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第二章

99話 救出劇②

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 近づいて見てみると、それは本当に人だったが、人相までは分からなかった。
 まるで黒い人形のようだ。
 大勢の人が近づいたのに、フィンはピクリとも動かない。
 院長は、手を触れずにじっくりと観察した結果『これは呪い返しですね』と言った。

「呪い返し?」
「ご存知ありませんか?誰かを呪った人が、返り討ちに遭い、自身に呪いが跳ね返ってくるものです。残念ですが、これは手の施しようがありませんね。酷く強い呪いだ」

 院長は、無念そうに顔を歪める。
 その時、やっとフィンが反応を示した。
 のろのろと顔を上げる。
 その瞳には、生気が感じられなかった。

「…もう、助からないの?」

 弱々しい声だった。

「全身に呪いが侵食している。あと数分のうちに命を落としてもおかしくありません」

 その言葉に、フィンは再び大粒の涙を流し始め、嗚咽混じりに『どうして?』と呟いた。

「そんなの、この人が誰かを呪ったからじゃない。悪い事をしたから罰を受けたってことでしょ。自業自得だわ」

 そう言ったのは、バルバラだ。
 いつの間にか、フィンの横に立っている。
 その時、フィンが初めてバルバラの存在を認識した。
 数年ぶりに再会した妹に対して、フィンがどんな反応をするのか、分からなかった。
 フィンはバルバラを見上げて、ゆるゆると目を見開き、不思議そうに口を開いた。

「君は、だれ?」
「なっ…!」

 フィンから誰何され、バルバラは愕然としたように身を震わせた。

「私はバルバラよ!あなたの妹の!まさか、覚えてないって言うの?」

 フィンは首を傾げた。

「バルバラ?本当に?」

 目の前の少女が妹だと分からなかったようだ。
 確かめるように問われ、バルバラは安心したように力強く頷いた。
 
「本当よ」
「でも、目の色が違うよ?」
「えっ?」

 俺は、フィンの言葉に慌ててバルバラの顔が見える位置まで移動した。

「なっ!?」

 先程まで、お茶会で会った時と同じフィンと似た青い瞳だったはずだ。
 それなのに。

「赤い…」

 血のように真っ赤な瞳をしたバルバラが、そこにはいた。
 俺が思わず呟いた瞬間、バルバラはニヤリと笑い、その場にいたフィンとバルバラ以外が弾き飛ばされた。

「ぐっ!」
「うわっ!」

 受け身を取って、急いで起き上がった時には、バルバラがフィンを捕らえた後だった。
 立っているバルバラが、フィンを後ろから羽交い締めにしている。

「フィン!」

 ルッツが叫び、血相を変えて飛び出そうとするのを、一緒にいた深緑色の髪をした男が止めている。

『ふっ、はははははっ!よく分かったな。幻術を破るとは。お前、魔眼持ちか?ますます興味深い』

「何だ、あの声…」

 バルバラの声と重なるように、濁声のような男の声が響いた。
 口調も表情も変わってしまっている。

「うっ、はな、離して!」

 フィンは苦しそうにもがいた。
 そんなフィンを、バルバラは恍惚とした表情で見つめる。

『あぁ、やっと手に入れた。これだ。この甘い匂い』

 スンスンとフィンの首元に顔をうずめ、匂いを嗅いだ後、涙が残るフィンの頬をベロリと舐めた。

『美味い、美味いぞ!あぁ、抱き締めているだけでも、何と心地良い。この魔力。一目見た時から、欲しいと思っていたのだ」

 その言葉に、その場にいた全員が驚愕した。

「フィンを手に入れることが、目的だったとでも言うのか?」

 ルッツを引き止めている深緑色の髪の男が放った言葉に、バルバラは楽しそうに笑った。

『そうさ。まぁ、俺はな。この女は、ただ幸せそうなこの子が憎らしかっただけみたいだが。見つけた時に、すぐに捕まえれば良かったと、何度後悔したことか。この女に縛られ自由に身動き出来ぬばかりに、誘き寄せるのに、こんなに手間も時間もかかってしまった。だが、それだけの価値はあった。すぐに殺して食うのは惜しい。じっくり搾り取ってから、俺の一部にしてやろう』

 バルバラは何かに取り憑かれていたのか。
 そいつが、どこかでバルバラ越しにフィンを見つけ、手に入れる為にこんなことを起こしたというのか。

「フィン!」
「フィンを離せ!」

『くくくっ。離すものか。これはもう、俺のものさ!ハハハハハハハッ!』

 バルバラが高らかと笑い、その場でふわりと浮き上がった。
 飛んで逃げるつもりなのだ。

「待て!」

 バルバラとフィンが密着し過ぎて手が出せない。
 このままでは逃げられると焦った時、フィンが口を開いた。

「それは困るなぁ。この子は僕のモノだもの。君には、髪の毛一本だってあげないよ?」
「っ!?」

 いきなりフィンの口調が変わり、その直後、フィンがバルバラに後頭部を使って頭突きをした。
 ガツっと鈍い音が響き、その反動でバルバラの体から、羊のような頭部がブレて出てきた。
 フィンは、緩んだ腕から抜け出すと、体を捻り、すかさずその頭をガシリと掴んだ。
 そして、バルバラの体から、あっさりとそれを抜き取ったと同時に、フィンの体からも、ズルリと何かが出てきた。

「えっ!?」

 驚きの連続で、俺はラインハルトと二人でそれを呆気に見ていることしかできない。
 フィンとバルバラの体は、が抜けると同時に、地面にドサリと落ちた。

「ふふっ。捕まえた!やったね!」
「お、おおおお前はっ!?」

 むしりっと頭部の毛を掴まれている羊は、体は筋肉質で人の形をしているが、足は鳥のように鉤爪が鋭く、三本しか指がなかった。
 一方、フィンから抜け出てきた方は、巻いた角と先端が矢印のような形の黒い尻尾以外は、人間と酷似している。とても可愛い顔立ちをしており、今は楽しそうに無邪気な表情をしていた。

「あれは、悪魔か?」

 今まで抑え込んでいたのか、濃い闇の魔力を感じる。
 かなり大物の気配に、俺は汗が噴き出てくるのが分かった。
 我に返ったラインハルトが、俺を庇うように前に出る。
 人間には興味がないのか、可愛い悪魔の方は羊顔を見て、目を細めた。

「僕のこと覚えてる?君にさぁ、獲物を横取りされたことがあるんだ。ずっと探してたんだよ?この、くっさい臭いは忘れたくても忘れられるものじゃない。こんな所にいたんだね。側にいたなら、そりゃ僕が見つけられなくても仕方ないや」
「なっ、何故だ!何故お前が!」

 羊顔の方が格下なのか、必死に掴まれた手から逃れようとしているが、細っそりとした手からは、どんなに頑張っても抜け出せないようだった。

「君を捕まえる為に、この子の中でかくれんぼして、お芝居してたんだよ。どう?迫真の演技だったでしょ?」

 全然気づかなかった。
 バルバラの方もだが、悪魔はあんなに上手く人間に憑依するのかと、ぞっとした。

「弱肉強食の世界だからさ。このままだと、僕が君より弱いってことになるじゃない?それって、許されることじゃないと思うんだ」
「あ、あ、あぁ」

 羊顔はブルブルと震え出す。
 可愛い悪魔は、にっこりと笑った。

「だから、バイバイ!」

 パンっと羊顔の頭部が破裂した。
 体の方は、頭が無くなった後にサラサラと塵になり、消えていった。

「あんなに一瞬で」

 羊顔の方も弱くはなかったはずだ。
 人間に憑依していたのに、気配を完全に消せた程だ。
 可愛い悪魔は満足そうにそれを見届けた後、こちらを振り返った。
 俺と目が合うと、すいっと空を飛んで近づいてくる。
 ラインハルトの背中が緊張で強張った。
 悪魔は、面白そうに俺とラインハルトの周りを飛び、ジロジロと見ながら話しかけてきた。

「君たちさぁ。フィンのことが好きなの?」
「「……………は?」」

 問われた内容が予想外過ぎて、間の抜けた声が出た。
 ふふっ、と悪魔は妖しく笑う。

「だって、もどかしそうに、ずっとフィンを見てたでしょ?こっち向け。心配だ。大丈夫なのかって、熱い視線でさぁ。僕、ぞくぞくしちゃった♡」

 自分の両頬に手を当てた悪魔は、うっとりと頬を染めながら、嬉しそうに言った。
 かっと頬に熱が集中する。
 この悪魔は、フィンの中にいて、それに気づいていながら、知らないふりをしていたのだ。

「や~ん!二人とも真っ赤になっちゃって可愛い!一途なんだね。僕、そういう一途な子、大好き!そういう子が、違う人の手に落ちる瞬間とか特にね。ねぇ。僕とイイコト、しない?」

 可愛い悪魔が艶っぽく笑い、俺たちに手を伸ばしてきた。
 しかし、その手が届く前に、違う体が俺とラインハルトに体当たりしてきて、それを阻んだ。
 ぎゅっと二人同時に抱き締められる。

「ダメ!!」

 力強い声だった。
 さっきまでの弱々しさは、どこにもない。

「ヴィルもラインも、僕のだからダメ!」

 抱き締めた腕を離した後、俺たちを背に庇うように振り返ったフィンは、キッと悪魔を睨みつけ、堂々と宣言した。
 悪魔は、拗ねたように頬を膨らませる。

「え~っ?じゃあ、ゴットフリートならいい?あの子も美味しそうだった」
「ゴットも僕のだからダメ!」

 フィンは、またもや突っぱねる。
 怒るかと思った悪魔は、腕を組み、揶揄うようにフィンを見た。

「フィンってば、三人も男を手玉にとってるの?やーらしーなー。そんな初心な見た目して、実は淫乱ちゃんだったのかー。うんうん。じゃあ、みんなで乱交しよっか♡」
「しません!!」

『えー、しようよー!』『しません!』という、二人のやりとりを戸惑いながら見ていた俺は、ポンっと肩を叩かれて、ビクリと体を震わせた。
 振り返ると、ゴットフリートが立っていた。

「心配すんな。あの悪魔は、フィンの味方だ」
「ゴット!お前、どこにいたんだ?」
「さっきまでいなかったよな?」

 俺たちの言葉に、ゴットフリートは悪戯が成功したような顔で笑った。
 そこには、昨日までの鬱々としていたゴットフリートはいない。
 晴れやかな表情になっていた。

「トリスタンとアルベルトさんの護衛をしてた」

 その言葉に、俺とラインハルトは顔を輝かせた。

「じゃあ」

 ゴットフリートは頷き『トリスタンは見つかって無事だ』と嬉しそうに報告した。
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