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知られたくないこと

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 藤田が感慨に耽るのをみて、訝しく思った木月が声をかける。

「藤田?何考えてるんだ?」
「おお、おめぇがよ、海邦に振られて、食欲失くして、やせこけちまったことあったなってさ」
「ああ、あの時は、小食で有名な黒田が口いっぱいに飯を頬張るのを見て、彼奴の気持ちが嬉しいのと、お前らになんて面倒かけてるんだろうっていう情けなさで、泣けたんだよな」
「ああ、そうだったな」

2人で遅い夕飯を一緒に食べていたら、ドアフォンが鳴った。木月が誰だろうと出てみると、海邦だった。

「海邦……なんで?」
「おお、元気だったか? 明日非番だから、吃驚させてやろうと思って来たぞ。シボレーでひとっ走りしてきたのさ!」

 木月がオロオロしていると、藤田が奥から声をかけた。

「よう!海邦!久しぶりだな!」
「藤田?」

 海邦は驚愕した。木月は一言も藤田と会ったと自分に言わなかったのだから。

「なぜ、藤田がここにいる?」
「ここはD管区の河童達のために借り上げられた寮だ。俺の部屋は隣だよ」
「木月、どうして藤田がいることを黙っていた?」
「……心配かけるかと……」
「お前は……言わないほうがなにかあるって勘ぐるとは思わないのか?」
「海邦……」

「木月、なんで、俺とバディになったって海邦に言わなかったんだ?」
「…………」

 藤田が隣の部屋にいることも、バディになったことも、木月は言えないでいた。

「おい、どういうことだ? 聞いてないぞ!」
「すまない、言えなくて……」

 海邦は、予想もしていなかったことに言葉を失った。藤田が函館にいることは聞いていたが、名古屋に転任しているなど知らなかったし、ましてや、木月とバディだと、なぜ、木月は黙っていたのだ。

 一挙に腹にこみ上げてくる不信感に、海邦は、木月を凝視した。なぜだと目で問うた。

 藤田が口を開いた。

「海邦、お前、なんでもっと逢ってやらないんだよ」
「陸にあがることがほとんどないんだよ」

「なあ、海邦、前世で……」
「藤田!やめてくれ!頼むから!」

 藤田が海邦に言おうとしていることは、木月が、何よりも海邦に知られたくないことだった。

「なんだ?」
「木月! 海邦だって黙っていられちゃわかりゃしねぇよ!」

 木月は、尚も、首を振って藤田を制そうとした。

「海邦、おめぇよ、前の時に遊びで木月に手をだして散々弄んだ末に、嫁達をとって木月を捨てたよな」
「仕方なかったんだ」
「そうだろうよ、嫁の方が大事だよな、男の愛人よりよぉ」
「何が言いたいんだ?」
「捨てられた木月の気持ちを斟酌したことあるのか?」

それを言われると弱い……。海邦は奥歯を噛んだ。

「……いや……」
「だろう? 木月がお前に捨てられてから、どんなだったかはおめぇは知らねぇんだよ」
「どういうことだ?」
「藤田! 頼むからやめてくれ!」
「木月! 黙ってろ! 言ってやらねぇとわからねぇってば!」

「木月、いいよ、聞くから。藤田に話させろ」
「海邦には、敢えて知らせなかったんだよ。将校としてもう役に立たないかと皆が思うくらい、木月が涙に溺れていたことも、命を絶とうしたこともだ!」

 海邦は思わず木月を見た。木月は唇を噛みしめている。

「おめぇと木月が別れたって上様から聞かされた。上様は、木月の心を心配してた。俺と黒田で監視してたんだよ、此奴が変な気を起こさないように」


―― 木月は、黒田に無理やり飯を食べさせられたあとも、心が晴れなかった。むしろ、将校の皆に海邦とのことを知られ、捨てられた男として皆に同情を受けていることが堪らなかった。羞恥で針の筵に座っているような思いだった。

 いっそ死のうと考えた。屋敷には裏山があり、川が流れていた。深い場所があるので、そこに頭まで突っ込んでしまえば、窒息して死ねると思った。

 ふらふらと裏山へ足を踏み入れた。

 藤田と黒田は交替で木月を見張っていた。黒田の情に感じ入って食べようと努力していた木月だったが、さほど、食が進んではいなかった。

 顔色は優れなかったし、眠れていないことは明らかだったので、藤田が心配のあまり、泊まり込むこともあった。無理やり酒を飲ませて眠らせたこともあったが、吐いてしまうし、夜中に噛み殺した嗚咽が聞こえて、藤田は木月の重症ぶりを知った。

 藤田が任務明けに屋敷に寄ると、寝所に木月がいない。布団はまだ、温かったので、その辺にいると思って、大声で呼んだ。

「木月!どこだ!おい!木月!」

 まさかと思って、以前に黒田と3人で散策した裏山へ行ってみた。朝焼けに照らされる川の水面はキラキラと輝いていた。その輝きの中を動く影をみつけた。木月は川に入水しようとしていた。

「おい! 木月! なにやってんだ! 出ろ!」
「藤田、頼む、逝かせてくれ、頼むから」
「馬鹿野郎!何考えてんだよ!」

 藤田も川の中にざぶざぶと入っていって、首根っこを掴んで、川からひきずり出そうとすると、木月は暴れた。殴って、もつれあって、何度も川底に足をとられては転び、流れにのまれそうになりながら、川岸まで連れ戻した。

2人とも頭からずぶ濡れだった。藤田は、木月の胸倉を掴んで、唾もかからんほどに木月の顔に顔を近づけて叫んだ。

「木月! お前、どこまで愚かなんだよ!! たかが、恋に破れたくらいで、大日本帝国の世界制覇の大願捨てるのか? お前は大将なんだぞぉ!」

木月は、ずぶ濡れで長い髪が頬に張りついていた。頬に次々と涙が伝わる。ガチガチと歯の根が合わず、体中を震わせながら、藤田に縋りついて絞りだすように言う。

「藤田……すまない、でも、苦しくて、耐えられないんだ。もう息もできないくらいに辛いんだよ。1分1秒でさえ、海邦を思い出さないでいられない」

「木月、忘れろ! 彼奴はお前を捨てて嫁達を選んだんだ。お前は、大願に生きろ」
「藤田……忘れられない、どんなに酷い男でも、好きなんだ……」
「本当に、おめぇはぁ!! 馬鹿な奴だ!……」
「ごめん、藤田、ごめん……」
「ちっ!くそがぁ……。木月! 俺が忘れさせてやる。俺が海邦を忘れさせてやるよ!」
「藤田?」

藤田は木月を折れそうなほど抱きしめ、唇を重ねた。木月は抵抗しなかった。――


「俺がたまたまいなかったら、此奴は、生き残ってなかったんだぜ」

「木月は敵に対しては強かった。でもな、此奴は心が脆いんだよ。海邦を思って泣いてばかりいる此奴を俺と黒田で張り倒して、無理やり海に行かせたこともあった」

 海邦は、信じられない思いで聞いていた。そこまで、木月が病んでしまっていたことを誰一人、海邦には知らせてはこなかったのだ。

「木月を正気に戻すために、俺は……」

「藤田!」木月が哀願するように叫んだ。

「木月を抱いた。1度や2度じゃねぇからな」

 藤田がドスの利いた声で言うと、木月が万事休すという顔をした。海邦は拳を握りしめ、眦を吊り上げて藤田を睨みつけた。

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