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Chapter-04

Log-049【再び、新たな旅立ち】

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 アクセルの朝は、ウルリカの怒号と共に幕を開けた。

「いつまで寝てんのよ! いい加減その寝坊癖直しなさい!」

 ウルリカはアクセルの寝室の扉に蹴りを入れる。流石の彼もベッドから飛び起きた。

 寝ぼけ眼で扉を開け、ウルリカと対面する――やいなや、彼女は助走をつけて飛び蹴りをかましてきた。蹴破るつもりだったのだろうか、などと思考に耽けながら身体は吹き飛んでいった。

「なっ! あんたいちいちタイミング悪すぎるのよ!」

 ウルリカは飛び蹴りの体勢を宙空で整えると、アクセルの背後にある椅子目掛け即座に呪文を唱えながら腕を伸ばした。

「『蜘蛛這い糸縫う糸疣しゆうの連理、粘糸鉄線スティッキー・スレッド!』」

 ウルリカの伸ばした腕は淡い光を帯びる。その指先から、陽の光を反射して、七色に煌めく糸が勢い良く伸びる。吹き飛ぶアクセルを追い抜いて、その糸は背後の椅子に着弾。引き寄せるように肘を折ると、対応して椅子が手前に動き出し、アクセルは吹き飛んだ勢いそのままに着座した。更にウルリカは、化粧台に置かれた櫛を糸で引き寄せ、彼の頭髪を乱暴に整えていく。

「痛っ! 痛たっ! ウルリカ、もうちょっと丁寧に――」

「あんた、このあたしが使用人紛いのことを元使用人相手にやってあげてんのよ? 文句言える立場かしら」

 ウルリカの乱暴な整髪は、プチプチと髪の抜ける音を立てる。しかし、整え方が乱暴なだけで、寝癖はみるみるうちに直っていく。

「これでおしまい。服は出しといてあげるから。片腕だからって流石に自分で着替えなさい」

 そう言って、ウルリカはタンスを開けて、乱雑に衣服を取り出してベッドの上に放り投げる。

 その様子を、呆けた表情で眺めるアクセル。

「……あんた、何してんのよ」

「え? あ、ああ、ごめん。なんだか、亭主をお世話するお嫁さんみたいで」

 アクセルの無自覚なその言葉に、ウルリカは怒りと恥じらいで紅潮を抑えきれなかった。

「あんたね! 寝ぼけてる暇があったら顔洗って歯磨いてさっさと降りてきなさい!!」

 ウルリカはアクセルを睨みつけながら大声を上げて、そそくさとその場を去ろうとする。アクセルの顔も見ずに、部屋を出ようとしたウルリカに対して、アクセルが声を掛けた。

「あ、ウルリカ!」

 足を止めるウルリカ。返事はない。

「その、色々とありがとう」

 アクセルの感謝の言葉に、ウルリカは振り向かず。だが、彼女の握りしめたその手は、爪が刺さるほど力んでいた。そして、ただ一言、

「……馬鹿」

 そう言って、部屋を出る。力強く扉を閉め、大きな音が部屋に響く。

 アクセルはただ呆然と頭を掻いていた。

「あれも……素直じゃない反応、なのかな」

 断続的に勃発する、ウルリカとのぶっきらぼうなやり取りが、次第にお互いの心の距離を縮め始めていた。


―――


 生家の敷地前に横たわる街道には、四人乗りの馬車が二台用意されていた。馬車の前に集合した一行を見送るため、ハウスキーパーのモニカと、四姉妹の母マルセルが来ていた。モニカは別れを惜しむ涙ぐんだ表情をしていた。対して母マルセルは、一行に柔和な微笑みを向けていた。

「ではマルセル、この子らと共に、王との謁見に行ってくる」

 レンブラントはマルセルを抱擁して、そう告げた。

「ええ、承知致しました」

 マルセルは皆の顔を見渡して、感慨に浸っていた。

「なんとも、不思議なものね。再びの門出、と言ったところかしら。こうやって子どもたちが一同に集い、同じ目的に向かって歩くなど、思いも寄らなかったわ」

「そうね、母上の感想はごもっともだわ。あたしとルイーサから始まって、随分と大所帯になったものね」

「ウルリカ、貴女は姉たちと同様、立派な女傑に育ったわ。母として、これほど嬉しいことはないの。くれぐれも、身体にだけは気をつけてね」

 マルセルはウルリカに歩み寄り、頭を撫でる。皆の前ということもあり、いたたまれない気持ちではあったが、頬を赤く染めながらも彼女はグッと堪えていた。

「不良ウルリカも、お母さんの前じゃ形無しだね~」

 隣で茶々を入れるエレイン。そんな彼女に対して、マルセルは満面の笑みを浮かべながら、

「エレイン、貴女の方はとても勇ましくなったわ。それはそれとして、帰ってきたら、分かってるわね?」

「あ~、いや~、その~……お庭のことは、ごめんなさい」

 頬を掻きながら頭を下げるエレイン。母は微笑んで首肯する。

「分かればよろしい。それにイングリッド、我関せずって顔をしているけれど、貴女もよ?」

 エレインの隣で、どこ吹く風といった表情だったイングリッドにも、母の鋭い指摘が入る。

「……ええ、お母様。此度のことは、謝罪致します」

 イングリッドは目を伏せながら、謝罪の意を述べる。「よろしい」と言ってマルセルは頷いた。

「いやはや。母は強し、だねえ。頭が上がらねえってのはこのことだなあ」

 アレクシアは腕を組みながら、文字通り母に頭が上がらない二人を見て、柔和な表情を湛えて呟いた。

 ルイーサはその輪から外れ、モニカの側に歩み寄った。表情を変えず、いつもの落ち着いた声色で、一言。

「モニカ、貴女は機転が利きません」

 淡々とした口調で言い放った指摘に、モニカは俯き重い表情をする。だがルイーサは、彼女のそんな仕草にも気に留めず、更に淡々と語り掛ける。

「ですが、一呼吸置いて物事に当たれば、貴女ほど繊細に仕事をこなせる使用人など、この家にはいません」

 モニカは驚いた表情で顔を上げる。ルイーサがハウスキーパーを務めていた時分は、彼女に褒められたことなど殆どなかった。その彼女が、最大級の褒め言葉を口にしたのだ。

「弱みは誰にでもあります。生来のものであれば、克服には時間が掛かりましょう。それがはっきりと現れてしまっている貴女は、まだまだ励まなければなりません」

 相も変わらず無愛想で、淡々とした口調ではあるものの、長い付き合いのモニカになら読み取れる。彼女はきっと、その時、微笑んでいたのだ。

「しかし、それを加味しても余りあるほどに、貴女は優秀な使用人です。私のいない間、この家を任せます」

 モニカは震えるような感激を抱いた。彼女の目に映るルイーサという人間は、完璧を絵に描いたような使用人だった。あらゆる家事に熟達したルイーサは、まるで手の届かない存在に思えてならなかった。その敬意を注ぐ相手から、この上ない評価を頂けたのだから。

「ではマルセル、行ってくるぞ」

「ええ、気をつけて行ってらっしゃい」

 一行は次々と馬車へ乗り込んでいく。レンブラントとウルリカの二人は、少し離れた場所に着けていた箱馬車に足を運んだ。その中には、既にゴドフリーとサルバトーレが搭乗していた。二人に気付くと、ゴドフリーが扉窓を開ける。

「終わったか」

「ええ、あたしたちもこれから王都に向けて出発するわ。今日中にはアクセルとエレインを発たせるつもり。こっちは任せて」

「テメェの準備は無駄に周到だからな。下っ端として働いていた時代が懐かしいぜ」

「あら、サルバトーレさん。貴方もゴドフリーと一緒にセプテムへ向かうのね。何か役に立って頂けるのかしら?」

「はっ、言ってくれる」

「ウルリカ。まったく、失礼な娘だ」

 レンブラントはいつまでも手を焼かされ続ける娘を見て、頭を抱えた。

「失礼はこちらも変わらんよ、ローエングリン卿。こいつは元スラムの住人だ。染み付いた素行はどうにもならん。だが、頭は切れる。肝も据わっている。戦士として仕込んだわけではないが、腕も確かだ。多少の役には立つだろう」

「と、いうことだ。親父お墨付きの従者ってことよ」

「あらそう。じゃ、期待してるわ」

 ウルリカはほくそ笑みながら、素っ気ない言葉を返した。

「では、この割符を渡しておく。これを門番に渡せば彼の国の都市に入られるだろう。承知の上だろうが、勇者であることは決して明かすな。死にたくなければな」

 ゴドフリーはウルリカに紙切れを手渡した。いわゆる通行手形というものだが、そこに書かれていたのは公的に発券される文字とは異なり、直筆の文章が記されていた。だがその内容は暗号のように意味不明な文字の羅列となっている。

「……分かったわ」

 ウルリカは一瞬、目を細めて紙切れを一瞥した。そこに書かれた文字に対し、何かしらを悟ったようだ。

「それではアナンデール卿、セプテムで会おう」

「ああ、失礼する」

 レンブラントが片手を挙げると、ゴドフリーは二人に向けて片手を挙げ返す。そして、御者に馬車を走らせるよう告げて、二人はセプテムに向けて出発した。

「……え? ちなみにだけど、それって父上もついてくるってこと?」

「ん? 言わなかったか? 私もセプテムに向かうつもりだ。勇者の父が、人類の危機だという時に、指をくわえて家に篭っているわけにはいかんからな」

「聞いてないわよ。協力して、とは言ったけど」

 二人はそんな会話を交わしながら、馬車に乗り込んだ。

 車窓から見える我が家の前では、堪えていた涙を零すモニカと、笑顔で手を振るマルセルが、こちらを見つめる。一行が手を振り返すと、それが合図となったかのように、馬車は出発した。

 家族を乗せた馬車が、遠く地平線の向こうに見えなくなるまで、マルセルたちは手を振り続けていた。

 それは、人類の存亡を掛けた戦いの、ささやかな幕開け。
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