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6.嵐の種
9月第2週 火曜日①
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週が明けると、引き続き放課後の練習がおこなわれた。嶋田家での特訓の成果が出たのか、演劇の総監督の高村が、ロミオと気持ちを通わせていくジュリエットの場面にOKを出してくれた。遥大は舞台組の面々から、健気な人と認識され始めていたが、遥大自身はとにかく必死で、そんなことに気づいていなかった。
火曜日の朝一番に、3年の全6組のクラスリーダーが職員室に呼び出され、文化祭当日の上演順の籤を、教員たちの前で引いた。ちょっとどきどきしながら遥大が4つ折りの籤を開くと、3-Aは6番目、最後の出演だった。大道具の片づけにばたつかなくていいのはかなり有り難いが、直前はB組だ。同じ演目が続いて比較される事態を回避できないので、遥大はちょっと気が重くなった。
強気の高村や葉山は、A組がトリを飾ることを前向きに受け止めていた。また、前日に講演に来る卒業生の俳優が、3年生の演劇の特別審査員を務めるという情報が入ってきて、皆色めき立った。
その実力派ミュージカル俳優、天野礼香は、かつて湖南高校の演劇部からミュージカル部を分離して立ち上げたメンバーの1人だ。高校卒業後は芸大のミュージカル科に進み、現在有名ミュージカル劇団に所属し活躍している。
天野礼香は高校にとって自慢の卒業生であり、演劇部とミュージカル部の者にとっては伝説のOG、憧れの対象だ。遥大は彼女の名前しか知らなかったが、高村や徳永はもちろん嶋田も、彼女が舞台でどんな役を演じてきたかをざっくり知っていた。
「うちのおかんはオペラやから、ちょっと役者の種類が違うけど、華のある舞台人やと思うな」
嶋田も期待感を滲ませる言い方をしたが、遥大にとっては、心の重しが増えてしまうネタでしかない。
そう、舞台の真ん中に立つ者には、実力だけでなく華が必要だ。遥大は嶋田祐梨子から借りた、グノーのオペラ「ロミオとジュリエット」のDVDを観て、パソコンの画面からでも伝わってくる主役2人の存在感に圧倒された。原作と違い、終幕でジュリエットが倒れているロミオを見つけた時に彼がまだ生きていて、彼が事切れるまで2人で歌うのには、何でやねんと突っ込んでしまいそうだったが。
嶋田は遥大の口数が少ないのは、トリを引いたせいだと思っているようだった。
「気にすんな、最後にのびのびやれるのってええやん」
「うーん、俺は今まで学校の演劇とか避けて回ってたし、芸事もしたことないからようわからんけど」
遥大は嶋田には、ちょこちょこと本音を口にするようになっていた。甘えだからよくないとも思うのだが、わからないと嶋田に正直に言えると、肩の力がすっと抜けることがある。
遥大は今まで、何もかもを1人で抱えてきたつもりは無い。ただいつも、何においても完璧を目指していたとは思う。それを他人に押しつけたことは無いつもりだが、自分が完璧であろうとすることが、周囲にプレッシャーを与えていた可能性にようやく思い至った。誰にでも、できることとできないことがある。自信がないのにどうしてもやらなくてはいけないことが出てきたら、悔いの無いようベストを尽くすのみだ。
授業が全て終わり、放課後に残ることができるメンバーが多いので、今日は大道具と小道具、それに音響も入れて練習してみようと長谷部が言った。長谷部は、出演順が決まりパンフレットの印刷に入るので、ジュリエットを徳永聡美から平池遥大に変更することを、3年の担任と文化祭実行委員の教員たちに公開したという。
「ほんまに平池が女装してやるんかって、職員室の空気がちょっと変わったわ、おもろかったなぁ」
教室内に笑いが起きた。長谷部の楽しげな言葉に、巻きスカートを穿いた遥大は苦笑するしかない。
眼科であらためて処方箋をもらった遥大は、本番までの放課後、コンタクトレンズに替えて慣れることにした。眼鏡を外し、淡々とジュリエットに化けるクラスリーダーを見て、大道具組やその他大勢のヴェローナ市民を演じる連中が、半ば畏怖している。
「本気の平池の童貞ピュア、マジでやばい」
「俺昨日家族に、俺はちょい役やけど観に来いって言うてしもたわ」
役を降りた徳永は、今日は整形外科にリハビリに行かないらしく、教室の隅に座っていた。松葉杖が1本になったところを見ると、経過は順調なようだった。
高村が手をぱんぱんと叩いた。
「はい、では1幕1場からいきます」
吹奏楽部員である音響担当の高階春希が、スピーカーをつないだノートパソコンを操作すると、重々しい音楽が始まった。語り手を兼ねるヴェローナ大公エスカラスは、全国コンテストで受賞経験がある、放送部部長の岩井修が演じる。
「『いずれ劣らぬふたつの名家、花の都のヴェローナに』……」
堂々と語る岩井からも、遥大は話し方を教えてもらった。講堂の舞台にはマイクが用意されるので、大声よりも滑舌が大切だと彼が話したのは、大いに練習の指針になった。
火曜日の朝一番に、3年の全6組のクラスリーダーが職員室に呼び出され、文化祭当日の上演順の籤を、教員たちの前で引いた。ちょっとどきどきしながら遥大が4つ折りの籤を開くと、3-Aは6番目、最後の出演だった。大道具の片づけにばたつかなくていいのはかなり有り難いが、直前はB組だ。同じ演目が続いて比較される事態を回避できないので、遥大はちょっと気が重くなった。
強気の高村や葉山は、A組がトリを飾ることを前向きに受け止めていた。また、前日に講演に来る卒業生の俳優が、3年生の演劇の特別審査員を務めるという情報が入ってきて、皆色めき立った。
その実力派ミュージカル俳優、天野礼香は、かつて湖南高校の演劇部からミュージカル部を分離して立ち上げたメンバーの1人だ。高校卒業後は芸大のミュージカル科に進み、現在有名ミュージカル劇団に所属し活躍している。
天野礼香は高校にとって自慢の卒業生であり、演劇部とミュージカル部の者にとっては伝説のOG、憧れの対象だ。遥大は彼女の名前しか知らなかったが、高村や徳永はもちろん嶋田も、彼女が舞台でどんな役を演じてきたかをざっくり知っていた。
「うちのおかんはオペラやから、ちょっと役者の種類が違うけど、華のある舞台人やと思うな」
嶋田も期待感を滲ませる言い方をしたが、遥大にとっては、心の重しが増えてしまうネタでしかない。
そう、舞台の真ん中に立つ者には、実力だけでなく華が必要だ。遥大は嶋田祐梨子から借りた、グノーのオペラ「ロミオとジュリエット」のDVDを観て、パソコンの画面からでも伝わってくる主役2人の存在感に圧倒された。原作と違い、終幕でジュリエットが倒れているロミオを見つけた時に彼がまだ生きていて、彼が事切れるまで2人で歌うのには、何でやねんと突っ込んでしまいそうだったが。
嶋田は遥大の口数が少ないのは、トリを引いたせいだと思っているようだった。
「気にすんな、最後にのびのびやれるのってええやん」
「うーん、俺は今まで学校の演劇とか避けて回ってたし、芸事もしたことないからようわからんけど」
遥大は嶋田には、ちょこちょこと本音を口にするようになっていた。甘えだからよくないとも思うのだが、わからないと嶋田に正直に言えると、肩の力がすっと抜けることがある。
遥大は今まで、何もかもを1人で抱えてきたつもりは無い。ただいつも、何においても完璧を目指していたとは思う。それを他人に押しつけたことは無いつもりだが、自分が完璧であろうとすることが、周囲にプレッシャーを与えていた可能性にようやく思い至った。誰にでも、できることとできないことがある。自信がないのにどうしてもやらなくてはいけないことが出てきたら、悔いの無いようベストを尽くすのみだ。
授業が全て終わり、放課後に残ることができるメンバーが多いので、今日は大道具と小道具、それに音響も入れて練習してみようと長谷部が言った。長谷部は、出演順が決まりパンフレットの印刷に入るので、ジュリエットを徳永聡美から平池遥大に変更することを、3年の担任と文化祭実行委員の教員たちに公開したという。
「ほんまに平池が女装してやるんかって、職員室の空気がちょっと変わったわ、おもろかったなぁ」
教室内に笑いが起きた。長谷部の楽しげな言葉に、巻きスカートを穿いた遥大は苦笑するしかない。
眼科であらためて処方箋をもらった遥大は、本番までの放課後、コンタクトレンズに替えて慣れることにした。眼鏡を外し、淡々とジュリエットに化けるクラスリーダーを見て、大道具組やその他大勢のヴェローナ市民を演じる連中が、半ば畏怖している。
「本気の平池の童貞ピュア、マジでやばい」
「俺昨日家族に、俺はちょい役やけど観に来いって言うてしもたわ」
役を降りた徳永は、今日は整形外科にリハビリに行かないらしく、教室の隅に座っていた。松葉杖が1本になったところを見ると、経過は順調なようだった。
高村が手をぱんぱんと叩いた。
「はい、では1幕1場からいきます」
吹奏楽部員である音響担当の高階春希が、スピーカーをつないだノートパソコンを操作すると、重々しい音楽が始まった。語り手を兼ねるヴェローナ大公エスカラスは、全国コンテストで受賞経験がある、放送部部長の岩井修が演じる。
「『いずれ劣らぬふたつの名家、花の都のヴェローナに』……」
堂々と語る岩井からも、遥大は話し方を教えてもらった。講堂の舞台にはマイクが用意されるので、大声よりも滑舌が大切だと彼が話したのは、大いに練習の指針になった。
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