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拝啓、北の国から
12月28日 21:30④
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高崎家の人々に報告したいのは、パートナーシップ制度の申し込みをしたことと、奏人が今年イラストで幾らかの収入を得たことである。6月の濱涼子のコンサートのフライヤーを手掛けたことをきっかけに、あの時出演していたフルーティストの秋のコンサートや、チェリストが指導に行っている学生オーケストラの定期演奏会のフライヤーを、奏人はデザインした。
また、奏人が教えに行っている奈良の女子大の文芸部が、上下巻の文芸誌を刊行した。この中には挿絵として奏人の絵が十数枚使われている(彼の絵を元に部員たちが中短編を書いたのである)。部員が同人誌頒布会にそれを持ち込んだところ、予想外によく売れて、ネット上でも噂が広まった。
兼ねてより声をかけられていたので、秋に暁斗は奏人とともに文芸部員たちと奈良で食事をした。本が売れ過ぎて在庫が減り、まさかの第2版増刷を検討していると、彼女らは嬉しそうに話してくれた。奏人は謝礼を最初から固辞していたのだが、その日遂に握らされてしまったのだった。
「お義母さん、喜んでくれるよ……片山さんの話はどうかな、あまりしないほうがいいの?」
暁斗はドリンクメニューを開きながら訊いた。いや別に、と奏人は答えたが、彼が半ば無理矢理転学させられた過去に触れざるを得ないので、義母は気にするかもしれない。
「……片山先輩のこと、たぶん覚えてると思うんだよね……練習でピアノの伴奏をしたグリーのバリトンが教育大に受かったんだって、お母さんにだけ話したから」
奏人の母は、かつて活躍を期待されたヴァイオリニストだ。夫の死後、自宅でピアノ教室を始めて、今も沢山の子どもたちに教えている。北海道出身の歌手に注目してもおかしくないし、何なら今夜のコンサートを配信で観ているかもしれない。
「あ、でもね暁斗さん、お母さんは暁斗さんが思ってるほど繊細じゃないから、話題に神経使わなくていいよ」
「えーっ、奏人さんのその評価、信用できないぞ」
息子の連れ合いは無神経な奴だと思われたくないところだ。とにかく身体が温まったので、暁斗は地ビールと、刺身の盛り合わせを頼んだ。
「というか奏人さん、ちょいお願いというか、インスタに上げる絵なんだけど」
暁斗は空いた器と徳利を寄せながら、思いついて言う。
「ぼーっとメシ食ってる絵とか、その……事後に爆睡してるような絵は、あまり新しいのを上げないでほしい、かも……取引先から突っ込まれる頻度がこの夏くらいから高くなったんだ」
奏人の教える大学の文芸部の学生たちも、予想以上にそういう絵を選んでいたので、一瞬どうしようかと思ったのだ。ちょっと意を決して言ったのに、それを聞いた奏人は、一瞬ぽかんとした。そして、意地の悪い笑いを浮かべる。
「うーん、どうしようかなぁ」
「いや、アステュートの人たち、めちゃ奏人さんのインスタ見てるんだって」
「そうなの? 有り難いなぁ……ああでも、その中に幣原さん含まれてるよね」
幣原とは、アステュート株式会社の営業担当である。彼はゲイで、ノーとはっきり言ってから多少マシになったが、暁斗に言い寄ってくるので困っている。
「ご飯食べてるとかやった後とかの暁斗さん、人気あるんだよね……アップする以上は僕だって見てもらいたいし」
「いやいや、幣原さんはまあいいとして、晴夏も結婚考えてるから……兄の半裸絵がネットに出回ってるのって、微妙だろ?」
これは少し響いたのか、奏人はなるほど、と真面目な顔になった。
「晴夏さんの長年のお友達2人はたぶん僕のフォロワーなんだけど、婚約者が温かい目で見てくれるかはわからないよね」
妹はかつて、兄がゲイであることをどうこう言うような男とはつき合わないと言ってくれた。彼女のお相手は武井といい、偶然にも暁斗のかつての大口顧客の担当者で、暁斗の素性を知っている。デパートの紳士服売り場で勤務する晴夏に、桂山さんのお身内ですかと振ってきたのは武井のほうで、暁斗たちが会社から発行しているニューズレターをずっと読んでいると話したという。
晴夏が彼との仲を深めていると母から聞いたとき、暁斗は心から安心した。そんなご縁でもなければ、男に対して求めるものが多い晴夏が、30代後半になって結婚前提の交際をしようなどとは思わないだろう……。
例えばだけど、と奏人はクラフトビールを受け取りながら言った。
「勇人に結婚したい女性ができて、彼女のお兄さんが裸をネットで晒してたとしても、絵や写真のモデルだったら僕なら全然構わないけど」
現時点で独身の弟を引き合いに出した、奏人の言うことももっともだった。暁斗だって、自分が武井や彼の身内の立場なら、全然構わない。
深い色味のビールは、グラスの中で細かい泡を立て、いかにも美味しそうだった。奏人は暁斗のグラスに、自分のそれをかちん、と当てた。
また、奏人が教えに行っている奈良の女子大の文芸部が、上下巻の文芸誌を刊行した。この中には挿絵として奏人の絵が十数枚使われている(彼の絵を元に部員たちが中短編を書いたのである)。部員が同人誌頒布会にそれを持ち込んだところ、予想外によく売れて、ネット上でも噂が広まった。
兼ねてより声をかけられていたので、秋に暁斗は奏人とともに文芸部員たちと奈良で食事をした。本が売れ過ぎて在庫が減り、まさかの第2版増刷を検討していると、彼女らは嬉しそうに話してくれた。奏人は謝礼を最初から固辞していたのだが、その日遂に握らされてしまったのだった。
「お義母さん、喜んでくれるよ……片山さんの話はどうかな、あまりしないほうがいいの?」
暁斗はドリンクメニューを開きながら訊いた。いや別に、と奏人は答えたが、彼が半ば無理矢理転学させられた過去に触れざるを得ないので、義母は気にするかもしれない。
「……片山先輩のこと、たぶん覚えてると思うんだよね……練習でピアノの伴奏をしたグリーのバリトンが教育大に受かったんだって、お母さんにだけ話したから」
奏人の母は、かつて活躍を期待されたヴァイオリニストだ。夫の死後、自宅でピアノ教室を始めて、今も沢山の子どもたちに教えている。北海道出身の歌手に注目してもおかしくないし、何なら今夜のコンサートを配信で観ているかもしれない。
「あ、でもね暁斗さん、お母さんは暁斗さんが思ってるほど繊細じゃないから、話題に神経使わなくていいよ」
「えーっ、奏人さんのその評価、信用できないぞ」
息子の連れ合いは無神経な奴だと思われたくないところだ。とにかく身体が温まったので、暁斗は地ビールと、刺身の盛り合わせを頼んだ。
「というか奏人さん、ちょいお願いというか、インスタに上げる絵なんだけど」
暁斗は空いた器と徳利を寄せながら、思いついて言う。
「ぼーっとメシ食ってる絵とか、その……事後に爆睡してるような絵は、あまり新しいのを上げないでほしい、かも……取引先から突っ込まれる頻度がこの夏くらいから高くなったんだ」
奏人の教える大学の文芸部の学生たちも、予想以上にそういう絵を選んでいたので、一瞬どうしようかと思ったのだ。ちょっと意を決して言ったのに、それを聞いた奏人は、一瞬ぽかんとした。そして、意地の悪い笑いを浮かべる。
「うーん、どうしようかなぁ」
「いや、アステュートの人たち、めちゃ奏人さんのインスタ見てるんだって」
「そうなの? 有り難いなぁ……ああでも、その中に幣原さん含まれてるよね」
幣原とは、アステュート株式会社の営業担当である。彼はゲイで、ノーとはっきり言ってから多少マシになったが、暁斗に言い寄ってくるので困っている。
「ご飯食べてるとかやった後とかの暁斗さん、人気あるんだよね……アップする以上は僕だって見てもらいたいし」
「いやいや、幣原さんはまあいいとして、晴夏も結婚考えてるから……兄の半裸絵がネットに出回ってるのって、微妙だろ?」
これは少し響いたのか、奏人はなるほど、と真面目な顔になった。
「晴夏さんの長年のお友達2人はたぶん僕のフォロワーなんだけど、婚約者が温かい目で見てくれるかはわからないよね」
妹はかつて、兄がゲイであることをどうこう言うような男とはつき合わないと言ってくれた。彼女のお相手は武井といい、偶然にも暁斗のかつての大口顧客の担当者で、暁斗の素性を知っている。デパートの紳士服売り場で勤務する晴夏に、桂山さんのお身内ですかと振ってきたのは武井のほうで、暁斗たちが会社から発行しているニューズレターをずっと読んでいると話したという。
晴夏が彼との仲を深めていると母から聞いたとき、暁斗は心から安心した。そんなご縁でもなければ、男に対して求めるものが多い晴夏が、30代後半になって結婚前提の交際をしようなどとは思わないだろう……。
例えばだけど、と奏人はクラフトビールを受け取りながら言った。
「勇人に結婚したい女性ができて、彼女のお兄さんが裸をネットで晒してたとしても、絵や写真のモデルだったら僕なら全然構わないけど」
現時点で独身の弟を引き合いに出した、奏人の言うことももっともだった。暁斗だって、自分が武井や彼の身内の立場なら、全然構わない。
深い色味のビールは、グラスの中で細かい泡を立て、いかにも美味しそうだった。奏人は暁斗のグラスに、自分のそれをかちん、と当てた。
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