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教えて! 高崎先生
4月中旬②
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一般教育科目は履修生が多いため、授業も大教室でおこなわれる。深雪は友人たちとそのだだっ広い部屋に入り、1回生はなるべく前のほうの席に座るようにという、初回の授業の指示に従って席を探す。時間が迫っていたので、本当に前方の席しか空いていなかった。
ほどなくしてチャイムが鳴った。ざわざわした教室の前方の扉が開き、どちらかというと華奢な男性が、ファイルと本を右腕に抱えてすいと入ってくる。
「皆さんこんにちは」
正面の机の前に立った講師の口から、耳に快い声が流れ出る。その瞬間、大教室の中はしんと静まったが、あ、マイク入ってなかった、と彼がひとりごちるのが聞こえると、くすくすと忍び笑いが後ろのほうの席から聞こえた。
「履修登録が完了して初めての授業ですから、初めましての人もいらっしゃいますね? 哲学概論の担当の高崎奏人です、よろしくお願いします」
マスクを取ることは、大人数での授業時は教員も学生も未だ許されていない。高崎講師は顔の下半分をベージュのマスクで隠していたが、大きな目や綺麗な形の眉、それにつるんとした肌だけで、美しい顔をしていることが十分見て取れる。
「えっとですね、今日正門に初めて見るお顔の守衛さんがいらっしゃったんですよ……私が構内に入ろうとしたら、男子学生は約束が無かったら入れませんって、久しぶりに言われました」
社会人になってから大学院を出たということは、高崎は30に手が届いている可能性が高いのだが、ネクタイにベストというきちんとした格好にもかかわらず、それこそ大学院生くらいにしか見えなかった。彼を教員と知らない守衛が止めるのも無理はない。
教員を目の保養にするなんて、中高生じゃあるまいし、と最初深雪は思った。だが高崎は確かに目の保養だった。顔はもちろんのこと、アームガーターで止められた袖から覗く手首は、下手をすると大柄な女より細いのに、男性的な色気がある。そもそもこの恰好が、異様に似合っていた。イギリスのオックスブリッジに通う、上流階級の子息という雰囲気である。
「守衛さんをネタにして申し訳ないんですが、彼は私をひと目見て、学生だと判断した……それで今日はまず、人間の思い込みの功罪、みたいな話から始めましょうか」
高崎は雑談のように軽く話を進めた。学生たちは、面白いならちゃんと聞こうかな、という目で彼を見る。
大学の教員は、居眠りをしていたり集中力に欠ける行動を見せたりする学生がいても、周囲の邪魔にならなければ、高校時代の先生たちのようにいちいち叱らない。入学して半月近くが経ち、これが大学の授業なのだな、と深雪は思う。教員は知識を提供することだけが仕事。学生はそれを自己責任の上で受け取る。ただ、大学生は、教員を選ぶことができるのだ。
「はあぁ、目と脳に美のシャワーを浴びたわ」
深雪と同じ、英文学科で文芸部の1回生の三城公美子が呟いた。東大阪市住まいの彼女は、大阪市内から通学する深雪と経路が途中まで一緒だということもあり、現時点で一番親しい同級生である。
「高崎先生って、美術部にたまに顔出すんやって……美術部の子から聞いた」
「絵も描かはるってこと?」
深雪はちょっと驚いて、公美子に訊いた。そうみたいやで、と友人は応じる。
「しかも訊いたらアドバイスしてくれはるらしいわ、羨ましい」
高崎は一見冷たそうに見えるが、結構親切だ。授業中も、大学の雰囲気に慣れない1回生を気遣ってくれている節があるし、授業の後に質問に来る学生にもきちんと対応する。
「ふうん、確かにちょっと羨ましいなぁ……」
などと答えてしまう自分が、周囲に迎合しているようで何だか嫌だった。廊下の向こうから、英語のクラスが一緒の子が小走りで近づいてきた。
「あ、三城さん……と小嶋さんで合ってた? 次の教室どこかわからへんし連れてって」
「え、そっちやと思うんやけど」
教室移動はまだまだ慣れない。だから、連れ立って動く。あまり大きくないこの大学でもこんな調子なのに、沢山の学部がある広い総合大学に通う人は、毎日迷わないのだろうか。深雪は、そういう意味でも自分にはこの大学が合っていると思うのだった。
ほどなくしてチャイムが鳴った。ざわざわした教室の前方の扉が開き、どちらかというと華奢な男性が、ファイルと本を右腕に抱えてすいと入ってくる。
「皆さんこんにちは」
正面の机の前に立った講師の口から、耳に快い声が流れ出る。その瞬間、大教室の中はしんと静まったが、あ、マイク入ってなかった、と彼がひとりごちるのが聞こえると、くすくすと忍び笑いが後ろのほうの席から聞こえた。
「履修登録が完了して初めての授業ですから、初めましての人もいらっしゃいますね? 哲学概論の担当の高崎奏人です、よろしくお願いします」
マスクを取ることは、大人数での授業時は教員も学生も未だ許されていない。高崎講師は顔の下半分をベージュのマスクで隠していたが、大きな目や綺麗な形の眉、それにつるんとした肌だけで、美しい顔をしていることが十分見て取れる。
「えっとですね、今日正門に初めて見るお顔の守衛さんがいらっしゃったんですよ……私が構内に入ろうとしたら、男子学生は約束が無かったら入れませんって、久しぶりに言われました」
社会人になってから大学院を出たということは、高崎は30に手が届いている可能性が高いのだが、ネクタイにベストというきちんとした格好にもかかわらず、それこそ大学院生くらいにしか見えなかった。彼を教員と知らない守衛が止めるのも無理はない。
教員を目の保養にするなんて、中高生じゃあるまいし、と最初深雪は思った。だが高崎は確かに目の保養だった。顔はもちろんのこと、アームガーターで止められた袖から覗く手首は、下手をすると大柄な女より細いのに、男性的な色気がある。そもそもこの恰好が、異様に似合っていた。イギリスのオックスブリッジに通う、上流階級の子息という雰囲気である。
「守衛さんをネタにして申し訳ないんですが、彼は私をひと目見て、学生だと判断した……それで今日はまず、人間の思い込みの功罪、みたいな話から始めましょうか」
高崎は雑談のように軽く話を進めた。学生たちは、面白いならちゃんと聞こうかな、という目で彼を見る。
大学の教員は、居眠りをしていたり集中力に欠ける行動を見せたりする学生がいても、周囲の邪魔にならなければ、高校時代の先生たちのようにいちいち叱らない。入学して半月近くが経ち、これが大学の授業なのだな、と深雪は思う。教員は知識を提供することだけが仕事。学生はそれを自己責任の上で受け取る。ただ、大学生は、教員を選ぶことができるのだ。
「はあぁ、目と脳に美のシャワーを浴びたわ」
深雪と同じ、英文学科で文芸部の1回生の三城公美子が呟いた。東大阪市住まいの彼女は、大阪市内から通学する深雪と経路が途中まで一緒だということもあり、現時点で一番親しい同級生である。
「高崎先生って、美術部にたまに顔出すんやって……美術部の子から聞いた」
「絵も描かはるってこと?」
深雪はちょっと驚いて、公美子に訊いた。そうみたいやで、と友人は応じる。
「しかも訊いたらアドバイスしてくれはるらしいわ、羨ましい」
高崎は一見冷たそうに見えるが、結構親切だ。授業中も、大学の雰囲気に慣れない1回生を気遣ってくれている節があるし、授業の後に質問に来る学生にもきちんと対応する。
「ふうん、確かにちょっと羨ましいなぁ……」
などと答えてしまう自分が、周囲に迎合しているようで何だか嫌だった。廊下の向こうから、英語のクラスが一緒の子が小走りで近づいてきた。
「あ、三城さん……と小嶋さんで合ってた? 次の教室どこかわからへんし連れてって」
「え、そっちやと思うんやけど」
教室移動はまだまだ慣れない。だから、連れ立って動く。あまり大きくないこの大学でもこんな調子なのに、沢山の学部がある広い総合大学に通う人は、毎日迷わないのだろうか。深雪は、そういう意味でも自分にはこの大学が合っていると思うのだった。
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