想愛

小谷野 天

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3章

つむじ風

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 健一からの着信が並んでいる。
 
 一人でも生きていける女だと言っておきながら、ずいぶんと未練たらしい男だ。 

 紗和は健一の携帯番号を携帯から消した。
 少しだけ後悔していた心も、これで前に進んでいけるはず。
 
「今日はお弁当なの?」
 昼休み、航大が紗和の前に来た。
「今度、美味しいカレーを奢ってあげようか?」
「行かないです。」    
 食べ掛けていたお弁当をしまうと、仕事へ戻った。
「冷たいなあ。紗和ちゃん。」
 紗和はパソコンを打つ手を止めた。
「気にした?」
「いいえ。」
 お茶を飲もうと、ポットのある場所へ向かった。
「何か飲みますか?」
 紗和は航大に聞いた。
「俺の分も入れてくれるの?」
「はい。」

 まだ明るい時間に家に帰るのが慣れず、紗和は近くのスーパーに、寄り道をした。
 照明に照らされている色とりどりの野菜が、紗和の目を明るく色付ける。
 どうせ、作っても一人だし、何を作っても同じ味しかしない。
 紗和は並んでいる魚と目が合った気がして、足を止めた。半分開いた口から、今にも悲観した言葉が出てきそうだった。

「店員さん、これ、どうやって食べるの?」
「煮付けにしたらいいよ。できる?」
「調べてみる。」 

 家に帰り、煮付けて箸を入れた魚の身は、ほんのり茶色く染まっていた。魚と口をちょっと突いても、何も言葉は出てこなかった。  
 1人で食べる食事が当たり前になっていた。元々父と暮していた時も、美味しいとか、何が食べたいとか、食事中に話す事はなかった。
 学生の時、時々友達とご飯を食べに行く機会があると、話しながら食べるという事が、自分にはできない事がわかった。なんとかみんなと食事をしようと、テレビと会話しながら、食べる練習もしたけれど、バカバカしくてやめた。
 
 新しい職場に来てから3ヶ月。
 
 ある日の金曜日。
 真衣の家に集まり、真衣の彼氏の栗原陵矢《くりはらりょう》も交えて、6人で鍋を囲んでいた。
 
「真衣、やっぱりキムチ鍋にしようよ。」
「ダメだよ。紗和は辛いのダメだから。」
 真衣が陵矢にそう言った
「私、辛いの嫌いじゃないよ。」
 紗和がそう言うと、
「だって、航大が言ってたよ、紗和は辛いの苦手だった。」
 真衣が航大の方を向く。
「紗和ちゃん、食堂のあの甘いカレーを食べてたから、てっきり辛いのは苦手だと思ってた。」
「なんだ。航大が勝手に思い込んでたんだ。今からキムチにしたら?」
 優佳が言った。
「2人でキムチ、買ってこいよ。飲み物だってもう少しほしいし。」
 湊が紗和と航大を指差した。
「紗和、うどんも買ってきて。」
 真衣が、買ってきてほしいものをメモして紗和に渡した。
「ほら、航大と早く行ってきて。」
 紗和と航大は、一緒に買い物に向かった。

「藤原くんが勝手に勘違いしたせいだからね。」
 紗和は航大に言った。
「良かったじゃん。一緒に俺と買い物に行けたんだから。」
「本当、いつも前向きな人だね。」
「荷物はちゃんと持ってあげるし、帰り道にソフトクリームでも食べていこうよ。」
「何言ってるの、罰ゲームみたいなもんだよ、これ。」
「罰ゲームじゃないって、大当たりだよ。」 
 紗和はため息をついた。
「明日は休みだし、紗和ちゃん、今日は家に泊まりなよ。」
「はあ?」
「すっごいいい映画、一緒に見ようよ。」
「見ません。」
「冷たいな。俺、一人で見たら、悲しくてショックで倒れるかもしれないのに。」
「そんな事、絶対ないから。」
「じゃあさ、すっごい美味しいケーキ一緒に食べようか。」
「さんざん鍋食べた後に?」
「そう。」
「藤原くん、本当にしつこいね。」

 スーパーに着くと、航大がキムチを選んだ。
「これがいいよ。」
「そうかな、こっちのほうが辛そうだけど。」
「あんまり辛くするとさ、2人っきりになった時、困るよ。」
「何言ってんの?」
「陵矢達の事だよ。」
「辛くしたいって言ったのは、陵矢さんでしょう?」
「少しは気を利かせてやらないと。」
 航大は自分が選んだキムチをカゴに入れた。
「ちょっと!」
「優佳さん、エビって言ってたよね。あと、飲み物か。」
「違うよ、うどんって言ってたんだよ。」
 航大は紗和の持っているカゴを引っ張る。
 何を買うのも、一つ一つ航大が注文をつけるので、時間がかかった。
「藤原くん、アイスなんて選んでないで、早く帰ろう。」
 紗和が藤原を呼ぶと、
「じゃあ、家で映画見ながら食べようか。」
「藤原くんの家になんて行かないから。」
 航大は紗和の隣りに来た。
「荷物、俺が持つから。」
「大丈夫。」
「荷物、2つに分けてもらえば良かったのに。」
「いいから早く戻ろう。」
 航大は紗和が持っている荷物を持つと、紗和の手を繋いだ。
「ふざけすぎだよ。」
 紗和は手を離そうと引っ張った。
「ダメ。」
 航大は手を離さなかった。
「藤原くんって、何を考えてるかぜんぜんわかんない。」
「紗和ちゃんのほうが、何を考えてるかぜんぜんわかんないよ。」
「困ったね、わからないもの同士で買い物に来ちゃったら、いくら時間があっても足りないよ。」
 紗和はそう言った。
「だからさ、今日はもう少し、一緒にいようよ。」
「私、そういう誘い嫌いだから。」
「前から思ってたんだけど、なんでそんなに人を避けようとするの?」
「避けてる?」
「避けてるよ。」 
 紗和は、
「苦手かな、人付き合い。」
 そう言った。
「そっか。俺と一緒だ。」
「嘘。藤原くんみたいな人が、人付き合い苦手なわけないよ。」
「そんな紗和ちゃんのために、いい映画があるから、家においでよ。」
「絶対行かない。」

 真衣のアパートに着くと、
「遅いよ。2人で消えたかと思った。」
 陵矢がそう言った。
「キムチは?」
 真衣はそう言って、航大から買い物袋を受け取った。
「紗和、こんな辛くないやつ選んできたの?」
「本当だ。やっぱり、紗和ちゃんに選ばせたのは間違いだったよ。」
 陵矢がそう言った。
「お前らが2人きりになってもいいように、わざわざこれを選んだのに。」 
 航大はそう言って笑った。
「仕方ない。キムチの素、出すか。」
 真衣はそう言った。
「あるなら最初から出せば良かっただろう。」
 湊は言う。
「航大が、買い物行くって張り切ってたから、言い出しにくくって。」
「紗和、うどんは?」
「あるよ。」
 優佳はそう言うと、
「真衣、早くキムチ入れて食べよ。」
 みんなは鍋の前に集まった。

「秋本、元気にしてた?」
 優佳が紗和に聞いた。
「元気なんじゃないですか?」
「あの上司の中で、よくやってたよね。」
「そうですね。」
「新人の頃、全部仕事押し付けられて、いつも夜中まで残業しててね。体壊して倒れてから、少し残業もセーブしたけど、元々断れない性格なのかな、全部自分で抱え込むから、何度も転職を勧めたのよ。」
「そうだったんですか。」
「秋本がなんであの会社にこだわってたのか、よくわからない。好きな子でもいたのかな。安定した会社だったけど、いろんな人の犠牲の上にある場所だったのよね。」
「優佳さんは、何年あの会社にいたんですか?」
「私は3年。紗和は?」
「5年です。」
「そっか、よく頑張ったね。」
「ありがとうございます。」
「優佳さん、紗和ちゃんって、前の会社には彼氏とかいたの?」
 航大が聞いた。
「紗和とは、1ヶ月しか一緒に働いてなかったし、その後の事はわからないよ。そういう人、いた?」
「いませんよ。」
 紗和が答える。
「じゃあ、うちの会社に来たのは、本当に仕事の内容で選んだんだ。変わった時期に入ったから、失恋でもして、前の会社に居づらくなったのかと思った。」
「航大、今どき恋とか愛とかで、生活を変える女なんていないよ。それにあの会社は、恋愛する余裕なんてぜんぜんないし。」
 優佳は航大の方を見た。
「それより航大はどうなの?あの年上の人。」
「それ優佳さん、幻を見てるんだよ。」
「何よ、ごまかして。あのよく来る取り引き先の年上の人とたまに話してるって、みんなの噂だよ。」
 紗和はチラッと航大を見た。航大は紗和と目が合うと、
「俺が誰と話してるか、みんな気になるんだね。」
 そう言って笑った。

 鍋を食べ終え、真衣の家の玄関に出ると、
「私達、こっちだから。」
 優佳と湊が、紗和と航大に手を振る。
 
 紗和と航大は駅に着くと、
「今日は家においでよ。」
 航大が言った。
「行かない。」
「約束したじゃん。」
「してない。」
「紗和ちゃん、冷たいね。」
「その、紗和ちゃんとか言わないで。」
 笑って紗和の手を握った航大に、
「なんで、そんなに適当に生きていられるの?」
 そう言って紗和は手を離した。
「紗和ちゃんこそ、どうしてそんなに淋しそうにしてるの?」
「淋しそう?」
「そう。淋しくて、悲しそう。」
「さっきは人を避けてるとか言うし、もう、藤原くんと話してるとおかしくなりそう。」
「ねぇ、絶対、紗和ちゃんを泣かせるから、映画見に来てよ。その強がりな性格を改心させてあげるから。」
「行かないし、私を泣かせるなんて絶対無理だし。」
「最後に泣いたのはいつ?」
 紗和は健一の事を思って、一瞬固まった。
「もう、10年以上前かな。」  
 死んだ魚から出てきたような濁った嘘。
「嘘ばっかり。きっと、ついこの間泣いたでしょう?失恋とかしちゃってさ。」
 図星の言葉に少し動揺したけれど、
「ハズレです。」
 紗和はそう言って改札へ向かった。
「じゃあ。月曜日に。」
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