あいつが気になる夏

3.ドレスリハーサル

9月第1週 木曜日④

　一瞬何を言われたかわからなかった遥大は、嶋田の発言を飲み込みさすがにうろたえる。

「ちょ、おま、何言うてんの？」

　上擦った遥大の声が教室の中に響く。皆もほとんどあ然としていた。そもそも遥大は、舞台に上がるキャラではないと、クラスの全員が知っている。
　しかし嶋田は、教室内の妙な空気にも動じずに言った。

「幾つか理由があって、まず平池はめちゃくちゃ記憶力いいし、みんな知ってる通り段取り王子や、時間少ないけど台本と場当たり覚えてくれそう」

　嶋田の意見に、頷く者もちらほらいたが、強引過ぎると遥大は思った。確かに、覚えるだけなら何とかなるかもしれない。しかしテストで世界史の年号や固有名詞を書き入れるのと舞台の上で動いて話すのとでは、アウトプットのノウハウが全然違う。

「その2、平池が俺の横に立ったとき、舞台用の靴を履いた徳永と身長があまり変わらんこと」

　衣装担当の西本が、思わずといったように、ああ！　と声を立てた。徳永に合わせて作った衣装を代役のために調整する必要があるなら、最低限のほうがいいだろう。それは遥大にもわかる。

「その3」

　話を続けようとする嶋田に、まだあるんかと遥大は密かに突っ込んだ。正直、もうやめてほしい。

「平池案外かわいい顔してるから、ヘアメイクでたぶん化ける」

　嶋田の声に一瞬部屋が静まり返り、すぐに爆笑が起こった。あはは、という大声に左手を思わず見ると、長谷部まで手を叩いて面白がっている。遥大は誰も嶋田の意見に異を唱えないのを見て、自分が実は密かにいじめの標的になっているのではないかと、クラスメイト全員を疑った。
　絶叫で全面拒絶したかったが、それはクラスリーダーとしてのプライドが許さなかった。恥ずかしさに赤面しそうになるのを意志で抑えつけているのに、平池くんちょっと赤なってる、かわいい、という、女子たちの悪魔めいた囁きが耳に入ってくる。
　受け入れると勘違いされるのは嫌なので、笑いが収まってから、遥大は沸騰しそうな脳内を宥めながら口を開いた。

「えーっと……動揺のあまり言葉が出えへんのですが……」

　また小さく笑いが起きた。無視して続ける。

「今の嶋田の提案はあくまでも状況証拠的というのか……ちょっと冷静に考えてほしいのは、俺今まで人前で話したこと無いんやけど」
「今話してるやん」

　高村の無慈悲な突っ込みに、また教室が笑いで満たされる。思わず遥大は、素になって高村に食ってかかってしまった。

「これは別やろ、おまえ演劇部の部長として、俺が主役張れるタマやと思うんか」

　高村がにやりと嫌な笑いを見せた隣で、嶋田が励ますような目線をこちらに送ってきているのが意味不明だ。もう嫌、こいつら何なん？　

「え、意外とできるんちゃうか？　いっつも堂々と話してるし、割と声通るし」
「男がやったらお笑いになるってさっき言うたやろ」
「ああ、それも平池やったら、何とか正視に耐えるレベルになりそうな気ぃするわ」

　総監督のお墨付きを得てしまった遥大は、反論のネタが見つからず、圧倒的に不利だった。
　高村がダメ押しするように続ける。

「ロミオ役嶋田に押しつけたんやから、おまえがジュリエットやれや」

　一瞬、頭の中が真っ白になった。あっ、と叫びそうになるのを、遥大は歯を食いしばって耐えた。
　高村の右に座る嶋田は、意外なことを聞かされたという顔で、遥大を見ている。遥大は、嶋田がいないときに配役を決めてしまったことを、結局彼にきちんと謝っていなかった。