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第3幕/学歴は、洗いません。
第4場
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梅雨が明け本格的に夏が来て、ばたばたするうちに前期試験が近づいてきた。咲真は少しだけ試験休みをもらう予定の、アルバイト先に向かった。ホテルのロッカーでネクタイを締め、楽譜の入ったファイルを持って2階に降りると、レストランのチーフがバックヤードで咲真を手招きした。
「おはようございます」
「おはよう松本くん、秋のミニコンサートの話していい?」
チーフが早速話を始めた。咲真がピアノを弾いているのは、このホテルにある3つのレストランのうち、最もカジュアルなイタリアンである。口コミ評価が高く、ディナータイムは大概満席で、ホテルの売り上げに大貢献しているようだ。
11月のとある木曜の夜、コースディナーつき全席予約で、ミニコンサートを開催する企画が持ち上がっていた。あくまでもお試しだが、もし評判が良ければ、定期的に開催したいとホテルの上層部は考えているという。
出演するのは、いつもこの店で演奏する2人のピアニスト、そしてヴァイオリニストとフルーティストだ。それに加えて、8階のチャペルで聖歌隊として歌うソプラノに声がかかっている。
咲真は毎週、ソロで演奏する日と、ヴァイオリニストと一緒に演奏する日の計3日出勤している。それでヴァイオリンの伴奏をすることはほぼ自動的に決まっていた。そして、ソプラノの伴奏も依頼されており、試験明けに楽譜を受け取る予定だった。
「ソプラノの子がね、9月からアメリカに留学するんだって」
チーフの言葉に軽く驚いたが、咲真はすぐに返す。
「そうなんですね、それはおめでたいです」
私立の音大の4回生らしく、歌える人なのだろう。やはり音楽を志す者にとっては、ヨーロッパやアメリカへの留学は、ひとつの目標となる。
「うん、でもちょっとこっちにはめでたくなくてね……企画立案した部長が、どうしても声楽を入れたいんだって」
「聖歌隊の他の人じゃ駄目なんですか?」
「実力的に1人で歌わせられそうなメンバーが、みんな夜は出てこれないって」
結婚式に歌う聖歌隊は、土日の昼間勤務が多い。平日の夜の出勤は難しいかもしれないと咲真も納得する。チーフは続けた。
「それで、伴奏をするのは松本くんだから、松本くんおすすめの歌手を連れてきてもらえないかって話になっちゃって……大学院にいい子いない?」
え、と低い声が出た。そんな大切な人選をアルバイトの自分に投げてくるとは、なかなか雑な対応だと咲真は思う。
「いやまぁ、歌える人は沢山いますよ、ただ平日の夜に来てくれる人がいるかな……」
チーフに答えながら、咲真の脳裏に、人の良い男の笑顔が浮かんだ。
片山三喜雄。声楽コンクールで入賞に加えて聴衆賞を獲得し、大学の卒業コンサートで歌ったシューベルトがローカルな新人賞を受けている。戦歴は地味だが、あのおぼこい男子は声楽専攻科でちょっと異彩を放っていて、先生たちの注目度も高いという。
「……男声じゃ駄目ですか?」
「えーっと、ということは、テノール?」
「バリトンです」
チーフは咲真の言葉に、ふうん、と軽く頷いた。
「出るのは松本くん以外みんな女性だし、もう1人男の子がいてもいいような気がするな……女性客の受けもいいし」
俺らはホストちゃうぞと咲真は密かに突っ込んだが、チーフは、上に提案してみると言ってくれた。
片山とはあれ以来サシで飲んでいないが、学校で会えば話すし、メッセージもやり取りする。確か彼は木曜の夜はドーナツショップでバイトをしているが、まだ先の話なので、休みを取れないか訊いてみようと咲真は考えた。15分ほど歌って、交通費別で、ドーナツ店の時給の15倍は稼げる筈だ。片山にとっても悪い話ではあるまい。
これ、学歴ランドリーズのデビュー戦やん。咲真は楽譜を抱きながら、少しわくわくした。
「おはようございます」
「おはよう松本くん、秋のミニコンサートの話していい?」
チーフが早速話を始めた。咲真がピアノを弾いているのは、このホテルにある3つのレストランのうち、最もカジュアルなイタリアンである。口コミ評価が高く、ディナータイムは大概満席で、ホテルの売り上げに大貢献しているようだ。
11月のとある木曜の夜、コースディナーつき全席予約で、ミニコンサートを開催する企画が持ち上がっていた。あくまでもお試しだが、もし評判が良ければ、定期的に開催したいとホテルの上層部は考えているという。
出演するのは、いつもこの店で演奏する2人のピアニスト、そしてヴァイオリニストとフルーティストだ。それに加えて、8階のチャペルで聖歌隊として歌うソプラノに声がかかっている。
咲真は毎週、ソロで演奏する日と、ヴァイオリニストと一緒に演奏する日の計3日出勤している。それでヴァイオリンの伴奏をすることはほぼ自動的に決まっていた。そして、ソプラノの伴奏も依頼されており、試験明けに楽譜を受け取る予定だった。
「ソプラノの子がね、9月からアメリカに留学するんだって」
チーフの言葉に軽く驚いたが、咲真はすぐに返す。
「そうなんですね、それはおめでたいです」
私立の音大の4回生らしく、歌える人なのだろう。やはり音楽を志す者にとっては、ヨーロッパやアメリカへの留学は、ひとつの目標となる。
「うん、でもちょっとこっちにはめでたくなくてね……企画立案した部長が、どうしても声楽を入れたいんだって」
「聖歌隊の他の人じゃ駄目なんですか?」
「実力的に1人で歌わせられそうなメンバーが、みんな夜は出てこれないって」
結婚式に歌う聖歌隊は、土日の昼間勤務が多い。平日の夜の出勤は難しいかもしれないと咲真も納得する。チーフは続けた。
「それで、伴奏をするのは松本くんだから、松本くんおすすめの歌手を連れてきてもらえないかって話になっちゃって……大学院にいい子いない?」
え、と低い声が出た。そんな大切な人選をアルバイトの自分に投げてくるとは、なかなか雑な対応だと咲真は思う。
「いやまぁ、歌える人は沢山いますよ、ただ平日の夜に来てくれる人がいるかな……」
チーフに答えながら、咲真の脳裏に、人の良い男の笑顔が浮かんだ。
片山三喜雄。声楽コンクールで入賞に加えて聴衆賞を獲得し、大学の卒業コンサートで歌ったシューベルトがローカルな新人賞を受けている。戦歴は地味だが、あのおぼこい男子は声楽専攻科でちょっと異彩を放っていて、先生たちの注目度も高いという。
「……男声じゃ駄目ですか?」
「えーっと、ということは、テノール?」
「バリトンです」
チーフは咲真の言葉に、ふうん、と軽く頷いた。
「出るのは松本くん以外みんな女性だし、もう1人男の子がいてもいいような気がするな……女性客の受けもいいし」
俺らはホストちゃうぞと咲真は密かに突っ込んだが、チーフは、上に提案してみると言ってくれた。
片山とはあれ以来サシで飲んでいないが、学校で会えば話すし、メッセージもやり取りする。確か彼は木曜の夜はドーナツショップでバイトをしているが、まだ先の話なので、休みを取れないか訊いてみようと咲真は考えた。15分ほど歌って、交通費別で、ドーナツ店の時給の15倍は稼げる筈だ。片山にとっても悪い話ではあるまい。
これ、学歴ランドリーズのデビュー戦やん。咲真は楽譜を抱きながら、少しわくわくした。
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