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エピローグ
開け、夏の扉②
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泰生はのんびり応じた。確かあれは、和邇かどこかに泳ぎに行った年だ。泰生たちはせっかく風呂に入ったのに、汗まみれの下着を身につける羽目になり、夕飯の後に父が繁華街まで車を走らせて、息子2人のパンツを買ってきたのだ。
友樹は忌まわしいものが脳内に去来したと言わんばかりに、難しい顔になる。
「俺ほんまにあれ、トラウマレベルに嫌やったから、風呂に入る回数だけパンツは持って行く」
酷い出来事ではあるが、すぐに新しい下着に替えることもできたので、今となれば笑える思い出だ。だから兄のこだわりがちょっと理解しがたいと思いつつ、同意しておく。
「ああ、まあ、泊まるとこに温泉もあるし、パンツは大事やな……」
「ビーサンと日焼け止め買うたか? 浮き輪とか要らんの?」
「明日バイトの帰りに買うわ」
あの商店街にはドラッグストアが多く、喫茶淡竹の森店長なら、ビーチサンダルを沢山取り扱う隠れた名店を知っていそうだ。
大学の管弦楽団の友人である岡本文哉は、泰生一家が訪れる予定の海水浴場の、海の家のひとつで今日からアルバイトを始めている。彼は海の家の看板の前で、Tシャツと短パン姿の写真を朝から送ってきてくれた。「ここな」という簡単なメッセージをつけて。
泰生はこの店で浮き輪やパラソルを借りることを兄に提案する。最近あまり長距離の運転をしていない父のために、和歌山市まで私鉄で行き、駅前でレンタカーを借りる段取りをしているので、荷物は少ないほうがよかった。
友樹は泰生のスマートフォンの画面を見て、お、と呟く。
「シュッとした子やな、ビーチでバイトするような友達がおまえにおるとは」
「チェリストやで、海の家が親戚のとこなんやって」
泰生が言うと、兄は意外そうな表情になった。
「オケのほうが吹部より陽キャ多いんか?」
泰生はさあ、と首を傾げる。岡本は陽キャだと思うし、4回生のコントラバシニストの三村はスポーツマン風味だが、その他の男子部員は吹奏楽部と同じ系統だと思う。と言っても泰生はまだ、管弦楽団の全メンバーを知らないのだが。
友樹はいきなり、あっ! と叫んだ。
「花火!」
「泊まんの海の前ちゃうやん、できひんやろ」
友樹は本当は、彼女と海水浴に行って、花火がしたかったのだろう。そう思うと、泰生は兄のテンションがおかしいことを責める気になれない。
畳んだ洗濯物を兄弟の前に置いた母が、友樹の作っているリストを見て笑う。
「自分らで用意してくれるし楽やわぁ」
「俺らは自分のもん用意するけど、おとんのパンツの替えとか忘れなや」
友樹は昔の恨みをこめて母に言ったが、彼女はきょとんとした。
「パンツなんか忘れへんわ、何言うてんの」
過去のしくじりを全く記憶していない母の言葉に、泰生は吹き出した。友樹が眉間に皺を寄せあ然とするので、ますます笑えた。
兄も父も有給休暇を使って行く家族旅行だ。素直に楽しみだった。明後日戸山に会ったら、海で岡本と会うのだと話しておこう。それで、戸山にお土産を買おう。
泰生の今年の夏の扉が、ようやく開きかけていた。その隙間から洩れ出ている光は、いつになくきらきらしていた。
〈おわり〉
友樹は忌まわしいものが脳内に去来したと言わんばかりに、難しい顔になる。
「俺ほんまにあれ、トラウマレベルに嫌やったから、風呂に入る回数だけパンツは持って行く」
酷い出来事ではあるが、すぐに新しい下着に替えることもできたので、今となれば笑える思い出だ。だから兄のこだわりがちょっと理解しがたいと思いつつ、同意しておく。
「ああ、まあ、泊まるとこに温泉もあるし、パンツは大事やな……」
「ビーサンと日焼け止め買うたか? 浮き輪とか要らんの?」
「明日バイトの帰りに買うわ」
あの商店街にはドラッグストアが多く、喫茶淡竹の森店長なら、ビーチサンダルを沢山取り扱う隠れた名店を知っていそうだ。
大学の管弦楽団の友人である岡本文哉は、泰生一家が訪れる予定の海水浴場の、海の家のひとつで今日からアルバイトを始めている。彼は海の家の看板の前で、Tシャツと短パン姿の写真を朝から送ってきてくれた。「ここな」という簡単なメッセージをつけて。
泰生はこの店で浮き輪やパラソルを借りることを兄に提案する。最近あまり長距離の運転をしていない父のために、和歌山市まで私鉄で行き、駅前でレンタカーを借りる段取りをしているので、荷物は少ないほうがよかった。
友樹は泰生のスマートフォンの画面を見て、お、と呟く。
「シュッとした子やな、ビーチでバイトするような友達がおまえにおるとは」
「チェリストやで、海の家が親戚のとこなんやって」
泰生が言うと、兄は意外そうな表情になった。
「オケのほうが吹部より陽キャ多いんか?」
泰生はさあ、と首を傾げる。岡本は陽キャだと思うし、4回生のコントラバシニストの三村はスポーツマン風味だが、その他の男子部員は吹奏楽部と同じ系統だと思う。と言っても泰生はまだ、管弦楽団の全メンバーを知らないのだが。
友樹はいきなり、あっ! と叫んだ。
「花火!」
「泊まんの海の前ちゃうやん、できひんやろ」
友樹は本当は、彼女と海水浴に行って、花火がしたかったのだろう。そう思うと、泰生は兄のテンションがおかしいことを責める気になれない。
畳んだ洗濯物を兄弟の前に置いた母が、友樹の作っているリストを見て笑う。
「自分らで用意してくれるし楽やわぁ」
「俺らは自分のもん用意するけど、おとんのパンツの替えとか忘れなや」
友樹は昔の恨みをこめて母に言ったが、彼女はきょとんとした。
「パンツなんか忘れへんわ、何言うてんの」
過去のしくじりを全く記憶していない母の言葉に、泰生は吹き出した。友樹が眉間に皺を寄せあ然とするので、ますます笑えた。
兄も父も有給休暇を使って行く家族旅行だ。素直に楽しみだった。明後日戸山に会ったら、海で岡本と会うのだと話しておこう。それで、戸山にお土産を買おう。
泰生の今年の夏の扉が、ようやく開きかけていた。その隙間から洩れ出ている光は、いつになくきらきらしていた。
〈おわり〉
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