22 / 79
第3幕/学歴は、洗いません。
第2場②
しおりを挟む
歌の演奏は、音を声帯から出すという作業に、歌詞を話すというタスクが必ず加わる。そのため日本語だけではなく、複数の外国語にかかわらなくてはならない。全ての言語で日常会話ができなくてもいいが、歌詞の意味を理解して、正しく発音する必要があるのだ。
とは言え、国内刊行の楽譜なら、和訳が載せてあることも多い。それをきちんと単語から調べているのが偉いと咲真は思ったのだった。
おぼこい男子は咲真の気配に、顔を上げた。咲真は場所柄、黙って手を挙げたが、あちらから小声で挨拶してきた。
「あ、こんにちは、先日はどうも」
小声の標準語で社交的に返す。
「こんにちは、勉強熱心ですね」
「そんな、最低限です」
随分とご謙遜だ。歌詞の意味をろくに調べずに歌う者も少なからずいると、咲真は知っている。この芸大の院にはいないと思うが。
「えっと、こないだは本当にお騒がせしました、俺器楽専攻の1年目の松本といいます」
咲真が自己紹介すると、おぼこい男子は背筋を伸ばした。
「声楽専攻の1年の片山です」
「何や、同いか」
気ぃ使て損した。関西弁に豹変した咲真に、片山はちょっと驚いたようだった。
咲真は片山の斜め前の椅子を引き、座った。鞄から楽譜ではなく一般書籍を出す咲真の手許を、片山はじっと見つめている。
「……何? どうかした?」
咲真は何の気無しに訊いたが、片山は敬語を外して少し緩い話し方になった。
「それ、去年の直木賞だったっけ?」
「お、おう、よう知ってるやん、俺割と時代小説とか好きやねん」
片山が急に懐に入ってきた感じがして、咲真は何故かどぎまぎする。訊かれもしないことを話したくなるほどに、やや明度の下がった片山の話し声は心地良かった。
彼はにっ、と笑う。
「それ面白かった……松本さん結構本読むんだ」
言われて咲真は、まあな、と応じた。
「クラシックやってる人って、めちゃ雑食で何でも読むか、作曲家論とかハウトゥ演奏本以外は全く読まないか、どっちかじゃない?」
片山の言葉に、咲真がこれまで接してきた音楽家は、音楽関係の本しか読まない人が多かったと思う。
「そやなあ、俺は割と何でも読む方やけど、みんなそんな暇無いとか言うな」
「確かに時間は無いけど、俺はできれば本を読む音楽オタクでいたいな」
院まで来といてオタクは無いやろ。咲真は片山の言い方に小さく笑った。
片山に対して興味が湧いた咲真は、夕飯を一緒に食べないかと誘ってみた。すると彼はあっさりと、いいよ、と答えた。
「8時までバイトあるから、ちょっと遅くなってもいいかな」
「うん、バイトどこでやってんの?」
「千駄木の駅前」
咲真は片山の返事に驚く。自分の家の最寄りである根津の、隣の駅だからだ。しかも片山は、千駄木駅から歩いて10分もかからない場所に住んでいるらしい。
「めっちゃご近所やん」
意気投合し、20時過ぎに咲真が千駄木に向かい、駅周辺の店で食事をすることにした。気の良い片山は、何ひとつ異議を唱えず、にこにこしていた。
とは言え、国内刊行の楽譜なら、和訳が載せてあることも多い。それをきちんと単語から調べているのが偉いと咲真は思ったのだった。
おぼこい男子は咲真の気配に、顔を上げた。咲真は場所柄、黙って手を挙げたが、あちらから小声で挨拶してきた。
「あ、こんにちは、先日はどうも」
小声の標準語で社交的に返す。
「こんにちは、勉強熱心ですね」
「そんな、最低限です」
随分とご謙遜だ。歌詞の意味をろくに調べずに歌う者も少なからずいると、咲真は知っている。この芸大の院にはいないと思うが。
「えっと、こないだは本当にお騒がせしました、俺器楽専攻の1年目の松本といいます」
咲真が自己紹介すると、おぼこい男子は背筋を伸ばした。
「声楽専攻の1年の片山です」
「何や、同いか」
気ぃ使て損した。関西弁に豹変した咲真に、片山はちょっと驚いたようだった。
咲真は片山の斜め前の椅子を引き、座った。鞄から楽譜ではなく一般書籍を出す咲真の手許を、片山はじっと見つめている。
「……何? どうかした?」
咲真は何の気無しに訊いたが、片山は敬語を外して少し緩い話し方になった。
「それ、去年の直木賞だったっけ?」
「お、おう、よう知ってるやん、俺割と時代小説とか好きやねん」
片山が急に懐に入ってきた感じがして、咲真は何故かどぎまぎする。訊かれもしないことを話したくなるほどに、やや明度の下がった片山の話し声は心地良かった。
彼はにっ、と笑う。
「それ面白かった……松本さん結構本読むんだ」
言われて咲真は、まあな、と応じた。
「クラシックやってる人って、めちゃ雑食で何でも読むか、作曲家論とかハウトゥ演奏本以外は全く読まないか、どっちかじゃない?」
片山の言葉に、咲真がこれまで接してきた音楽家は、音楽関係の本しか読まない人が多かったと思う。
「そやなあ、俺は割と何でも読む方やけど、みんなそんな暇無いとか言うな」
「確かに時間は無いけど、俺はできれば本を読む音楽オタクでいたいな」
院まで来といてオタクは無いやろ。咲真は片山の言い方に小さく笑った。
片山に対して興味が湧いた咲真は、夕飯を一緒に食べないかと誘ってみた。すると彼はあっさりと、いいよ、と答えた。
「8時までバイトあるから、ちょっと遅くなってもいいかな」
「うん、バイトどこでやってんの?」
「千駄木の駅前」
咲真は片山の返事に驚く。自分の家の最寄りである根津の、隣の駅だからだ。しかも片山は、千駄木駅から歩いて10分もかからない場所に住んでいるらしい。
「めっちゃご近所やん」
意気投合し、20時過ぎに咲真が千駄木に向かい、駅周辺の店で食事をすることにした。気の良い片山は、何ひとつ異議を唱えず、にこにこしていた。
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼第2章2025年1月18日より投稿予定
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる