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欠ける月、想い満ちて

11月7日 12:30(と11月5~6日の回想)

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 奏人と出逢って初めて、喧嘩のようなことになった。
 暁斗は自分の気持ちがやや暗いほうに傾いている自覚を持ちつつ、平静を装って出勤していたが、結構これはこたえるなと思わざるを得なかった。



 きっかけは実にくだらないことで、夜ベッドに毛布を入れるかどうか、だったと思う。北海道育ちにもかかわらず、割に寒がりな奏人は、毛布を使いたいと言った。暁斗はまだ要らないと答えた。すると奏人は、ぷっと頬を膨らませて不満を申し立てたのだった。

「暁斗さんは寒いっていう僕の言葉を軽んじるよね、夏もエアコンが寒いって言っても大概無視したし」

 そんなつもりはなかったので、奏人の言い方がちょっと不愉快だった。とは言え寒いという人間に我慢しろというのは酷なので、暁斗は毛布を出した。
 奏人は暁斗が少し気を悪くしていることを察したらしく、寝る時に遠慮気味に暁斗に身体を寄せてきた。暁斗はそんな奏人が可愛いと感じたので、そのまま幸せな眠りに就いたのだが、朝起きると奏人が完全に機嫌を損ねていた。

「暑いって押しのけられたんだけど」
「は?」

 奏人曰く、明け方に少し寝ぼけながら抱きつこうとしたら、暁斗が強く拒否したという。全く無意識の上でのことだったが、とにかく暁斗は奏人に謝った。しかし奏人は余程不満に思ったのだろう、朝はほとんど口をきかなかった。
 こうなると結構頑固な奏人を懐柔するのは難しい。暁斗は諦めて、黙って2人分の弁当を用意し、いつも通りに奏人よりひと足先に家を出た。
 その日の昼、妹の晴夏はるかから珍しく雑談LINEが来た。暁斗の元妻の蓉子ようこと、久しぶりに会ったという話題だった。晴夏は蓉子と今でも連絡を取り合っており、今や元義姉妹というよりは、少し年の離れた友人同士という雰囲気である。
 暁斗は自分の性的指向を理解しないまま蓉子と結婚し、セックスレスが主な原因で離婚した。蓉子を傷つけたという負い目があるので、妹から蓉子が再婚相手やその連れ子と仲良くやっているという話を聞くと、暁斗は素直に嬉しい。晴夏は今年中に一度、3人もしくは奏人を入れて4人で会わないかと提案してきた。悪くない話だと思った。
 残業せずに帰宅すると、奏人が機嫌を直している様子だったので、暁斗は彼と一緒に夕飯の支度をした。煮魚がきれいに作れたので、満足して食卓についた。

「奏人さん、年内に晴夏と蓉子と食事しないか? 晴夏が連絡してきたんだけど」

 きれいな箸遣いで味噌煮の鯖をほぐしていた奏人は、美しい眉をひそめて不快感を顔に出した。

「晴夏さんはいいけど、僕が蓉子さんに会う道理が無いよ」

 暁斗はパートナーの想定外の言葉に、へ? と間の抜けた声を出した。

「僕は別に蓉子さんとお近づきになりたいと思ってないよ……随分前だけど、言ったよね? 僕は女性を好きになったことがないから、暁斗さんと蓉子さんの関係を理解できないし、僕の知らない暁斗さんを知ってる蓉子さんは嫉妬の対象でしかない」

 整然と話す奏人に対して、暁斗は返す言葉が無い。言われてみれば、彼の言う通りのような気もする。彼は続ける。

「蓉子さんもたぶん僕には会いたくないでしょ? 暁斗さんのことが心底憎くて別れた訳じゃなさそうだから」

 暁斗はさっきまでの弾んだ気持ちが一気にしぼむのを感じた。奏人が不快なのであれば仕方ないし、反論しようとは思わない。だがことほか、奏人に強い口調で言われたことに、暁斗は萎えてしまう。そして、まだ機嫌を直してくれていなかったのだと思った。
 まるで叱られた犬のようだと自分でも思いながら、暁斗は粛々と夕飯を済ませた。奏人は片づけが終わると、自室に入ってしまう。彼は書斎として使っている部屋を使うときに扉を閉めないので、とりなすのに茶を淹れて持って行ってもよかったのだが、そうする気にもなれなかった。
 あんなにつんけんしなくてもいいじゃないか。この間カリフォルニアの先生とオンラインで博士論文の話をしていたけれど、思うように進んでいなくて何か言われたのかもしれない。それで俺に八つ当たりをしているのかも。……想像でしかなかったが、暁斗は自分の考えが当たらずとも遠からずだろうと感じていた。



「喧嘩ってほどじゃないだろ、小競り合いじゃないか」

 社員食堂で一緒になった山中企画部長補が、小さく笑いながら言った。この人物に奏人とぎくしゃくしていることを話そうと思ったこと自体、自分のメンタルが相当まずいと暁斗は密かに思う。

「まあ俺はゲイ歴長いから、どちらかと言うと奏人に共感するけどな」

 山中の言葉に、そうですか、と暁斗は応じた。少し納得いかない。

「でも俺は奏人さんと暮らしてるし、蓉子も再婚してるんですよ?」
「蓉子さんの今のご主人だってさ、妻が別れた夫と食事するって聞いたら、あまり面白くないと思うんだが」
「……それはそう……ですけど、妹と蓉子が言い出しっぺなんです」

 ふうん、と山中は言って、食後のコーヒーに口をつける。

「女とノンケの考えることはよくわからん」
「俺ノンケじゃないです」
「じゃ、元ノンケ……あのさ桂山、蓉子さんと妹さん2人で飲んどきゃ丸く収まらないか? おまえ蓉子さんにそんなに会いたいの?」

 いや別に、と暁斗は呟いた。彼女が元気なことが確認できればと思っただけだ。残念ながら、山中の意見が至極真っ当に思えた。
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