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第2幕/ふたつ隣の部屋
第2場②
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2つ隣の部屋に越してきた声楽専攻のバリトン、片山三喜雄は明るく気のいい男で、大学院で顔を合わせても何げに世話を焼く亮太に、すぐに懐いてくれた。片山にはサラリーマンの父親とパートタイマーに出ている母親、それに貿易会社に勤務する姉がいる。亮太の実家とは形態が違うが、彼が「普通の家」で育った人間であることは、亮太をいつもほっとさせた。
家族構成から、家事ができない甘えたくんかと思いきや、片山は亮太が教えてやった近所の2つのお勧めスーパーを使い、しっかり自炊している。洗濯や掃除も厭わない様子で、ファストファッションだがいつも清潔感があった。
普通の家出身の芸大生にとって、アルバイトは欠かすことができない。亮太は駅周辺の飲食店や居酒屋で、求人チラシを貼っている店ならすぐに働かせてくれると片山に話した。すると、意外とフットワークの軽い彼は、すぐにアルバイト先を決めた。
「……ドマスにしたのか?」
飲食可能な教室でお互い手弁当を広げていると、片山はバイト先について話してくれた。
「うん、あっちにいた頃もずっとやってたんだ、基本的に仕事は一緒だから」
ドマスことドーナツマスターは、全国チェーンのドーナツショップである。新たに仕事を覚える必要が無いのは楽でいいが、居酒屋のほうが時給が高いのに、と亮太は思った。
「毎日は行かないだろ? 稼ぎになるか?」
亮太の問いに、片山は卵焼きを箸で摘みながら答える。
「まず月4万作れたらいいかなと思ってる……シフトが割に融通きくんだ、院の生活ってまだあまりよくわからないから、ぎちぎちに入れないほうがいいかなと」
「そりゃそうだ、いいコンサートのチケット回って来たり、舞台に出ないかと言われたりするかもしれないし」
何よりも自分たちは、練習をしなくてはならない。吹奏楽器や歌は、ピアノやヴァイオリンのように毎日数時間練習することは無いが、日々の調子は把握しておくべきである。
「ドマスって賄いは出るの?」
「出るよ、ドーナツとかパイとドリンクだけど」
「不健康だな」
亮太は苦笑する。確かに毎回は無理、と片山も笑った。そういう亮太は居酒屋のホールでアルバイトをしていて、少し時間は遅くなるが、比較的ヘルシーな賄いを出してもらっている。まあ居酒屋だと、混雑する時は大声でオーダーを入れなくてはいけないので、声楽家には不向きだなと亮太は思い直した。
片山は朗らかだったがご飯を3分の1ほど残し、弁当箱の蓋を閉めた。少し顔色が良くないのも気になったので、亮太は彼に訊く。
「体調良くないのか?」
片山は正直に、ちょっと、と答えた。
「一昨日くらいから疲れが抜けない感じがするんだ」
「新生活の疲れが出てきたのかもしれないな……今日は早く帰れよ、もうすぐゴールデンウィークだからもうひと踏ん張りだ」
うん、と片山は、亮太の言葉に目を伏せて応じた。大型連休中、羽田から新千歳に向かう飛行機代が高いことも、彼を煩わせているようだ。
「小田は実家に帰るの? 横浜ってここからあっという間なのか」
「うん、通学しようと思えばできる距離だから、帰省って言うのも大げさなくらい」
片山が北海道に帰らないなら、うちに呼んでやろうかと亮太は思った。彼は礼儀正しいし、明るく気安いので、家族も大歓迎するだろう。
3限目はお互い実技の授業なので、その場で別れた。片山の背中を見送りながら、彼が少し心配になった。
家族構成から、家事ができない甘えたくんかと思いきや、片山は亮太が教えてやった近所の2つのお勧めスーパーを使い、しっかり自炊している。洗濯や掃除も厭わない様子で、ファストファッションだがいつも清潔感があった。
普通の家出身の芸大生にとって、アルバイトは欠かすことができない。亮太は駅周辺の飲食店や居酒屋で、求人チラシを貼っている店ならすぐに働かせてくれると片山に話した。すると、意外とフットワークの軽い彼は、すぐにアルバイト先を決めた。
「……ドマスにしたのか?」
飲食可能な教室でお互い手弁当を広げていると、片山はバイト先について話してくれた。
「うん、あっちにいた頃もずっとやってたんだ、基本的に仕事は一緒だから」
ドマスことドーナツマスターは、全国チェーンのドーナツショップである。新たに仕事を覚える必要が無いのは楽でいいが、居酒屋のほうが時給が高いのに、と亮太は思った。
「毎日は行かないだろ? 稼ぎになるか?」
亮太の問いに、片山は卵焼きを箸で摘みながら答える。
「まず月4万作れたらいいかなと思ってる……シフトが割に融通きくんだ、院の生活ってまだあまりよくわからないから、ぎちぎちに入れないほうがいいかなと」
「そりゃそうだ、いいコンサートのチケット回って来たり、舞台に出ないかと言われたりするかもしれないし」
何よりも自分たちは、練習をしなくてはならない。吹奏楽器や歌は、ピアノやヴァイオリンのように毎日数時間練習することは無いが、日々の調子は把握しておくべきである。
「ドマスって賄いは出るの?」
「出るよ、ドーナツとかパイとドリンクだけど」
「不健康だな」
亮太は苦笑する。確かに毎回は無理、と片山も笑った。そういう亮太は居酒屋のホールでアルバイトをしていて、少し時間は遅くなるが、比較的ヘルシーな賄いを出してもらっている。まあ居酒屋だと、混雑する時は大声でオーダーを入れなくてはいけないので、声楽家には不向きだなと亮太は思い直した。
片山は朗らかだったがご飯を3分の1ほど残し、弁当箱の蓋を閉めた。少し顔色が良くないのも気になったので、亮太は彼に訊く。
「体調良くないのか?」
片山は正直に、ちょっと、と答えた。
「一昨日くらいから疲れが抜けない感じがするんだ」
「新生活の疲れが出てきたのかもしれないな……今日は早く帰れよ、もうすぐゴールデンウィークだからもうひと踏ん張りだ」
うん、と片山は、亮太の言葉に目を伏せて応じた。大型連休中、羽田から新千歳に向かう飛行機代が高いことも、彼を煩わせているようだ。
「小田は実家に帰るの? 横浜ってここからあっという間なのか」
「うん、通学しようと思えばできる距離だから、帰省って言うのも大げさなくらい」
片山が北海道に帰らないなら、うちに呼んでやろうかと亮太は思った。彼は礼儀正しいし、明るく気安いので、家族も大歓迎するだろう。
3限目はお互い実技の授業なので、その場で別れた。片山の背中を見送りながら、彼が少し心配になった。
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