りですわ、姉様。あの有様で破狼はまだ、息がありますわ」
そう、大狼はまだ、息絶えてはいなかった。
白蜜の軛は、極光に触れた物質の、原子の運動を個々に失速させ、極度の冷却をもたらす魔術。別名“概念糖蜜”とも呼ばれるそれは、理論上、絶対零度の近傍まで温度を下げる、氷結魔術の奥義。
にも関わらず、その極低温の環境下において、大狼は生きていた。膨大な魔力も相まっての生命力とはいえ、あらゆる生命体の中でも、比肩するもののない強靱さだと言わざるを得ない。
イングリッド達の魔力にも、集中力にも、限界がある。これで仕留められないのならば、新たな一手を絞り出す他ない。
「段取り通りの手は尽くしたけれど……さて、どうしたものかしら」
「承知」
戦いが始まってから、アレクシアの傍らにあったルイーサ。その頼みに対する応答はまるで、猛進していく主人の背中を見送るかのよう。
すると即座に、背負っていた筒型の機関銃を下ろし、腰で固定して、持ち手を握る。波濤となって全身から放たれるルイーサの魔力が、その砲身を回転させ始めた。重々しい駆動音を伴って、今か今かと発砲の瞬間を待ち焦がれる銃口を、こちらを睨め付けた破狼の顔面へと差し向ける。そして、
「アレクシア様は、ここで仕留めるつもりです。陛下、私に続いて下さい」
胸に留めた無線機に向かって語り掛ける、それを受け取ったのはレギナ。
「了解。タイミングは任せるよ、ルイーサ」
それは、一斉掃射の合図。確実に仕留めるため、それが僅かな勝因でも、全ての可能性を、今この一点に集中させるつもりだった。
全ては不遜なる頂点捕食者の意表を突いた、二重三重に折り重ねられた電撃戦の賜。二度目が通じるほど、対峙する相手は愚かではない。この好機を逃せば、次はない。
「――斉射ッ!!」
ルイーサによる号令を以って、戦場に夥しい数の銃声が響き渡る。
彼女の機関銃からは、まるで繋ぎ目が無いかのように連発される銃弾。それは着弾する度に炸裂し、破狼の表皮を剥ぎ取っていく。その傷を抉るかのように、レギナ達の銃弾が雨霰となって飛来した。
「――撃てぇッ!!」
続けて、側防塔のレンブラントによる号令が轟いた。ゼロ距離からの火砲による榴弾の砲撃、床弩による大矢の射撃。至近距離であれば、威力の減衰を待たずして命中する。それは、一切を弾き返してきた大狼の強靭さを、確かに貫きはしたのだ。
首元から、顔面から、口腔から、血飛沫をあげる。苦悶の咆哮を上げて、痛みに痙攣する大狼。だが、それでも、致命傷には遠い。銃弾が、砲弾が、大矢が、その表皮で止まる。如何に削ろうとも、如何に抉ろうとも、筋繊維の奥底には決して届かない。それほどまでに、その肉体は、途方もなく頑強だった。
そこに、アレクシアら第一中隊が、脚部への突撃を重ねる。屈強なる彼らが握るは槍斧と呼ばれる、槍の穂先に斧が取り付けられた武器。二メートル程もあるそれを、まるで棒きれのように振り回し、前脚に、後脚に、最大速力で打ち付ける。榴弾が炸裂するかの如き、大地が震えるほどの衝突が、何度も、何度も、繰り返し轟いた。やがて、それがもたらしたものは、神殿の中心に据えた大黒柱を彷彿させる脚部の、鈍く重く、砕け折れる音だった。
「撃ち方やめ!!」
時間にして、数十秒ほどの猛攻。それは、破狼の膝が崩れ落ちるという戦績を以て打ち止めとなった。
しかし、その程度で人類側の攻め手は途切れない。
天高く飛翔したアレクシアが、身の丈ほどの大剣を掲げながら、大音声で呪文を唱える。
「『我は岩をも徹し、山をも引き抜き、世をも覆そう! 我が身は怪異、勇力、悖乱、鬼神に非ず、一筋に十駕を駆けし駑馬なれば! 其に一念の矜持を払い、百錬千磨の鋼を纏いて、賜りし艱難辛苦を超克せん! 鍛筋鋼体《タフレイブ》!!』」
呪文の詠唱が履行する、彼女の骨細胞が、筋細胞が、爆発的に増幅していく。その肉体は瞬く間に、大振りな外套がはち切れんばかりに膨れ上がった。大地に膝を折った大狼の、焼け爛れた顔面に向かって急降下し――その怪力で、叩き切る。
正中線に連なる急所である眉間に、動地が如き猛打を放ち、舌を出して息を切らした口吻を、その舌ごと咬合するように打ち閉ざした。頭蓋は眉間から沈降し、舌は噛み千切れ、眼窩から、鼻孔から、鮮血が迸る。
力なく頭を垂れる破狼、息はあるが、その脈動は絶え絶え。大狼の鼻梁に立つアレクシアは、無用な苦痛を取り払わんと、眉間に目掛けて、振り翳した大剣の切っ先を差し向ける。安死術を構え、今にも命を摘み取らんとする彼女は、しかし、不穏な雰囲気に気づく。
「うん、やっぱりなあ。餓狼は狡猾に獲物を仕留めるという。手前みてえな怪物相手にしちゃ、トントン拍子に行き過ぎたんだ」
アレクシアの囁くような声に、応えるかのように――血涙を流す大狼の眼が、開く。
「チィッ! んなこったろうと思っていたぜッ!」
大剣を振り下ろす、だが遅い。その切っ先が眉間に達する前に、大狼は首をしならせ、鼻梁を跳ね上げる。骨砕けた脚で立ち上がり、身体をブルンと震わせると、纏わり付いていた砂鉄を跳ね除け、更には、鉤綱で縛り付けていた特鋭隊も吹き飛ばしてしまった。
鼻梁から宙に投げ出されたアレクシアは、その場で姿勢を整えるも、逃げ道はない、眼下には瞳に残忍な色を湛えた大狼が待ち構える。皮一枚で繋がる舌を靡かせながら、泡立つ瀝青を孕んだ谷底を打ち開き、彼女を飲み込んでいった。
「させるかよッ! 馬鹿野郎ォッ!」
咄嗟に、口腔の粘膜に剣を穿ち、支え棒の要領で閉じる口を押し留めた。
谷底から吹き付ける鼓膜が狂うほどの咆哮と、剣を突き立てた内膜から吹き出す血飛沫を浴びて、身も意識も赤く染まっていくアレクシアが、その危機下で、叫呼する。
「イングリッドォォォッ!!! 俺ごとやれェェェッ!!!」
彼女が下したのは、最後の砦として構えていた、イングリッド率いる魔術師達による典礼魔術の使用。そして、彼我諸共の殲滅だった。
「わざわざ申されずとも、そのつもりでしたわ」
姉の号令に対し、冷徹に応じる妹。アレクシアの言葉を待たずして、彼女が危機に陥ったの光景を視認した瞬間から、既に魔術の執行は始まっていたようだ。それは姉妹という親しい間柄にのみよるものではなく、戦士として信頼を寄せるがゆえの、即断。
「『天地上下に泥濘の凪あり。不動の近きに寄り添いて、浮動の幽かを見逃さず。閃く光が描く道、其は決して栄えに非ず、ただ沈黙に枯れ果てるのみ。ささやかなるが、弾指の間を、甘やかな日溜まりに揺蕩え、白蜜の軛』」
イングリッドが大地に刻み込んだ無数の罠が一斉に起動し、太古の地上絵のような巨大な魔法陣が瞬時に結ばれていく。それを照らすかのように、まるで天空に棚引く極光にも似た、しかし、遍く波を鎮める零度の獄が、天から降り注いだ。それはまるで日溜まりのように、荒れ狂う獣を優しく包み込み、その波打つ脈動を、狂気する思考を、静かに、だが瞬く間に、凍てつかせた。刻む時の衰えも、震える冷たさも、覚える間も無く。
そこには、静寂が訪れた。アレクシアを喰らわんと天を仰ぎ、口吻に彼女を咥えた破狼が、顔面、眼窩、鼻孔、口腔から迸る鮮血が、まるで彫像のように静止している。その様は、英雄を謳う叙事詩の一幕であるかのように、奇妙な荘厳を呈していた。
「そ、そんな……アレクシア……!」
大狼を見上げたジェラルドが、彼女の身を案じた声を漏らす。すると、視界の端に、高速で飛翔する閃光を視た。それは、風切り音を響かせながら、大狼の開かれた口へと一直線に突き進み、そのままアレクシアと衝突したかのように見えた。
その直後、大狼の口から現れたのは、彼女を抱えた、閃光に身を包むエレインだった。天地を貫く極光が身体を極度に冷却し、凍えるその身に霜を纏い、雪白の蒸気を上げながら、イングリッド達が陣を取った地上へと離陸していく。
「ひぃ~! 冷たっ! 寒っ! 痛っ!」
二人分の重量は想定外なのか、落下の衝撃を和らげる為か、離陸と同時に、アレクシアと共にゴロゴロと転げるエレイン。雪に塗れた身体を、犬のようにブルブルと震わせて、振るい落とす。一頻り震えると、顔を上げてイングリッドを見遣った。
「お姉ちゃん巻き込んで、なんて魔術使うんだよ~!」
「仕方ないでしょう? あのままでは、姉様はいずれ捕食されていた。大丈夫よ、姉様ならその通り、殺したって死にはしないわ」
大狼を氷漬けにする魔術の手は緩めず、エレインの言葉に応えるイングリッド。彼女の言葉通り、凍結したように冷たくなったアレクシアだったが、息は確かにあるようだ。
「……俺は、問題ない……俺ごとやれと、言ったのは……俺自身だ……」
仰臥した彼女は、紫色に変色した、その震える唇で語る。身震いは止まらないが、自らの魔力を身体の修繕に総動員させたことで、体温はすぐに戻っていった。しかし、彼女がこうして助かったのも、間を置かずに行われた救助と、彼女自身の圧倒的な生命力ゆえ。生半可な者では、一瞬にして凍死していただろう、それほどの魔術だということをエレインは指摘していた。
とはいえ、その恐るべき魔術のお陰で、今や大狼は氷の彫像と化していた。最早、ピクリとも動かない。完全に制止していた――目に見える限りでは。
「……イングリッド……そうかお前、んな燃費悪りい魔術を、解かないってこたぁ……」
横たわるアレクシアの肉体からは、白煙が上がり続ける。力なく仰臥したまま、イングリッドを一瞥する、余裕が一切ない彼女の表情から、現在の状況を察したようだ。
「ええ、その通りですわ、姉様。あの有様で破狼はまだ、息がありますわ」
そう、大狼はまだ、息絶えてはいなかった。
白蜜の軛は、極光に触れた物質の、原子の運動を個々に失速させ、極度の冷却をもたらす魔術。別名“概念糖蜜”とも呼ばれるそれは、理論上、絶対零度の近傍まで温度を下げる、氷結魔術の奥義。
にも関わらず、その極低温の環境下において、大狼は生きていた。膨大な魔力も相まっての生命力とはいえ、あらゆる生命体の中でも、比肩するもののない強靱さだと言わざるを得ない。
イングリッド達の魔力にも、集中力にも、限界がある。これで仕留められないのならば、新たな一手を絞り出す他ない。
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