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いちねんとはじめてをいわう

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 三連休に台風が過ぎ去り、ぐっと涼しくなったその夜、暁斗は仕事を済ませてから五反田の居酒屋に向かっていた。もう少し若い頃に営業でよく訪れた場所なので、迷うことはなかった。全く気温の下がらない日々が続いていたのに、夜風が冷たいのが、嘘のようである。
 駅西側にある仏教系大学に向かう道なりにその店はあり、けばけばしい看板が出ているわけでもなく、居酒屋と聞いていたが店内もしっとりした雰囲気だった。
 奏人の名前で予約されている個室に一人通され、どうして自分が一番乗りなんだろうと不思議に思いながら(予約の時間を5分過ぎていた)、暁斗は椅子に腰を下ろしてメニューを取り上げた。奏人の話した通り、料理のメニューがなかなか凝っていて、食事の利用にも耐えうるのがいい。
 この店の経営者を昔から知っていると奏人は話したが、たぶん彼の昔の副業の、ゲイ専デリヘルの太客だろうと暁斗は思っている。本業のSEや学者として繋がりのある人なら、そう話すだろうから。そう察することができるくらいには、暁斗は奏人と1年暮らして、彼のことがわかるようになっていた。
 今日の食事会には奏人と、暁斗の会社の先輩である山中やまなか穂積ほづみ、そして彼の若い恋人が参加する予定である。名目は「桂山さんと高崎さんの同居1年&山中さんと南さんの同居開始を祝う」で、まあたまたま時期が重なったから一緒に飲もうというだけだ。
 株式会社エリカワ企画部長補・山中穂積の18歳年下の彼氏であるみなみ隆史たかふみは、この春まで経済産業省の官僚だった。隆史は激務に身体と心を壊してしまい、山中の説得で仕事を辞め、故郷の石川県で、有給休暇を消化しながら静養していた。
 暁斗は自分が奏人と暮らす日々に浮かれていて、山中と彼の恋人にそんな困難が起きていたことに全く気づかなかった。お盆明けに山中から事後報告という形で話を聞き、そう言えば2月ごろに、彼が随分疲れた顔をしていた頃があったと暁斗は思い当たった。心から山中に申し訳なく思い、飲みに誘ったというのもある。
 個室の引き戸が軽い音を立てて開き、店員に案内されてきた山中が、マスクを着けて顔を覗かせた。

「お疲れ、おまえしか来てないの?」
「お疲れさまです、奏人さんがもう来ると思います」
「もう8時になったかと思った、日が落ちるのが早くなったな」
「それはそうですけど、ちょっと大げさですよ」

 暁斗は山中とは、大学から紹介された就職活動のOB訪問以来のつき合いである。山中は暁斗がゲイではないかとずっと疑っていて、自分の使っていた高級デリヘル「ディレット・マルティール」に興味を持たせるべく、愛すべき後輩をけしかけた。つまり山中の策略にはまらなければ、今の暁斗の幸福なプライベートは存在しなかったということである。そういう意味で暁斗は山中に心から感謝していたが、ちょっとそれを本人に対して口にする気になれない。
 店員はサラリーマンたちに物腰柔らかく訊いた。

「飲み物は皆さんお揃いになってからになさいますか?」
「いや、生中2つ持って来て」

 山中はあっさりと言った。おいおい、と暁斗は思ったが、先に飲み始めて不快がる面々でもないので、店員を黙って見送る。

「隆史くんは大丈夫なんですか、飲みに連れ回したりして」
「うん、少しなら大丈夫だ……今日は10月から働く会社の研修に行ってて、さっき終わったって言って来たよ」

 山中の目が優しくなる。子の無い彼にとって年の離れた恋人は、息子のようでもあるらしい。再就職先も無事に決まり、ひと安心だろう。暁斗は山中へのねぎらいもこめて、言った。

「よかったですね、新しい仕事を始められるようになって」
「いやいや、俺の説明が悪かったなぁ、そんな大げさなことじゃなかったんだ……軽いパニック障害と睡眠障害で、パニックはもう出てないし」
「でもまだ眠剤飲んでるんでしょう? 用心するに越したことはないですよ」
「うん……とにかくこれから俺の目の届くところにいてくれるのは安心でいい」

 ビールのジョッキがやってきたので、枝豆とポテトサラダを頼んでから、マスクを外し2人で乾杯した。山中は自分が住む田町の賃貸マンションに、故郷から戻った隆史を、荷物ともども先週迎え入れたという。暁斗は山中の部屋を訪れたことはないが、会社の「全てのマイノリティのための相談室」のメンバーである現場管理課長の清水しみずが、結婚する前は酔っぱらうたびに山中の部屋に転がり込んでいた。清水曰く、山中は無意味に部屋を余らせているらしかったので、隆史と暮らすくらいでちょうどいいのだろう。
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