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教えて! 高崎先生
4月下旬 GW前④
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講義の終了時間が近づくと、高崎は席と席の間の通路をゆっくり歩いて出席カードを配りながら話を続けた。後ろのほうに座る学生はこの時を楽しみにしている雰囲気があるが、深雪は高崎が何故か少し怖かった。彼は自分の心の中に鋭い刃を向けてくる、審判の天使のようである。
「今テキストで紹介した言葉に、この嫌らしい矛盾の答えになりそうなこともいくつかありますから、休み中に自分で考えてみてください……ただ私が言っておきたいのは、他人に多大な迷惑をかけるものでなければ、利己的であることは決して罪ではないということです」
そうなんかな? 深雪は不安になる。高校時代の友人たちが争うのを、自分には関係が無いと思って、高みの見物を決め込んでいるだけではないのか? それで最終的にはそれがバレて、3人ともにそっぽを向かれるのではないか。
A6サイズの出席カードは、名前だけを書いて提出するには少々大きい。学生が、ここに学籍番号と名前以外のことを書いてもいいということだが、教員によって扱い方が違う。講義中きちんと話を聞いていたかを確認するためなのか、必ず感想を書けと指示する人もいれば、あまり読まないから大切な質問は書かないでと言う人もいる。高崎は、質問があれば書いてもいいと話していた。
質問以外のことを書いている不埒な学生もいるのか、皆カードに向き合う時間が長い。それを見越して、高崎の講義も最後の10分は緩い雑談寄りになる。深雪は迷ったが、友人全員と仲良くしたいと思う気持ちが、利他のふりをした利己的行為のように思えてならないことを述べ、金銭的、名誉的利害が絡まない人間関係でも、こういう考え方は当てはまるのかと質問を書き込んだ。
「はいお疲れさまでした、カードの提出忘れないでください……月末だから公欠届などがある人も、今日出さないと教務課が処理してくれないですよ」
扉に近い席の学生がまず立ち上がり、前から順に何となく列を作り、カードを教卓の上の小箱に入れて大教室を去って行く。高崎はマイクを片づけながら、学生たちににこやかに挨拶していた。ぱっと見るとアイドルのファンクラブの集いのようにも見えなくない。
先生ゴールデンウィークはどっか行きはるんですか? と帰り際に訊いている者もいる。高崎は、5日に連れ合いの実家に行きます、と律儀に答えて、その場にいた学生たちをどよめかせていた。でも、あきとさんの実家は東京の立川市というところ(深雪は東京についてほとんど知らないので、立川市がどこに位置するのかもわからない)で、泊まらせてもらうけれど旅行ではないということらしい。
「ほんとだ、立川って23区から近いね、ここから大阪駅くらい?」
泉谷が理系の学生らしく、スマートフォンで地図や乗換情報のアプリを開き、教卓周辺の雑談の情報を早速調査している。深雪はふうん、と言った。
「私の通学時間くらいか、めちゃくちゃ近いってことでもないな」
「え、1時間って近くない?」
深雪はそう言う泉谷と顔を見合わせた。そっか、この人四国人やった。四国は近畿圏ほど電車が走っていないということに思い当たる。
「泉谷さんは実家帰るん?」
深雪が訊くと、彼女はちょっとだけ、と答える。
「明日の朝に奈良を出て、2日の3限は授業あるから、それに間に合うように帰ってくるつもり」
「3泊? そんだけでいいの?」
「うん、3日からバイト出てほしいって言われてるし」
「バイト行くんや、偉いなぁ……私も探さなあかん」
公美子が促してきたので席から腰を上げ、3人で出席カードを出しに行く。紙の箱の中にカードを順番に入れると、高崎はのんびり歩いてきた文芸部の1回生たちに、不意に言った。
「あとでちょっとだけ文芸部のお部屋を覗きますね、重野先生がメールをくださったので」
それを聞いて、3人は一斉に背筋を伸ばし、公美子がはい、わかりました、と声を上ずらせた。深雪はくだらない質問を出席カードに書いたことを後悔した。高崎は金曜にしか来ないので、カードに書かれた質問への返事は原則3日以内にメールでおこなうと言っており、ゴールデンウィーク中に深雪の中で何らかの答えを見つけるまでは、彼の顔を見ないでいいと思っていたからである。
「わー高崎先生来るんだ、楽しみ」
大教室を出てから、泉谷は嬉し気に言った。公美子が突っ込む。
「今日はバイト行ったらあかんで」
「行かない行かない、授業終わったら速攻そっちの棟に行く~」
深雪と公美子は文学部棟に、泉谷は理学部棟に、それぞれ4限目の専門科目を受けるべく向かう。高崎がどんな返事をくれるのか気になって仕方がなかったが、とりあえず次の英語の授業の課題を乗り切るのが、深雪の最優先事項だった。
「今テキストで紹介した言葉に、この嫌らしい矛盾の答えになりそうなこともいくつかありますから、休み中に自分で考えてみてください……ただ私が言っておきたいのは、他人に多大な迷惑をかけるものでなければ、利己的であることは決して罪ではないということです」
そうなんかな? 深雪は不安になる。高校時代の友人たちが争うのを、自分には関係が無いと思って、高みの見物を決め込んでいるだけではないのか? それで最終的にはそれがバレて、3人ともにそっぽを向かれるのではないか。
A6サイズの出席カードは、名前だけを書いて提出するには少々大きい。学生が、ここに学籍番号と名前以外のことを書いてもいいということだが、教員によって扱い方が違う。講義中きちんと話を聞いていたかを確認するためなのか、必ず感想を書けと指示する人もいれば、あまり読まないから大切な質問は書かないでと言う人もいる。高崎は、質問があれば書いてもいいと話していた。
質問以外のことを書いている不埒な学生もいるのか、皆カードに向き合う時間が長い。それを見越して、高崎の講義も最後の10分は緩い雑談寄りになる。深雪は迷ったが、友人全員と仲良くしたいと思う気持ちが、利他のふりをした利己的行為のように思えてならないことを述べ、金銭的、名誉的利害が絡まない人間関係でも、こういう考え方は当てはまるのかと質問を書き込んだ。
「はいお疲れさまでした、カードの提出忘れないでください……月末だから公欠届などがある人も、今日出さないと教務課が処理してくれないですよ」
扉に近い席の学生がまず立ち上がり、前から順に何となく列を作り、カードを教卓の上の小箱に入れて大教室を去って行く。高崎はマイクを片づけながら、学生たちににこやかに挨拶していた。ぱっと見るとアイドルのファンクラブの集いのようにも見えなくない。
先生ゴールデンウィークはどっか行きはるんですか? と帰り際に訊いている者もいる。高崎は、5日に連れ合いの実家に行きます、と律儀に答えて、その場にいた学生たちをどよめかせていた。でも、あきとさんの実家は東京の立川市というところ(深雪は東京についてほとんど知らないので、立川市がどこに位置するのかもわからない)で、泊まらせてもらうけれど旅行ではないということらしい。
「ほんとだ、立川って23区から近いね、ここから大阪駅くらい?」
泉谷が理系の学生らしく、スマートフォンで地図や乗換情報のアプリを開き、教卓周辺の雑談の情報を早速調査している。深雪はふうん、と言った。
「私の通学時間くらいか、めちゃくちゃ近いってことでもないな」
「え、1時間って近くない?」
深雪はそう言う泉谷と顔を見合わせた。そっか、この人四国人やった。四国は近畿圏ほど電車が走っていないということに思い当たる。
「泉谷さんは実家帰るん?」
深雪が訊くと、彼女はちょっとだけ、と答える。
「明日の朝に奈良を出て、2日の3限は授業あるから、それに間に合うように帰ってくるつもり」
「3泊? そんだけでいいの?」
「うん、3日からバイト出てほしいって言われてるし」
「バイト行くんや、偉いなぁ……私も探さなあかん」
公美子が促してきたので席から腰を上げ、3人で出席カードを出しに行く。紙の箱の中にカードを順番に入れると、高崎はのんびり歩いてきた文芸部の1回生たちに、不意に言った。
「あとでちょっとだけ文芸部のお部屋を覗きますね、重野先生がメールをくださったので」
それを聞いて、3人は一斉に背筋を伸ばし、公美子がはい、わかりました、と声を上ずらせた。深雪はくだらない質問を出席カードに書いたことを後悔した。高崎は金曜にしか来ないので、カードに書かれた質問への返事は原則3日以内にメールでおこなうと言っており、ゴールデンウィーク中に深雪の中で何らかの答えを見つけるまでは、彼の顔を見ないでいいと思っていたからである。
「わー高崎先生来るんだ、楽しみ」
大教室を出てから、泉谷は嬉し気に言った。公美子が突っ込む。
「今日はバイト行ったらあかんで」
「行かない行かない、授業終わったら速攻そっちの棟に行く~」
深雪と公美子は文学部棟に、泉谷は理学部棟に、それぞれ4限目の専門科目を受けるべく向かう。高崎がどんな返事をくれるのか気になって仕方がなかったが、とりあえず次の英語の授業の課題を乗り切るのが、深雪の最優先事項だった。
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