32 / 55
2 7月中旬
蚊取り線香の煙が目に染みる午後③
しおりを挟む
泰生の視界が自然と下がる。ぎゅっと握られた両のこぶしは、白くなっていた。石田は静かに続けた。
「その井上くんにしてみたら、たぶんそれこそ清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで、長谷川くんに告白したんやろなぁ……それでやっぱり受け入れてもらえへんかった」
泰生は顔を上げる。拒絶などしなかった。鼻の奥がつんとしてきたのを自覚しながら、訴える。
「俺……僕は、井上とずっと友達でいたかったんです」
「でも井上くんが望んだのはそうやなかった……だからちょっとこれまで通りに長谷川くんと接されへんかったのかもしれへんねぇ、長谷川くんは今までに好きな子から、友達でいましょって言われたこと無いかな?」
石田の言葉に、あっ、と思わず言いそうになる。高校3年生の春、同じクラスの女子に、そう言われて振られたことがあった。泰生はその子をそれ以降無視するようなことはしなかったが、受験体制に入って彼女と自然と距離ができたのでなければ、卒業まで辛かったかもしれなかった。
石田もそんな経験があるのか、微苦笑した。
「友達でいようって、嫌われたんと違うからいいかと思う反面、割としんどくない?」
「……しんどいです……」
別のことに気づいて、泰生はまたはっとする。クラブを辞めるなとあの日引き留めてきた旭陽は、泰生と「友達」でいることを一旦受け入れようとしてくれていたのではないのか。
「……僕もしかして、自分から井上の手ぇ振り払ってしもたんですかね……」
泰生の胸に、ゆっくりと絶望感が広がっていった。視界がぼんやり滲み、蚊取り線香の匂いがやたらと鼻の奥を刺激する。
俺、あほやわ。楽器続けること迷うくらいあいつとの関係にこだわってるのは、俺のほうやった。
涙を堪える泰生に、石田はあくまでも優しく話した。
「そんなに自分を責めんでええと思うで、お互いが冷静になるタイミングがずれるのはようあることやから」
石田は言ってくれるが、あまり慰めにならなかった。泰生は軽く鼻を啜る。
「大学で一番にできた友達やったのに……」
「そう井上くんに言うてあげられたらいいね、もしほんまに長谷川くんが井上くんと縁があるんやったら、関係を修復するチャンスは絶対来るから、焦らんと待ち」
「もし来んかったら?」
子どもみたいに泰生が尋ねると、石田は慈悲深い微笑を浮かべながら、ばっさり答えた。
「諦め」
正論なのだが、身も蓋もない。泰生は肩を落とした。石田がふっ、と笑う。
「あのな長谷川くん、人の関係って可笑しなもんでな、誰かを諦めたらそれを倍の密度で埋めてくれる誰かと出会うようになってんねん……それはその人自身がステップアップしてる証拠でもあって、人間関係が変わる時っていうんは、絶対に自分が良いように変わる時や」
そう言われると、そうやったらいいなと思えた。泰生は視線を落とし気味ではあったが、頷く。
「はい……いきなり来てこんな話して、すみませんでした」
「いえいえ、こういうことも私の仕事やし気にしぃな……長谷川くん、井上くんがセクシャル・マイノリティやから、このこと岡本くんにも誰にも話さへんかったんか?」
泰生は再度頷く。おかげで、かなりすっきりした。石田も力強く頷いた。
「長谷川くんのその気遣いにいつか井上くんも気づくし、そういうことができる長谷川くんには、これからもっとたくさんのいい出会いが待ってると思うで」
長椅子の台に置かれたグラスは、少し汗をかいていた。泰生は残りの茶を飲む。礼拝堂に漂う蚊取り線香の匂いは、あくまでも優しかった。
「その井上くんにしてみたら、たぶんそれこそ清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで、長谷川くんに告白したんやろなぁ……それでやっぱり受け入れてもらえへんかった」
泰生は顔を上げる。拒絶などしなかった。鼻の奥がつんとしてきたのを自覚しながら、訴える。
「俺……僕は、井上とずっと友達でいたかったんです」
「でも井上くんが望んだのはそうやなかった……だからちょっとこれまで通りに長谷川くんと接されへんかったのかもしれへんねぇ、長谷川くんは今までに好きな子から、友達でいましょって言われたこと無いかな?」
石田の言葉に、あっ、と思わず言いそうになる。高校3年生の春、同じクラスの女子に、そう言われて振られたことがあった。泰生はその子をそれ以降無視するようなことはしなかったが、受験体制に入って彼女と自然と距離ができたのでなければ、卒業まで辛かったかもしれなかった。
石田もそんな経験があるのか、微苦笑した。
「友達でいようって、嫌われたんと違うからいいかと思う反面、割としんどくない?」
「……しんどいです……」
別のことに気づいて、泰生はまたはっとする。クラブを辞めるなとあの日引き留めてきた旭陽は、泰生と「友達」でいることを一旦受け入れようとしてくれていたのではないのか。
「……僕もしかして、自分から井上の手ぇ振り払ってしもたんですかね……」
泰生の胸に、ゆっくりと絶望感が広がっていった。視界がぼんやり滲み、蚊取り線香の匂いがやたらと鼻の奥を刺激する。
俺、あほやわ。楽器続けること迷うくらいあいつとの関係にこだわってるのは、俺のほうやった。
涙を堪える泰生に、石田はあくまでも優しく話した。
「そんなに自分を責めんでええと思うで、お互いが冷静になるタイミングがずれるのはようあることやから」
石田は言ってくれるが、あまり慰めにならなかった。泰生は軽く鼻を啜る。
「大学で一番にできた友達やったのに……」
「そう井上くんに言うてあげられたらいいね、もしほんまに長谷川くんが井上くんと縁があるんやったら、関係を修復するチャンスは絶対来るから、焦らんと待ち」
「もし来んかったら?」
子どもみたいに泰生が尋ねると、石田は慈悲深い微笑を浮かべながら、ばっさり答えた。
「諦め」
正論なのだが、身も蓋もない。泰生は肩を落とした。石田がふっ、と笑う。
「あのな長谷川くん、人の関係って可笑しなもんでな、誰かを諦めたらそれを倍の密度で埋めてくれる誰かと出会うようになってんねん……それはその人自身がステップアップしてる証拠でもあって、人間関係が変わる時っていうんは、絶対に自分が良いように変わる時や」
そう言われると、そうやったらいいなと思えた。泰生は視線を落とし気味ではあったが、頷く。
「はい……いきなり来てこんな話して、すみませんでした」
「いえいえ、こういうことも私の仕事やし気にしぃな……長谷川くん、井上くんがセクシャル・マイノリティやから、このこと岡本くんにも誰にも話さへんかったんか?」
泰生は再度頷く。おかげで、かなりすっきりした。石田も力強く頷いた。
「長谷川くんのその気遣いにいつか井上くんも気づくし、そういうことができる長谷川くんには、これからもっとたくさんのいい出会いが待ってると思うで」
長椅子の台に置かれたグラスは、少し汗をかいていた。泰生は残りの茶を飲む。礼拝堂に漂う蚊取り線香の匂いは、あくまでも優しかった。
10
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
雨上がりの虹と
瀬崎由美
ライト文芸
大学受験が終わってすぐ、父が再婚したいと言い出した。
相手の連れ子は小学生の女の子。新しくできた妹は、おとなしくて人見知り。
まだ家族としてイマイチ打ち解けられないでいるのに、父に転勤の話が出てくる。
新しい母はついていくつもりで自分も移動願いを出し、まだ幼い妹を含めた三人で引っ越すつもりでいたが……。
2年間限定で始まった、血の繋がらない妹との二人暮らし。
気を使い過ぎて何でも我慢してしまう妹と、まだ十代なのに面倒見の良すぎる姉。
一人っ子同士でぎこちないながらも、少しずつ縮まっていく姉妹の距離。
★第7回ライト文芸大賞で奨励賞をいただきました。
伝える前に振られてしまった私の恋
メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。
そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
日本酒バー「はなやぎ」のおみちびき
山いい奈
ライト文芸
小柳世都が切り盛りする大阪の日本酒バー「はなやぎ」。
世都はときおり、サービスでタロットカードでお客さまを占い、悩みを聞いたり、ほんの少し背中を押したりする。
恋愛体質のお客さま、未来の姑と巧く行かないお客さま、辞令が出て転職を悩むお客さま、などなど。
店員の坂道龍平、そしてご常連の高階さんに見守られ、世都は今日も奮闘する。
世都と龍平の関係は。
高階さんの思惑は。
そして家族とは。
優しく、暖かく、そして少し切ない物語。
婚約者の浮気現場に踏み込んでみたら、大変なことになった。
和泉鷹央
恋愛
アイリスは国母候補として長年にわたる教育を受けてきた、王太子アズライルの許嫁。
自分を正室として考えてくれるなら、十歳年上の殿下の浮気にも目を瞑ろう。
だって、殿下にはすでに非公式ながら側妃ダイアナがいるのだし。
しかし、素知らぬふりをして見逃せるのも、結婚式前夜までだった。
結婚式前夜には互いに床を共にするという習慣があるのに――彼は深夜になっても戻ってこない。
炎の女神の司祭という側面を持つアイリスの怒りが、静かに爆発する‥‥‥
2021年9月2日。
完結しました。
応援、ありがとうございます。
他の投稿サイトにも掲載しています。
あなたが幸せなことがわたしの幸せです
音瀬
ライト文芸
誰もが憧れるような人気者圭歌と大人しい美雨、幼馴染の先輩後輩がお互いを想いあい助け合う。無邪気な高校時代から大人まで、同性の恋愛の現状と葛藤、暖かい愛があふれる切ない人生の物語。
普段本を読まない方でも親しみやすい話にするため、会話が基本の小説になってます。
●圭歌(けいか)
主人公。
昔から明るく男勝りな性格。サバサバしているが周りをよく見ていて、人気者。
当の本人は恋愛に興味がなく、友達と過ごすのが楽しいと感じている。
美雨とは昔からの知り合いでご近所、部活が一緒。
●美雨(みう)
圭歌の1つ上の先輩。
普段はマイペースで静か、部活ではいなくてはならない存在。
恋愛にはずっと興味がなく、圭歌とは性格は違うのになぜか昔から仲良し。
●ゆい
圭歌の中学時代からの友達。クラスも部活も一緒で少し抜けているところがあるが、妹っぽさがありかわいい。いつも圭歌と司の三人で行動することが多い。
●司(つかさ)
圭歌の高校からの友達。クラスが一緒。
クールで凛とした雰囲気で女子に人気。圭歌とゆいとは高校からの仲だが、席が近く意気投合。三人組で過ごすことが多い。
●理佐
美雨の親友。とても明るくて前向きな性格。いつも美雨を親目線で支えている。
【第六回ライト文芸大賞 奨励賞作品】俺のばあちゃんがBL小説家なんだが
桐乃乱😺一番街のスターダスト
ライト文芸
第6回ライト文芸大賞
奨励賞 受賞作品
杜の都に住むお気楽高校生、若生星夜(わこうせいや)(16歳)。
父さんの海外赴任に母さんが同行し、俺は父方の祖母&叔母と同居することになった。
始業式と引っ越しが済んで始まった生活は、勉強に部活、恋とそしてBLテイストが混ざった騒がしいものでー?
俺の祖母ちゃんは、ネットBL小説家だったー!!
※本作品は、フィクションです。BL小説ではありません。一人称複数視点の群像劇スタイルです。
応援、ありがとうございました!!
桐乃乱 著書一覧
いつもは商業電子、個人誌はAmazon Kindleで活動しています。著書はそちらをお読みください。
Kindle個人出版
BL小説
Kindle unlimited240万ページ突破しました!
僕と龍神と仲間たち①②③
板前見習いネコ太の恋
足の甲に野獣のキス①②
黒騎士団長の猟犬①②
青龍神の花嫁
足の甲に野獣のキス番外編
淫魔店長と愉快な常連たち
ファッションホテルルキアへ行こう!
探偵屋の恋女房①②
俺のばあちゃんがBL小説家なんだが
他
【短編完結】地味眼鏡令嬢はとっても普通にざまぁする。
鏑木 うりこ
恋愛
クリスティア・ノッカー!お前のようなブスは侯爵家に相応しくない!お前との婚約は破棄させてもらう!
茶色の長い髪をお下げに編んだ私、クリスティアは瓶底メガネをクイっと上げて了承致しました。
ええ、良いですよ。ただ、私の物は私の物。そこら辺はきちんとさせていただきますね?
(´・ω・`)普通……。
でも書いたから見てくれたらとても嬉しいです。次はもっと特徴だしたの書きたいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる