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Kiss under the light
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「○○の日」というやつが、一年中どれだけあるんだと晴也は思う。そういう日に副業先に出勤すると、それにちなんだ何か……常連客へのちょっとしたプレゼントや、会話のネタや、服飾に関することならその恰好などを用意しなくてはいけないことが多い(まあ大概ママが準備してくれるのだが)。イベントに対しものぐさな晴也が、水商売って面倒くさいと感じる瞬間である。
今日、5月23日は「キスの日」なんていうものだそうで、休みで良かったと晴也は胸を撫でおろす。女装バー「めぎつね」はホステスへのおさわり禁止だが、ホステスからの軽いスキンシップはサービスとしてアリなので、今日などはもしかすると、希望する客にはほっぺにチューくらいしなくてはいけない可能性がある。そんなもの、酔っぱらっていても晴也は御免蒙りたいところだ。トップホステス・ミチルこと美智生は、そういうのが結構平気な人なので、今夜のめぎつねを盛り上げてくれることだろう。
火曜日は晴也も晶も、本業が混んでいなければ真っ直ぐ家に帰ることのできる日である。晴也が久しぶりに手ごねハンバーグを用意していると、晶が帰ってきた。
「おおっ、ハルさんがその作業してる姿、いいねぇ」
着替えて手を洗い、キッチンに顔を出した晶は、ナイロン手袋をつけてひき肉を捏ねている晴也を見て、調子よく言った。晴也は彼に即言葉を返す。
「変なところで褒めなくていいから、キャベツを刻め」
「ラジャー」
手ごねハンバーグや手作りコロッケは美味しいが、手を取られるのが痛い。せっかく晶も早く帰ってきてくれたので、彼を使わない手はなかった。実は晴也より晶のほうが、包丁は上手に操るのだ。
キスの日にめぎつねで予想されるサービスの話を晴也がすると、晶は笑った。
「美智生さんのキス攻撃とかいいな」
「俺はミチルさんみたいにノリではできないからなぁ」
晶がキャベツを刻むリズミカルな音を聴きながら、晴也は言った。晶は、自分たちも「○○の日」を結構意識していると話す。ショーパブ「ルーチェ」でのダンスショーでは最低でも4曲用意するので、そのうちの1曲は「○○の日」に因むことが多いらしい。
「色っぽい日が水曜に当たるとさ、結構本気のゲイバー感が高まるのが絶妙」
水曜日は男性専用、つまりゲイ向けストリップデーである。晶を含めた男5人のダンスユニット「ドルフィン・ファイブ」は、水曜も金曜も比較的さらっと明るいショーを見せてくれるので、「本気のゲイバー感」が晴也にはちょっと想像しにくい。
「どんな踊りするんだ、そういう時って」
「え? キスの日だったら、そうだなぁ……舞台の前ギリギリまで来て、目線送りながら投げキッスとか? そういう振り入れたら、お客さんのテンションがぐっと上がるのがわかるんだ」
晴也はハンバーグのたねを成形して、両手の間で軽く投げながら空気を抜く。
「投げキッスでも?」
「うん、ルーチェのお客さんは皆ジェントルマンだからね、ガツガツしないけど静かに盛り上がってくれるんだよな」
キャベツを切り終わった晶は、ミニトマトを洗いながら鼻歌混じりに腰でリズムを刻み始める。何かエロい動きだなと思いながら、晴也がバットにハンバーグを並べていると、すっと晶が顔を近づけてきた。何の気無しに顔を上げた晴也は、互いの眼鏡がぶつかりそうなことに驚く。
「えっ、何……」
言い終わらないうちに、温かいものが唇にぷちゅっとくっついた。とっさに晶の肩を押しのけようとしたが、手がミンチまみれなので思いとどまる。
唇を離した晶は、やはり腰を前後に振り、軽く歌いながら言った。
「こ、ん、な、感じ? をね、みんなに、想像してもらえれば、オォッケー」
不意打ちで晶からキスされるのは随分久しぶりだった。少なくとも前回ハンバーグをつくった時よりは、前である。そんなことを考えた晴也は、ちょっとぽやんとしてしまう。
「あ、そんな感じね……水止めろよ、もったいない」
「はーい」
吐水ハンドルを上に挙げた晶は、ミニトマトの水を切る。そしてフライパンをコンロに出し、火をつけた。
「スープできてるんだ、じゃああとご飯とハンバーグだけだな」
晶がフライパンに油を敷いてくれるので、晴也は汚れた手袋を取って捨てた。するとまた晶は、覗き込むようにして晴也にキスしてきた。今度はさっきより少し長く、晴也も彼の唇の温もりを受け止める余裕があった。気持ちいいのだが、眼鏡が当たらないように、晶が微妙に角度をつけてくるのは、どういう訓練の賜物なのかと思う。
「ハルさん、照れてくれてる? 今更?」
晶は唇をゆっくり離してから、こそっと言った。晴也の頬がぱっと熱くなる。
「うるさい、明るいところでキスするのが久しぶりだからだよ」
「ああっ、なるほど! 可愛いなぁもう」
晶は何がそんなに嬉しいのか、晴也の肩を腕で囲ってくる。そんな風にされるのも、戸惑いつつ何故かちょっとときめく。
フライパンが温まったようなので、晴也は晶をまとわりつかせたまま、たねを置く。じゅっ、と美味しそうな音がして、香ばしい匂いが広がった。
晶は晴也から腕を解き、皿を棚から出しながら言った。
「続きは後でじっくりしよう」
「はいはい、ご飯炊けたからほぐしてくれる?」
「ハルさんの後ろの穴も」
言いかける晶の頭を、すかさず晴也は後ろからはたいた。キスだけで済まないから困るのだ。要するにキスの日は、晶にとってはエッチの日だということらしかった。
まあいいよ、のキスをいつしてやろうかと、隙を窺う晴也である。
〈書き下ろし〉
今日、5月23日は「キスの日」なんていうものだそうで、休みで良かったと晴也は胸を撫でおろす。女装バー「めぎつね」はホステスへのおさわり禁止だが、ホステスからの軽いスキンシップはサービスとしてアリなので、今日などはもしかすると、希望する客にはほっぺにチューくらいしなくてはいけない可能性がある。そんなもの、酔っぱらっていても晴也は御免蒙りたいところだ。トップホステス・ミチルこと美智生は、そういうのが結構平気な人なので、今夜のめぎつねを盛り上げてくれることだろう。
火曜日は晴也も晶も、本業が混んでいなければ真っ直ぐ家に帰ることのできる日である。晴也が久しぶりに手ごねハンバーグを用意していると、晶が帰ってきた。
「おおっ、ハルさんがその作業してる姿、いいねぇ」
着替えて手を洗い、キッチンに顔を出した晶は、ナイロン手袋をつけてひき肉を捏ねている晴也を見て、調子よく言った。晴也は彼に即言葉を返す。
「変なところで褒めなくていいから、キャベツを刻め」
「ラジャー」
手ごねハンバーグや手作りコロッケは美味しいが、手を取られるのが痛い。せっかく晶も早く帰ってきてくれたので、彼を使わない手はなかった。実は晴也より晶のほうが、包丁は上手に操るのだ。
キスの日にめぎつねで予想されるサービスの話を晴也がすると、晶は笑った。
「美智生さんのキス攻撃とかいいな」
「俺はミチルさんみたいにノリではできないからなぁ」
晶がキャベツを刻むリズミカルな音を聴きながら、晴也は言った。晶は、自分たちも「○○の日」を結構意識していると話す。ショーパブ「ルーチェ」でのダンスショーでは最低でも4曲用意するので、そのうちの1曲は「○○の日」に因むことが多いらしい。
「色っぽい日が水曜に当たるとさ、結構本気のゲイバー感が高まるのが絶妙」
水曜日は男性専用、つまりゲイ向けストリップデーである。晶を含めた男5人のダンスユニット「ドルフィン・ファイブ」は、水曜も金曜も比較的さらっと明るいショーを見せてくれるので、「本気のゲイバー感」が晴也にはちょっと想像しにくい。
「どんな踊りするんだ、そういう時って」
「え? キスの日だったら、そうだなぁ……舞台の前ギリギリまで来て、目線送りながら投げキッスとか? そういう振り入れたら、お客さんのテンションがぐっと上がるのがわかるんだ」
晴也はハンバーグのたねを成形して、両手の間で軽く投げながら空気を抜く。
「投げキッスでも?」
「うん、ルーチェのお客さんは皆ジェントルマンだからね、ガツガツしないけど静かに盛り上がってくれるんだよな」
キャベツを切り終わった晶は、ミニトマトを洗いながら鼻歌混じりに腰でリズムを刻み始める。何かエロい動きだなと思いながら、晴也がバットにハンバーグを並べていると、すっと晶が顔を近づけてきた。何の気無しに顔を上げた晴也は、互いの眼鏡がぶつかりそうなことに驚く。
「えっ、何……」
言い終わらないうちに、温かいものが唇にぷちゅっとくっついた。とっさに晶の肩を押しのけようとしたが、手がミンチまみれなので思いとどまる。
唇を離した晶は、やはり腰を前後に振り、軽く歌いながら言った。
「こ、ん、な、感じ? をね、みんなに、想像してもらえれば、オォッケー」
不意打ちで晶からキスされるのは随分久しぶりだった。少なくとも前回ハンバーグをつくった時よりは、前である。そんなことを考えた晴也は、ちょっとぽやんとしてしまう。
「あ、そんな感じね……水止めろよ、もったいない」
「はーい」
吐水ハンドルを上に挙げた晶は、ミニトマトの水を切る。そしてフライパンをコンロに出し、火をつけた。
「スープできてるんだ、じゃああとご飯とハンバーグだけだな」
晶がフライパンに油を敷いてくれるので、晴也は汚れた手袋を取って捨てた。するとまた晶は、覗き込むようにして晴也にキスしてきた。今度はさっきより少し長く、晴也も彼の唇の温もりを受け止める余裕があった。気持ちいいのだが、眼鏡が当たらないように、晶が微妙に角度をつけてくるのは、どういう訓練の賜物なのかと思う。
「ハルさん、照れてくれてる? 今更?」
晶は唇をゆっくり離してから、こそっと言った。晴也の頬がぱっと熱くなる。
「うるさい、明るいところでキスするのが久しぶりだからだよ」
「ああっ、なるほど! 可愛いなぁもう」
晶は何がそんなに嬉しいのか、晴也の肩を腕で囲ってくる。そんな風にされるのも、戸惑いつつ何故かちょっとときめく。
フライパンが温まったようなので、晴也は晶をまとわりつかせたまま、たねを置く。じゅっ、と美味しそうな音がして、香ばしい匂いが広がった。
晶は晴也から腕を解き、皿を棚から出しながら言った。
「続きは後でじっくりしよう」
「はいはい、ご飯炊けたからほぐしてくれる?」
「ハルさんの後ろの穴も」
言いかける晶の頭を、すかさず晴也は後ろからはたいた。キスだけで済まないから困るのだ。要するにキスの日は、晶にとってはエッチの日だということらしかった。
まあいいよ、のキスをいつしてやろうかと、隙を窺う晴也である。
〈書き下ろし〉
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