眠れる人

火消茶腕

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眠れる人

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 なぜだ?
 なぜいつもの朝と違う?

 王様は焦っていました。今まで、一度もなかったことが起こったからです。
 これはまずいことになったかもしれない。
 王様は頭を抱えこみました。

 さて、王様をこれ程動揺させた出来事とは何でしょうか?
 それは、お妃様が目を覚まさない、ということなのです。

 もちろん、お妃様は死んでしまったわけではありません。顔色も良く、安らかな表情で、静かに寝息を立て、布団の中にいます。

 では、なぜ王様は焦っているのでしょう。何度起こしても起きないなら、お妃様を放って置いて、自分だけ顔を洗って、朝食を食べに行けばいいはずですよね。
 しかし、そういう訳にはいきませんでした。なぜなら、お妃様は少し変わった経歴の持ち主だったからです。
 
 彼女はある国の王女として生まれました。しかし、誕生のお祝いで、ちょっとしたトラブルが起こり、その御蔭で、14歳になってからはしばらくの間、ずっと眠っていたのです。
 そう、あの有名な話の当事者だったのです。

 王様は(当時はまだ王子様でしたが)そんなお妃様の噂を聞きつけ、茨だらけのお城に入っていって、彼女を眠りから覚まし、そこから連れだして、自分の妻としました。

 それで、お話は、めでたしめでたしお終い、となるはずだったのですが……。
 お妃様にかけられた呪いはまだ残ってたのでしょうか。彼女は、一旦眠ってしまうと、王様が口づけをしない限り、目を覚ますことはなかったのでした。
 
 そのため、王様は出会ってからずっと、必ず朝一番にお妃様のもとを訪れ、その寝顔に口づけをしていました。
 王様はそのことに特別不満を感じてはいませんでしたし、お妃様もそれを嫌がっていませんでしたが、今朝、急に、彼女は王様が口づけをしても目を覚まさなかったのです。
 
 いつもならすぐに目をぱっちりと開け、王様に微笑むと「おはようございます、王様」と、明るく挨拶していたのですが、何度口づけをしても駄目でした。
 王様はしょうがなくて、お妃様を揺すったり、叩いたり、大声で呼んだりしましたが、彼女は一向に起きる気配はありませんでした。
 
 まさか!
 王様は、いつかお妃様から聞いたことを思い出しました。
 
 ある日、王様はふと疑問に思い、お妃様に尋ねたのです。
 僕がたまたま通りかかり、荊の城と眠れる君の噂を聞いて君を訪ね、口づけをして君の目を覚まさせたわけだけど、別に僕でなくても良かったのだろうか?僕は偶然の幸運に感謝すべきなんだろうか?、と。

 すると、お妃様は答えました。
 あなたが通りかかって、私の噂を聞いたのは偶然でも、私が目を覚ませたのはあなたが私を心から思ってくれたからです。
 私の呪いは、本当に愛してくれる者の口づけでなければ解けない、と言われてました、と。

 だとすると、今朝、お妃様が目覚めないのは……。

 王様には心当たりがありました。
 お妃様の眠っている姿を初めて見た時のあの深い感動、胸の高鳴りは今もはっきりと覚えています。しかし、二人で過ごした時間はすでに長く、想いは徐々に色褪せてきていました。

 そして、彼女の出現。
 王様はしばし悩みました。幾度となく安らかに眠るお妃様を眺め、考え、そしてついに思い切ると隣室に移動し、そこで執事を呼びました。

「なにか御用でしょうか?王様」
 執事がすぐに駆けつけ、聞きました。
「最近入った小間使いだが……」

「最近雇われた小間使い……?エマのことでしょうか?」
 執事が尋ねました。
「ああ、そうそう、そんな名前だったか?その、エマだが、即刻クビにするように」
 王様は言いました。

 執事は意外な顔を一瞬すると、王様に言いました。
「訳をお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
 王様は頭を振り、
「次の勤め口の世話と、退職金は弾んでやってくれ」
 そう言って、執事を追いやりました。

 想いを告げることもなく、指一本触れることもなかった娘ではありましたが、王様はエマの悲しそうな顔を想像すると、胸が痛みました。
 けれどそれを頭から無理矢理追い出すと、王様は再びお妃様の寝室に向かいました。

 さっきと変わらず、すやすやとお妃様は眠っています。王様は顔を近づけると、意を決して、今日、何度目かの口づけを彼女にしました。
 すると、どうでしょう。お妃様は目をぱっちりと開き、「おはようございます、王様」と、挨拶しました。
 日常が戻ってきたのです。王様は心底ホッとしました。

 けれど、ホッとしたのはお妃様も一緒でした。王様が気にかけていた小間使いを追い出してくれなかったなら、ずっと眠っていなければなりませんでしたから。

 実を言うと、お妃様は自分の城で目を覚まして以来、一度も眠ったことはなかったのです。だって、百年も寝ていたのですからね。

 けれどもお妃様はみんなに心配されるのを嫌い、誰にもその事は言いませんでした。そして、夜になると、寝たふりをし、皆が寝静まった頃にそっと起き出して、一人でいろいろなことをしていました。

 中でもお気に入りは、王様の寝顔をずっと見ていることだったのですが、最近、王様が小間使いの名前を寝言で何度か口走るのを聞いてしまったのです。

 そこで、今朝、いつものように口づけしてきた王様を無視して、寝たふりを続けました。王様が隣室に行って、執事を呼んだときには、そっと起き出して、聞き耳を立てていました。

 本当に思い通りになってよかった、と、お妃様は思いました。
 ちょっと、王様を騙している気はするけど、再び、こんな真似をしなくてもいいように、他の女に心を奪われないように、もっと王様に想いを尽くそう。
 
 お妃様は爽やかな目覚めの顔を王様に向けると、心に誓うのでした。

終わり
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