彼女の訪問

火消茶腕

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彼女の訪問

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「そら、連れて来てやったぞ」

 玄関のドアが開くと、ご主人様が言った。
 僕の前には今、愛しのリリイちゃんがいる。
 
 もちろん、僕には少し前から分かってた。彼女が僕の家に来てくれることが。
 だって、段々と匂いが強くなっていたから。
 リリイちゃんとご主人様と、そしてリリイちゃんのご主人様の匂いがね。

 そう、僕は犬だ。
 この家に貰われてきて、既に三年。
 はじめてここに来た頃はまだ子犬だったけど、もう立派なオトナだ。

 ご主人様にはとても可愛がってもらっている。
 毎日のバランスの取れた食事、定期的な健康診断。
 ときどきいたずらして叱られはするけど、ご主人様はけして暴力を振るったりはしない。
 だから、つい最近までは何一つ不満もなく暮らしていたんだ。

 けれどそれも変わってしまった。なぜって先日、散歩の時に運命の出会いをしたんだ。
 それがリリイちゃん。僕よりひとつ下の可愛い子。
 僕はひと目で夢中になった。

 僕は直ぐに素直な気持ちを彼女にぶつけ、彼女も悪い気はしないように見えた。

 でも所詮、僕たちは飼われている身。好きな時に自由に会うことなんて出来はしない。
 それでも、同じ時間に散歩に行くと彼女に会えたから、それで満足はしていた。
 
 いつか一緒になって、二人の子どもを作って。
 そんな夢を見ていたある日、急に彼女に会えなくなった。

 なぜ?なぜ?
 いつもの時間に散歩に出ても、彼女にも彼女のご主人様にさえ会えなかった。

 そんな日が幾日か続き、僕はすっかり元気をなくしてしまった。僕のご主人様は散歩の時間をずらしたり、コースを変えたりして、僕が彼女に会えるように努力してくれたのだけど、昨日まで彼女に会えることはなかったんだ。

 それが突然、うちにまで彼女が来てくれた。
 こんな嬉しいことはない。
 僕は大はしゃぎで彼女の周りを回った。けれど、彼女の態度は違っていた。
 なにか不安がっている。

「どうしたの?はじめての場所で緊張してる?」
 優しく問いかけると彼女が言った。
「いえ、ご主人様のことが気になって」

 彼女のご主人様?そう言えばすこし様子がおかしかったかな?ぐったりして、僕のご主人様に抱えられていた。たしかこれは……。
 僕は彼女に考えを言った。

「この匂いからすると、ご主人様たちはお酒というものを飲んだんだよ。あれは飲み過ぎると、あんな風になるらしいよ。ほら、僕のご主人様がベッドに君のご主人を寝かしつけているようだ。心配ないよ。こういうことはご主人様たちにはよくあるんだ」

「そうかしら?私もお酒の匂いは知ってるけれど、それとは別の匂いもするような」
 彼女はどうしても不安が拭えないのか、自分のご主人様を心配そうに見つめている。
「お酒にはいっぱい種類があるんだ。君は嗅いだことがないようだけど、僕にはこの匂いに覚えがある。以前、ご主人様が連れてきた人にも同じ匂いがしていたよ」

 僕の言葉に彼女はすこし安心したように見えた。
「そう。だったら大丈夫かしら。ただ、私のご主人様のあんな姿を見るのは初めてだったので」
 彼女は少し恥ずかしげに弁解した。

「それはきっと、僕のご主人様は若い男で、君のご主人様が若い女だからじゃないかな」
 僕は彼女に言った。
「君のご主人様は僕のご主人様と意気投合して、とても嬉しくなったんだよ。それが証拠にほら、……」

 見るとベッドの上で僕のご主人様が彼女のご主人様の服を脱がしにかかっていた。仲の良い男女が行う儀式だ。

 僕達が見ているのに気付くと、ご主人様が言った。
「ジョン、あっちに行ってろ。後、リリイだっけ?お前もだ」

 ご主人様は僕達を部屋から追い出し、寝室のドアを閉めた。
 途中、リリイちゃんはかなり抵抗した。

「私はご主人様のアイメイトなの。どんな時でもそばにいるように言われているの。一緒にいさせて」
 そう訴えたが、残念ながら僕のご主人様には通じなかった。まあ当然だけど。

「アイメイトって?」
 僕は彼女に聞いた。
「私はご主人様の目の代わりをしているの。彼女、目が見えないのよ」

「へ~、そうなんだ。リリイちゃんはすごいんだね」
 僕の言葉も耳に入らないのか、彼女は寝室のドアの前に座り、じっと中の様子をうかがっている。
 僕も耳を澄ますと、衣擦れやため息が聞こえてくる。
 

 この状態では暫くの間、多分明日の朝までは寝室のドアは開かないことを経験的に知っていた僕は、彼女を説得して居間へ移動し、ソファに座らせた。
「大丈夫だよ、君のご主人様は。僕のご主人様が側についているんだし。それに、ひょっとしたら、これからはずっとこんなふうな生活が待っているかも知れないよ」

 リリイちゃんとともに過ごす生活。もちろん、僕のご主人様と彼女のご主人様も一緒だ。
 なんて素晴らしい。

 明け方、ドアの開く音を聞き、僕は寝室に向かった。
 ご主人様は隣の浴室の洗面台のところにいた。手には注射器を持っている。

 僕のご主人様は動物のお医者さんで、時々僕に注射をする。
 僕は嫌だったけれど、いつもちゃんと我慢した。今回もちゃんと注射を受けた。

 そしたら、なぜかすぐに眠たくなって、その後のことはよく覚えていない。
 目を覚ました時に、リリイちゃんはいなくなっていた。もちろん彼女のご主人様も。

 僕が眠っている間に帰ってしまったんだろう。
 
 そして、それから二度とリリイちゃんには会えなかった。
 僕とご主人様は引っ越したのだ。
 まただ。
 この前も、女の人が家に来て、その後すぐに引っ越した。

 そのちょっと前にごちそうのお肉をたっぷり食べれらるのだけれど、それでも引っ越しは辛いよ。
 
 リリイちゃんにもう一度会いたいなあ。駄目かなあ。


終わり
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