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それも、賢者のおくりもの

11月29日 18:00①

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 坂井時計店は、現店主の坂井耕造が3代目を継いでいる老舗である。地元の人にはよく知られているが、この土地は駅前がひらけているため、そこにある時計店に客を奪われていることは否めない。
 坂井は父と同じく技術者で、客から時計を預かり分解修理をするのが好きだし、客が大切にしている時計を直して客に喜んで貰うのが使命だと思っている。
 坂井が2代目までと営業方針を変えたとすれば、創作時計の取り扱いを始めたことがそれに当たる。店の宣伝や修理技術の情報交換のためにSNSを始めると、アクセサリーをつくるように、美しい時計をつくる作家たちと出会えた。
 坂井は客に受けそうなデザインの時計をつくる作家数人と契約して、狭い店舗ではあるが、十数点のオリジナル腕時計を販売している。思った以上に売り上げは良く、通りがかりにショーウィンドウを覗く人も増えた。まだ自分の代で店を閉めなくても良さそうだと坂井は手応えを感じている。まあそれ以前に、2人の子どもたちが店を継ぐ気が無いので、物理的に店の存続が難しいのだが。

 日がほぼ落ちて外気が冷えてきた時間に、若い男性が店を訪れた。新顔である。坂井はその客の容姿に、まず気を引かれた。
 黒い髪に白い肌、華奢な身体つきだが、女性ではありえない。マスク越しでも鼻筋の通っているのがわかる美しい横顔を見て、所謂いわゆる美青年とはこういう人を言うのかなと思う。歴史小説が好きな坂井の頭に思い浮かんだのは、森蘭丸や沖田総司の名であった。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは、腕時計の電池の交換をお願いしたいんですが」
 美青年は耳触りの良い声で、きれいな話し方をした。マスクを外せば、もっと良く聴こえるだろうと残念にさえ思う。彼は鞄から小さな巾着袋を出し、古そうな銀の腕時計を取り出す。愛着のあるものだということは、坂井にはすぐにわかった。
「もしかしたら電池切れじゃないかも知れないです、前回交換して1年も経ってなくて」
 坂井は差し出された時計をチェックする。国産の、超高級ではないが良い時計である。10年以上前のモデルであることも、すぐにわかった。
「分解清掃はしたことがありますか?」
「5年ほど前にデパートでお願いしたことがあります、あ……前回の電池の交換はアメリカでやりました」
 外国での電池交換は、国によっては不安なこともあるが、アメリカならまあ大丈夫だろう。
「15年は使ってらっしゃるかな?」
 坂井が問うと、青年は驚いたように大きな目を見開いた。
「はい、来年の春で15年です」
「クォーツの時計の寿命はまあ10年なんですよ、大切に使ってらっしゃるようなのでってるんだと思います」
 電池交換の際に不調を点検するのは、定番の作業である。坂井は青年に椅子を勧めて、話す。
「お預かりしますね、ただ結構年季の入ったものですから、中の部品の劣化がある場合、交換用の部品が手に入らない確率が高いです」
「ああ、そうですよね……」
 青年は長くて細い指を組み、机の上に置く。時計を大切にしている客に現実を告げるのは、いつもちょっと辛い。
「新しい時計をお買い上げになるほうが安くつく可能性もお伝えしておきます」
「はい、それだけ出して直しても15年選手だってことは変わらないですもんね」
 青年は預かり用紙に名前と連絡先を書きながら、大学入学時に親戚にプレゼントされた時計だと話してくれた。それを聞いて、坂井はえっ、と声を上げそうになった。来年の春で33歳ということか。20代半ばにしか見えないな。
 高崎という名の青年は、字も美しく、知性を感じさせた。少なくともこういうちょっとした時に美しい字をさらさらと書けるあたり、育ちが良いのかもしれない。
「では裏を開けてみて、改めて連絡いたします」
「よろしくお願いします」
「すぐにお返しできず申し訳ありません」
「いいえ、お世話かけます」
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