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第三章

123話 水の精霊

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 啜り泣くような声が聞こえた。
 とても悲しい、途方に暮れたような感情。
 ラルフは引き寄せられるように、その木箱を手に取った。



「それにするの?」

 小さな木箱を手にしているラルフに、俺は声をかけた。じっと木箱を手にしたまま微動だにしないので心配になったのだ。

「…兄さま」
「ラルフ?」

 顔を覗き込むと、ラルフは静かに涙を流していた。
 ポロポロと頬を伝う涙を見て、俺は目を見開く。
 ハンカチを取り出し、優しく涙を拭き取りながら『どうしたの?』と聞いてみた。

「分かんない…何だか、とても悲しいの。悲しいって言ってる」

 ラルフは、そう言いながら手に持っている木箱を見下ろした。

「言ってる?その木箱が言ってるの?」
「うん。出たいけど、出たくなくて…どうしたらいいのか、分からないの」

 ラルフの言葉を聞き、中に何か入ってるのだろうかと、俺はベルボルトを呼んだ。
 ベルボルトは、ラルフが手に持っている木箱を見て、気まずそうな顔をする。

「申し訳ない。それは売り物とちゃうねん。誰かの落とし物みたいやねんけど」
「そうなの?中に何かいるみたいなんだけど」
「ほんまに?振っても音がせえへんかったから、空やと思ったんやけど」

 話してるうちに、木箱が青く光り出した。
 淡く、弱々しい。
 ここにいるよ、と頑張って主張しているようだ。

「この光は精霊か?」
「イド、分かるの?」

 イドの母国には大きな湖があり、そこで見る水の精霊たちと光り方が酷似しているそうだ。
 イドは木箱を見て『封印されているな』と言った。
 エスパーか。
 見ただけで何故そんなに分かるんだ。
 封印を解けるかと聞いたら、出来なくもないが、どんな精霊が入ってるか分からないと言われた。

「水の精霊じゃないの?」
「水の精霊だろうが、封印されてるってことは何かしらの理由があるはずだ。迂闊に開けるのは危険だぞ」

 確かに。
 木箱から発せられている光に濁ったところはなく、悪霊に堕ちたというわけではなさそうだが、何故封印されてしまったのか。
 顎に手を当てて考え込む俺の後ろでは、ベルボルトたちが『光なんて見えへんけど』と首を傾げていた。
 精霊が見えない人もいる。
 見える人でも、はっきり見える人もいれば、薄らと光だけしか見えない人もおり、見え方にも個人差があった。
 声が聞こえたり、精霊の言葉が分かる人は少なく、精霊側から思念が送られてくる時があり、その時だけ意思の疎通が可能な場合もあった。
 ちなみに俺は、丸い光が見えるだけで精霊の姿や形は見えず、声も聞こえない。
 イドは、はっきり見え、会話も出来るようだった。
 そして、同じように精霊の言葉が分かるラルフは、木箱から聞こえる声に熱心に耳を傾けていた。
 どのような話をしているのか、俺には聞こえないから分からない。
 けれど、木箱から顔を上げたラルフはもう泣いておらず、まだ少し涙に濡れた瞳からは、しっかりとした意思が感じられた。

「兄さま。僕、この子を助けてあげたい」

『助けてあげて』ではなく『助けて』とラルフは言った。
 その瞬間、青い光が木箱から溢れ、辺りを満たした。
 パキンっと割れる音がし、箱の蓋が自然と開く。
 木箱から出てきた丸い光がラルフに触れると、ラルフの額に紋様が浮かび上がってきた。
 最後となる、水の使い手の誕生だった。



『この封印は、次に選んだ相手があなたのことを受け入れたら、解けるようになっているわ』

 彼女は海を眺めながら、独り言のように呟く。

『包み隠さず私のことを話すのよ?それでも受け入れることが出来たなら、その人は私のようにはならない。あなたは正しい人を選んだの』

 不思議なことを言う、と木箱に閉じ込められた精霊は思った。
 間違うはずなどない。
 だって同じだもの。
 同じ
 
"あなたを選んだことも、私は正しかったと思っているわ"

 そう精霊は言ったけれど、その言葉はもう彼女には届かなかった。
 彼女は、戸惑いながらも懸命に、魂に刻まれた責務を全うした。
 何度出会っても変わらない。
 あなたは健気で弱く、泣き虫な私の愛しい主よ。




『まぁ、なんて不満そうなの?主と私がいれば何も問題ないわ!指輪は所詮ただの器。力を集約して発揮する道具に過ぎず、なくても困らないのよ?頭の固い老人には理解できないのかしら?いろいろ経験した自分の考えがすべて正しいと思っているなら、それは立派な老害だわ。退位した方がよろしいのではなくて?』

 精霊の言葉が分かる魔法士数名と、マキシミリアンは目を逸らした。
 姿だけ見える者は、精霊が何かを必死に訴えているように見え、光しか見えない物は、丸い光が上下に動いているように見えた。
 国王陛下は、やっと現れた水の使い手と、いつの間にか分裂されていた魔道具の指輪及び水の精霊を見て、眉を顰める。

「私が老害だと?」

 ピシリと部屋の空気が凍った。
 陛下も精霊の言葉が分かったようだ。
 言葉が通じると思っていなかったのか、水の精霊は飛び上がると、素早くラルフの後ろに隠れた。
 盾にされたラルフは、陛下からの鋭い視線を浴び、冷や汗を流す。
 そこに追加で爆弾を落としたのは、この国の第二王子だった。

「老害と言われても仕方ないのでは?父上はたまに頭が固過ぎますから」
「ヴィル!」

 マキシミリアンが慌ててヴィルヘルムの口を手のひらで塞いだ。
『本当のことだけど、今は言っては駄目だ』とボソボソ注意している。
 仲の良い異母兄弟で何よりだが、ここまで聞こえているぞ。
 わざとなのか?
 小さな青筋を立てた陛下は、息子たちに苦言を言うことなく、矛先をこちらへ向けてきた。
 とばっちりである。

「フィン。そなたも私を老害だと思っておるのか?」

 老害までは思っていない。
 ヴィルヘルムの言う通り、たまに頭が固いなと思っているだけだ。
 だが、肯定など出来るはずもなく、仕方なく一歩前に出た俺は、胸に手を当てて否定の言葉を口にした。

「とんでもございません。陛下は精力的で若々しく、まだまだ老人の域などには程遠いではありませんか。広い視野を持ち、常に慎重で、国や民のためを思う心優しき王でございます」
「ふむ」

 少し機嫌が直ったのか、陛下は顎を撫でながら頷いていた。

「陛下のご心配は最もですが、指輪と精霊は無理に離されてしまった為に、二つを元に戻すことができません。例え成功したとしても、以前のような力は発揮できないでしょう。時間も迫っており、精霊が使い手に憑依するという方法を使えば、同じように儀式を行えると精霊は申しております」

 精霊から説明を受けたラルフの話によるとこうだ。
 魔界の入り口となる場所を囲うように四つの石碑がある。
 石碑に四人の使い手が手を当てて力を注入し、四人の魔力が合わさって、結界魔法が発動するそうだ。
 その魔力も精霊と使い手の魔力を混ぜた力が必要だそうで、それを簡易的に行うことができる魔道具が指輪だった。
 だから、憑依すれば力の融合は行え問題ない。
 それよりも考えなければならないことがあった。
 前回の水の使い手は、体の一部を失う程の負傷を負い、人生を憂いて海へ身を投げた。
 多くの兵や民も負傷したと聞く。
 戦いは苛烈を極めたようで、それほど魔界側の攻撃が激しかったということだ。

「使い手は儀式成功の鍵です。その為には、彼等を傷一つ付けずに石碑へ送り届ける必要があります。そして、この戦いは四人だけのものではありません」

 儀式を行うのは四人だが、成功させる為には騎士団や魔法士の他にも様々な人たちの協力が必要なのだ。
 近くの住民は避難をし、どこから魔物や魔獣が襲ってくるか分からないから、住民たちを守る部隊も必要だった。
 結界修復の儀式は、崩壊が始まってからしか行えない。
 魔界の濃い瘴気を感知した石碑が反応して、初めて準備が整う。
 結界の崩壊が始まれば、そこから魔界の魔物や魔獣がこちら側へ侵入し始める。
 石碑はその近くに位置している。
 正面からの対決だった。
 崩壊開始から二十四時間が勝負で、一日経てば完全に結界がなくなってしまう。
 それまでに襲ってくる魔界側の住人を押さえ付け、儀式を成功させなければならなかった。
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