月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第334話

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「お前は、あの時の女の子だな! いや、違う。いやいや、やっぱりそうだ!」
「母を待つ少女」の奇岩が理亜を見てこのように声を上げたのは、あの夜に自分に水をくれた少女といま自分に対峙している少女とが、同じ顔立ちはしているものの、そのまとっている雰囲気に違いがあるように感じられたからでした。
 それを一目見て感じ取ったというのは、やはり、理亜の心の一部を彼女が引き継いでいたからなのでしょう。
「母を待つ少女」の奇岩が気づいたとおり、あの夜のヤルダンに現れた女の子とここに居る女の子は同じ人物、つまり、どちらも理亜なのですが、その内側にある心には大きな違いが生じていました。
 月明かりの下でヤルダンの広場にフラフラと迷い込んだ少女理亜は、母親を亡くした深い傷を心の奥に有していた上に、熱病に冒された状態で寒山の交易隊から置き去りにされ、頼りにしていた王柔とも離ればなれになっていました。「母を待つ少女」の奇岩に自分が持っていた水を注ぐほど優しい少女ではありましたが、同時に、深い悲しみや絶望も持ち合わせていました。
 ところが、いまこの場で、青い水の入った皮袋を胸に押し当てながら静かに歩み寄る理亜の顔には、そのような暗くて冷たい感情から生じる陰りは見られませんでした。
「理亜は良い子過ぎませんか?」
 地下の大空間の中でそのように言ったのは羽磋でしたが、いまの理亜からは、苦しんでいる「母を待つ少女」を助けたい、そのような優しい気持ちしか感じられないのでした。
 もちろん、これには理由があります。
 あの夜、このヤルダンの広場で、理亜が「母を待つ少女」の奇岩の足元に水を注いだことによって、同じような苦しみを持つ二人の心が混ぜ合わされ、その怒りや悲しみを集めたものが「母を待つ少女]」に戻されました。
 では、二人の心の残りの部分はどうなっていたのでしょうか。そうです、それぞれの少女が持っていた優しい気持ちは集められて、理亜に戻されていました。
 この夜に理亜がまったく意図しないままで執り行ってしまった行為は、精霊の祭事と言っても良いものだったので、そのような不思議な出来事が生じてしまったのですが、二人に及んだ影響はそれだけではありませんでした。この祭事によって混ぜ合わされた二人の心が、明るい部分と暗い部分に振り分けられ、再びそれぞれの身体の中に戻される際に、精霊の力も二人に宿ることになってしまったのです。
「母を待つ少女」の奇岩は、自由に動く身体と新たな奇岩を作ってそれを従える力を得ました。そして、理亜は、日中にあっては人の身体に触れることができなくなり、日没になると次の朝までその存在が消えてなくなる様になってしまいました。
 精霊の力が地上よりも強く働いている地下世界の中では、理亜は他人の身体に触れることができましたし、夜になって消えることもありませんでした。一方で、心の中に混ぜ込まれた「母を待つ少女」由来の部分が、地上にいた時よりも強く力を発するようにもなったようです。理亜は、洞窟の奥から伝わって来た「母を待つ少女」の母親、すなわち、濃青色の球体の気配を敏感に感じ取るのでした。
 そうなると、理亜はもう自分を抑えることはできませんでした。
「母を待つ少女」は、母親が大地の割れ目に身を投じたところを、その目で見てはいました。それでも、ひょっとしたら、母親がまた帰って来てくれるのではないかと、心の一部で希望を持ち続けていたのです。その母親の気配を感じ取ったのですから、理亜の身体の中に戻された「母を待つ少女」の心の半分が騒ぎ立てないはずが無いのです。
「お母さんだ! お母さんがこの奥にいる!」
 その思いで胸がいっぱいになった理亜は、一緒に歩いていた王柔や羽磋のことなど考えから抜け落ちてしまいました。そして、彼らを置き去りにして、洞窟の奥へと走り去ったのでした。
 果たして、洞窟の最深部が繋がっていた地下の大空間の中で、理亜は濃青色の球体に巡り合うことができました。でも、球体に変化していた母親からは、「お前たちはわたしを騙そうとしているのだろう」と疑われてしまいます。諸々の状況を素早く分析した羽磋の説明によってその誤解は解け、自分の身体の中に「母を待つ少女」、つまり、由と言う名の女の子の心の半分が入っている事を、母親に納得してもらえたのですが、そこで、母親との再会をゆっくりと喜ぶ事はできませんでした。それは、地上にある「母を待つ少女」の奇岩に、危機が迫っていることがわかったからでした。
 理亜は、羽磋や王柔に促されるまま、素直に地上に戻ってきました。母親と長い間離れていた子供が、ようやく母親と会えたのですから、泣き出したり「お母さんと離れたくない」などと言ったりして皆を困らせても全く不思議では無いのに、その様なそぶりを見せることもありませんでした。
 それは、理亜の身体に戻されたのが、少女二人の心を混ぜ合わせたもののうち、優しさや辛抱強さ、そして、従順さや献身性などを取り集めたものだったから、という理由だけではありません。
 一時は、心の中から湧き上がる衝動に突き動かされるままに行動していた理亜でしたが、濃青色の球体に会い、それを「お母さん」と呼ぶ中で、再認識もしていたのです。「これは、由のお母さんだ。由をお母さんに、それに、お母さんに由を、会わせてあげないといけない」と。
 濃青色の球体が噴き出した青い水にのって、地中から地上へ戻って来た理亜。
 いま、彼女の目の前には、あの夜のヤルダンで出会った、不思議な形をした砂岩の像が立っています。「母を待つ少女」の奇岩として知られるそれは、砂岩の塊である身体を滑らかに動かし、さらには、聞く者には「声」と思える思念で語り掛けても来ます。
 その奇岩は、明らかに困惑していて、理亜に向かって「お前は、あの時の女の子だな! いや、違う。いやいや、やっぱりそうだ!」と大声で叫んできました。そして、さらには、「なんだ、何をしに現れたっ。邪魔をするなっ。あたしは、いま仕返しをしているんだっ!」と、ビュンビュウンと両腕を振り回しながら、威嚇をしてきました。
「母を待つ少女」の奇岩はいま非常に不安定な心持ちでしたから、大声を出しながら攻撃の態勢を取るその様子は鬼気迫るもので、小さな女の子どころか、大人の男であっても、後ろを向いて逃げ出してしまいたくなるような、とても恐ろしいものでした。
 でも、その奇岩の像に向かって、理亜はゆっくりと近づくことを止めませんでした。
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