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悩め、歌え
8月④
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美術室を窓から覗くと、独特の匂いがした。高崎の他に3人の部員がキャンバスに向かっており、グリーの部員のように無駄口を叩かず、皆真剣な表情である。あの忌々しい部長がいないので、三喜雄は安心して、高崎の気を引くべく手を振る。
「あ、片山先輩」
高崎が言って立ち上がると、周りの部員が一斉に三喜雄を見た。部屋の引き戸を開けた高崎に、声が飛ぶ。
「彼氏迎えに来たんだ、もう帰る?」
「先輩は彼氏じゃないし、まだ帰らないよ」
高崎は同級生らしきその部員の言葉を笑顔でさらっと流した。どうして自分と同じようにからかわれているのだろうと三喜雄は思い、赤面しそうになる。
「すみません、僕があまり否定しなかったら、片山さんが僕の交際相手みたいになってしまって」
高崎は綺麗な形の眉の裾を下げた。ほぼ毎日学校に来ているらしい彼は、夏の紫外線に日々晒されているはずなのに、変わらず白い肌をしている。
「……俺は否定してもつき合ってることにされてる」
「先輩、女ウケも悪くなさそうですけど、男にモテるでしょ?」
三喜雄は高崎のあけすけな言い方に軽く怯んだ。
「オタクをからかうな、そういう言葉に切り返す経験値が無い」
結構本音を吐いたつもりだったが、高崎はからからと笑った。
「……先輩の性的指向はともかく、僕はあなたの伴奏者ですから、それなりの関係だとは言えるかもですね」
とりあえず今日は、これからお互い1時間部活をして、音楽室で再集合することにした。三喜雄は高崎に礼を言い音楽室に戻る道すがら、ソリストと伴奏者との関係について考えた。
確かにこの数ヶ月で、三喜雄は高崎に、音楽面で絶大な信頼を寄せていた。最近は2人で練習するというよりは、1対1で曲を作り上げている感覚がある。
コンクールの予選で伴奏してくれた関谷には、結果的に高崎と固めたテンポや表現の再現を求めた(その通りに弾いてくれた彼女もまた、優秀なピアニストだと思う)。関谷は三喜雄が特定のピアニストと一緒に練習していることを察していた様子だったが、三喜雄の家族か、身近な人間だと思っていただろう。
三喜雄にはまだ、ピアニストを引っぱっていくほどの歌唱力は無い。だから、自分を乗せてくれる高崎のピアノは心地良い。彼の解釈で歌うことになっているのかもしれないが、三喜雄は特に違和感を抱かないので、それでいいと思っていた。
音楽室に戻れば、三喜雄はピアニストに甘えるソリストではいられない。堂内に、何時まで練習するつもりなのか訊く。
「一応6時までのつもり」
「了解、俺その後で個人練して片づけするからギリギリまでやろう」
三喜雄はセカンドテノールとバリトンの間に座る。1年生のバリトン、金城が救いを求める目で三喜雄を見てきた。
金城はピアノが少し弾けるので譜読みが早い。音程も良く立派な戦力なのだが、さすがに無伴奏の曲を1人で歌うのは辛かったようである。
「田宮来てないの珍しいな、いい練習になっただろ」
三喜雄の言葉に、金城は大きな身体に似合わない弱気な声で応じた。
「どうして見捨てたんですかって、僕が叫びたかったです」
場が爆笑に包まれた。ラテン語オタクと化しつつある田宮のおかげで、1年生は課題曲の内容……十字架にかかり息を引き取る寸前のイエスの姿を歌っていることを、きちんと理解し落とし込んでいるようだ。
「そうだな、それでも2人だからまだ叫ばないといけないなぁ、俺もアカペラは苦手」
楽譜を開きながら三喜雄が言うと、堂内がおいおい、と突っ込んできた。
「おまえらが自由曲に『おらしょ』とか出すから、コンクール2曲ともアカペラデスゲームになったんだろうが!」
「いや、確かに俺は『おらしょ』を推したけど、課題曲でこれ選んだの誰だよ」
俺と小山と深井ちゃん、と堂内が答えたので、その場からブーイングが出る。課題曲は混声・女声・男声でそれぞれ3曲用意されており、任意で選ぶことができる。
声も存在感ものんびり、どっしりしている3年生バスの前山が、おおらかに言った。
「堂内は知らないけど、先生たちがこの曲を推したのなら、たぶんいいんだよ」
皆納得したが、堂内は別面で不満そうである。
「テノールのパーリーとして選んだつもりだぜ、俺は」
「あ……俺パーリーって片山しか認識してないと今気づいた……」
前山は天然で、堂内への悪意はもちろん、受けを狙う気持ちも無い。2、3年生はそれを知っているので、皆笑いを堪えた。
「パー練したほうがいい? パーリーが堂内だって、せめてテノールのメンバーだけでも認識できるように」
三喜雄が提案すると、音程に不安があると思しき連中が笑いながら首を縦に振った。堂内は口をへの字に曲げ、三喜雄に同意する。
「そうしよう、テノールのパートリーダー様が誰だか覚えて帰れよ諸君」
隣の教室にキーボードを出しているようなので、三喜雄はバスとバリトンの連中を率いて移動する。4分強の曲だから、あと30分で十分練習できる。残りの20分で、自由曲の民謡の部分をやろう。頭の中でこんな計算をすることにも、だいぶ慣れたと三喜雄は感じた。
「あ、片山先輩」
高崎が言って立ち上がると、周りの部員が一斉に三喜雄を見た。部屋の引き戸を開けた高崎に、声が飛ぶ。
「彼氏迎えに来たんだ、もう帰る?」
「先輩は彼氏じゃないし、まだ帰らないよ」
高崎は同級生らしきその部員の言葉を笑顔でさらっと流した。どうして自分と同じようにからかわれているのだろうと三喜雄は思い、赤面しそうになる。
「すみません、僕があまり否定しなかったら、片山さんが僕の交際相手みたいになってしまって」
高崎は綺麗な形の眉の裾を下げた。ほぼ毎日学校に来ているらしい彼は、夏の紫外線に日々晒されているはずなのに、変わらず白い肌をしている。
「……俺は否定してもつき合ってることにされてる」
「先輩、女ウケも悪くなさそうですけど、男にモテるでしょ?」
三喜雄は高崎のあけすけな言い方に軽く怯んだ。
「オタクをからかうな、そういう言葉に切り返す経験値が無い」
結構本音を吐いたつもりだったが、高崎はからからと笑った。
「……先輩の性的指向はともかく、僕はあなたの伴奏者ですから、それなりの関係だとは言えるかもですね」
とりあえず今日は、これからお互い1時間部活をして、音楽室で再集合することにした。三喜雄は高崎に礼を言い音楽室に戻る道すがら、ソリストと伴奏者との関係について考えた。
確かにこの数ヶ月で、三喜雄は高崎に、音楽面で絶大な信頼を寄せていた。最近は2人で練習するというよりは、1対1で曲を作り上げている感覚がある。
コンクールの予選で伴奏してくれた関谷には、結果的に高崎と固めたテンポや表現の再現を求めた(その通りに弾いてくれた彼女もまた、優秀なピアニストだと思う)。関谷は三喜雄が特定のピアニストと一緒に練習していることを察していた様子だったが、三喜雄の家族か、身近な人間だと思っていただろう。
三喜雄にはまだ、ピアニストを引っぱっていくほどの歌唱力は無い。だから、自分を乗せてくれる高崎のピアノは心地良い。彼の解釈で歌うことになっているのかもしれないが、三喜雄は特に違和感を抱かないので、それでいいと思っていた。
音楽室に戻れば、三喜雄はピアニストに甘えるソリストではいられない。堂内に、何時まで練習するつもりなのか訊く。
「一応6時までのつもり」
「了解、俺その後で個人練して片づけするからギリギリまでやろう」
三喜雄はセカンドテノールとバリトンの間に座る。1年生のバリトン、金城が救いを求める目で三喜雄を見てきた。
金城はピアノが少し弾けるので譜読みが早い。音程も良く立派な戦力なのだが、さすがに無伴奏の曲を1人で歌うのは辛かったようである。
「田宮来てないの珍しいな、いい練習になっただろ」
三喜雄の言葉に、金城は大きな身体に似合わない弱気な声で応じた。
「どうして見捨てたんですかって、僕が叫びたかったです」
場が爆笑に包まれた。ラテン語オタクと化しつつある田宮のおかげで、1年生は課題曲の内容……十字架にかかり息を引き取る寸前のイエスの姿を歌っていることを、きちんと理解し落とし込んでいるようだ。
「そうだな、それでも2人だからまだ叫ばないといけないなぁ、俺もアカペラは苦手」
楽譜を開きながら三喜雄が言うと、堂内がおいおい、と突っ込んできた。
「おまえらが自由曲に『おらしょ』とか出すから、コンクール2曲ともアカペラデスゲームになったんだろうが!」
「いや、確かに俺は『おらしょ』を推したけど、課題曲でこれ選んだの誰だよ」
俺と小山と深井ちゃん、と堂内が答えたので、その場からブーイングが出る。課題曲は混声・女声・男声でそれぞれ3曲用意されており、任意で選ぶことができる。
声も存在感ものんびり、どっしりしている3年生バスの前山が、おおらかに言った。
「堂内は知らないけど、先生たちがこの曲を推したのなら、たぶんいいんだよ」
皆納得したが、堂内は別面で不満そうである。
「テノールのパーリーとして選んだつもりだぜ、俺は」
「あ……俺パーリーって片山しか認識してないと今気づいた……」
前山は天然で、堂内への悪意はもちろん、受けを狙う気持ちも無い。2、3年生はそれを知っているので、皆笑いを堪えた。
「パー練したほうがいい? パーリーが堂内だって、せめてテノールのメンバーだけでも認識できるように」
三喜雄が提案すると、音程に不安があると思しき連中が笑いながら首を縦に振った。堂内は口をへの字に曲げ、三喜雄に同意する。
「そうしよう、テノールのパートリーダー様が誰だか覚えて帰れよ諸君」
隣の教室にキーボードを出しているようなので、三喜雄はバスとバリトンの連中を率いて移動する。4分強の曲だから、あと30分で十分練習できる。残りの20分で、自由曲の民謡の部分をやろう。頭の中でこんな計算をすることにも、だいぶ慣れたと三喜雄は感じた。
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