280 / 341
月の砂漠のかぐや姫 第277話
しおりを挟む
想像するまでもなく、小さな理亜にとってそれはとても難しいことです。それでも彼女がその場を逃げ出さないで顔を上げ続けているということが、この上もなく大きくて強い思いが彼女の中にある事を表していました。
「お母さんっ!」
理亜は再び大きな声を出して、刺すような視線で自分を見降ろしている母親に訴えかけました。理亜はこの「母を待つ少女」の昔話の当事者である母親に、つまり、遠い昔に絶望のあまり地面の裂け目に身を投げて、いまでは濃青色の球体となり、その内部では通常の人の何倍もの大きさとなって存在している霊体に、自分のお母さんと呼び掛けているのでした。
親と生き別れになってしまった子が第一に求めるものとは、親と再び出会うことではないでしょうか。そして、もしも親にもう一度巡り合えたとしたら、再び離ればなれになることがないように、力の限りを尽くすことでしょう。いまの理亜の身体の中にある強い思いとは、まさにこの「やっと会えた母親に自分を認められたい。そして、もう二度と離れたくない」という純粋で揺らぎのない思いなのでした。
でも、「母親」が言うように、赤い髪を持ち目鼻立ちのくっきりとした理亜の外観は、月の民の女の子のものではありません。「母を待つ少女」の話は月の民に古くから伝わる物語であり娘の髪の色は夜空のような黒色であったと思われますから、二人の外観は全く異なります。それに、そもそも理亜は数年前に月の民から遠く離れた西の国で捕らえられ、奴隷としてこの国に送られてきた女の子です。昔話で謳われるような遠い昔に生きた女の子ではないのです。理亜がこの「母親」の娘であるはずがありませんし、「母親」が彼女の母親であるはずがないのです。
それでも、理亜は母親に対して叫び続けました。そして、彼女は「理亜」ではない別の名前で、再び母親に向かって名乗るのでした。
「お母さん、わからないノ? アタシ、由(ユウ)ダヨッ!」
遠い昔に、母親は自分の娘の命を救えなかった悲しみ、それも、単に娘が病気で亡くなったのではなく砂像という異形になってしまったという絶望のために、地面の割れ目に身を投げこの地下世界へ落ちてきました。不思議な力の働きにより濃青色の球体となった母親は、それからの長い時間を、娘を救えなかったどころか呪われた異形へと変えてしまったことを思い出しては、喉を掻きむしりながら血を吐くような叫び声をあげ大粒の涙を地面に落として過ごしてきました。その悲しみと絶望があまりにも強く深いものであったので、それらの念が青く輝く光となって地中を流れる川の水を青色に染め、それを飲んだ者も自らの悲しい体験や恐ろしい記憶を呼び起こされるようになったほどでした。
娘と一緒に暮らしていた頃は自分の心を温める太陽の光であった「由」という名前は、地下へ落ちた後の母親にとっては、心臓に突き刺さる氷でできた矢になっていました。母親は娘の事を思い出さずにはいられなかったのですが、その度に悲しみが、絶望が、そして娘への申し訳なさが、心を傷つけるのでした。その娘の名を、「由」という大切な名前を、目の前に現れた異国の少女が何度も口にし、自分のことを「お母さん」と呼ぶのです。
想像もできないほどの長い時間をたった一人で地下で過ごし、もはや人間としての細かな感情の動きを忘れ、半ば「悲しみ」と「絶望」の精霊と化していた「母親」でしたが、火山の口から吹き出る噴火のような激しくも鮮やかな怒りの炎が、急速に体内に湧いてくるのを感じました。鮮烈な怒りがぼんやりとしていた彼女の意識の隅々までを照らし、もう一度動きを取り戻すように告げて回りました。
「それに」と、母親は思いました。交易路から落下した理亜が川を流され、地下に広がる大空間へと入り込んできたときに、川の流れを下った先に広がる地下世界の中心で母親はそれを感じ取っていました。それはこれまでに感じたことのない感覚で、「何やら暖かいもの」、「好ましい何か」がやってきたと、彼女に告げたのでした。
それ以来、母親はその何者かが自分のところへやってくるのを待っていました。半ば精霊と化した母親の気持ちは天気の変動のように大きな動きしか見せなくなっていたのですが、彼女が近づいて来るに連れて、明るい気持ちが高まって来ていたのでした。なぜなら、その「何か」が発する好ましい感覚は、自分の娘を思い出させるものだったからでした。母親は細かな感情の動きを無くしていましたから、「ひょっとしたら・・・・・・」と言うように、言語立ててはっきりと意識したわけではありません。でも、その感情の空には、「娘が自分に会いに来てくれたのかもしれない」という期待の雲が浮かんでいました。「そんなことが有り得るはずがない」という、理論建てた考えなどができる状態ではなかったのです。
「それなのに」と、さらに母親は思いました。ようやく自分のところにやってきた「好ましい」と思った何かは、娘ではありませんでした。確かに、いまでも娘のような何かを感じないではありませんが、目の前にいる少女の赤い髪と異国人の特徴を持つ容貌を見て、その少女が言う「お母さん」という言葉を聞いたとたんに、それは「怒り」という炎に注がれる油でしかなくなってしまいました。
地下世界を通り抜けて自分のところまでやってきた少女は、「娘かもしれない好ましいもの」ではなくなり、「大事な娘を語る憎いもの」に変わってしまったのでした。
「お母さんっ!」
理亜は再び大きな声を出して、刺すような視線で自分を見降ろしている母親に訴えかけました。理亜はこの「母を待つ少女」の昔話の当事者である母親に、つまり、遠い昔に絶望のあまり地面の裂け目に身を投げて、いまでは濃青色の球体となり、その内部では通常の人の何倍もの大きさとなって存在している霊体に、自分のお母さんと呼び掛けているのでした。
親と生き別れになってしまった子が第一に求めるものとは、親と再び出会うことではないでしょうか。そして、もしも親にもう一度巡り合えたとしたら、再び離ればなれになることがないように、力の限りを尽くすことでしょう。いまの理亜の身体の中にある強い思いとは、まさにこの「やっと会えた母親に自分を認められたい。そして、もう二度と離れたくない」という純粋で揺らぎのない思いなのでした。
でも、「母親」が言うように、赤い髪を持ち目鼻立ちのくっきりとした理亜の外観は、月の民の女の子のものではありません。「母を待つ少女」の話は月の民に古くから伝わる物語であり娘の髪の色は夜空のような黒色であったと思われますから、二人の外観は全く異なります。それに、そもそも理亜は数年前に月の民から遠く離れた西の国で捕らえられ、奴隷としてこの国に送られてきた女の子です。昔話で謳われるような遠い昔に生きた女の子ではないのです。理亜がこの「母親」の娘であるはずがありませんし、「母親」が彼女の母親であるはずがないのです。
それでも、理亜は母親に対して叫び続けました。そして、彼女は「理亜」ではない別の名前で、再び母親に向かって名乗るのでした。
「お母さん、わからないノ? アタシ、由(ユウ)ダヨッ!」
遠い昔に、母親は自分の娘の命を救えなかった悲しみ、それも、単に娘が病気で亡くなったのではなく砂像という異形になってしまったという絶望のために、地面の割れ目に身を投げこの地下世界へ落ちてきました。不思議な力の働きにより濃青色の球体となった母親は、それからの長い時間を、娘を救えなかったどころか呪われた異形へと変えてしまったことを思い出しては、喉を掻きむしりながら血を吐くような叫び声をあげ大粒の涙を地面に落として過ごしてきました。その悲しみと絶望があまりにも強く深いものであったので、それらの念が青く輝く光となって地中を流れる川の水を青色に染め、それを飲んだ者も自らの悲しい体験や恐ろしい記憶を呼び起こされるようになったほどでした。
娘と一緒に暮らしていた頃は自分の心を温める太陽の光であった「由」という名前は、地下へ落ちた後の母親にとっては、心臓に突き刺さる氷でできた矢になっていました。母親は娘の事を思い出さずにはいられなかったのですが、その度に悲しみが、絶望が、そして娘への申し訳なさが、心を傷つけるのでした。その娘の名を、「由」という大切な名前を、目の前に現れた異国の少女が何度も口にし、自分のことを「お母さん」と呼ぶのです。
想像もできないほどの長い時間をたった一人で地下で過ごし、もはや人間としての細かな感情の動きを忘れ、半ば「悲しみ」と「絶望」の精霊と化していた「母親」でしたが、火山の口から吹き出る噴火のような激しくも鮮やかな怒りの炎が、急速に体内に湧いてくるのを感じました。鮮烈な怒りがぼんやりとしていた彼女の意識の隅々までを照らし、もう一度動きを取り戻すように告げて回りました。
「それに」と、母親は思いました。交易路から落下した理亜が川を流され、地下に広がる大空間へと入り込んできたときに、川の流れを下った先に広がる地下世界の中心で母親はそれを感じ取っていました。それはこれまでに感じたことのない感覚で、「何やら暖かいもの」、「好ましい何か」がやってきたと、彼女に告げたのでした。
それ以来、母親はその何者かが自分のところへやってくるのを待っていました。半ば精霊と化した母親の気持ちは天気の変動のように大きな動きしか見せなくなっていたのですが、彼女が近づいて来るに連れて、明るい気持ちが高まって来ていたのでした。なぜなら、その「何か」が発する好ましい感覚は、自分の娘を思い出させるものだったからでした。母親は細かな感情の動きを無くしていましたから、「ひょっとしたら・・・・・・」と言うように、言語立ててはっきりと意識したわけではありません。でも、その感情の空には、「娘が自分に会いに来てくれたのかもしれない」という期待の雲が浮かんでいました。「そんなことが有り得るはずがない」という、理論建てた考えなどができる状態ではなかったのです。
「それなのに」と、さらに母親は思いました。ようやく自分のところにやってきた「好ましい」と思った何かは、娘ではありませんでした。確かに、いまでも娘のような何かを感じないではありませんが、目の前にいる少女の赤い髪と異国人の特徴を持つ容貌を見て、その少女が言う「お母さん」という言葉を聞いたとたんに、それは「怒り」という炎に注がれる油でしかなくなってしまいました。
地下世界を通り抜けて自分のところまでやってきた少女は、「娘かもしれない好ましいもの」ではなくなり、「大事な娘を語る憎いもの」に変わってしまったのでした。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約破棄されて修道院へ送られたので、今後は自分のために頑張ります!
猫石
ファンタジー
「ミズリーシャ・ザナスリー。 公爵の家門を盾に他者を蹂躙し、悪逆非道を尽くしたお前の所業! 決して許してはおけない! よって我がの名の元にお前にはここで婚約破棄を言い渡す! 今後は修道女としてその身を神を捧げ、生涯後悔しながら生きていくがいい!」
無実の罪を着せられた私は、その瞬間に前世の記憶を取り戻した。
色々と足りない王太子殿下と婚約破棄でき、その後の自由も確約されると踏んだ私は、意気揚々と王都のはずれにある小さな修道院へ向かったのだった。
注意⚠️このお話には、妊娠出産、新生児育児のお話がバリバリ出てきます。(訳ありもあります)お嫌いな方は自衛をお願いします!
2023/10/12 作者の気持ち的に、断罪部分を最後の番外にしました。
2023/10/31第16回ファンタジー小説大賞奨励賞頂きました。応援・投票ありがとうございました!
☆このお話は完全フィクションです、創作です、妄想の作り話です。現実世界と混同せず、あぁ、ファンタジーだもんな、と、念頭に置いてお読みください。
☆作者の趣味嗜好作品です。イラッとしたり、ムカッとしたりした時には、そっと別の素敵な作家さんの作品を検索してお読みください。(自己防衛大事!)
☆誤字脱字、誤変換が多いのは、作者のせいです。頑張って音読してチェックして!頑張ってますが、ごめんなさい、許してください。
★小説家になろう様でも公開しています。
ただしい異世界の歩き方!
空見 大
ファンタジー
人生の内長い時間を病床の上で過ごした男、田中翔が心から望んでいたのは自由な世界。
未踏の秘境、未だ食べたことのない食べ物、感じたことのない感覚に見たことのない景色。
未だ知らないと書いて未知の世界を全身で感じることこそが翔の夢だった。
だがその願いも虚しくついにその命の終わりを迎えた翔は、神から新たな世界へと旅立つ権利を与えられる。
翔が向かった先の世界は全てが起こりうる可能性の世界。
そこには多種多様な生物や環境が存在しており、地球ではもはや全て踏破されてしまった未知が溢れかえっていた。
何者にも縛られない自由な世界を前にして、翔は夢に見た世界を生きていくのだった。
一章終了まで毎日20時台更新予定
読み方はただしい異世界(せかい)の歩き方です
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
「不細工なお前とは婚約破棄したい」と言ってみたら、秒で破棄されました。
桜乃
ファンタジー
ロイ王子の婚約者は、不細工と言われているテレーゼ・ハイウォール公爵令嬢。彼女からの愛を確かめたくて、思ってもいない事を言ってしまう。
「不細工なお前とは婚約破棄したい」
この一言が重要な言葉だなんて思いもよらずに。
※約4000文字のショートショートです。11/21に完結いたします。
※1回の投稿文字数は少な目です。
※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。
表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年10月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
1ページの文字数は少な目です。
約4500文字程度の番外編です。
バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`)
ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑)
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。
わがまま姉のせいで8歳で大聖女になってしまいました
ぺきぺき
ファンタジー
ルロワ公爵家の三女として生まれたクリスローズは聖女の素質を持ち、6歳で教会で聖女の修行を始めた。幼いながらも修行に励み、周りに応援されながら頑張っていたある日突然、大聖女をしていた10歳上の姉が『妊娠したから大聖女をやめて結婚するわ』と宣言した。
大聖女資格があったのは、その時まだ8歳だったクリスローズだけで…。
ー---
全5章、最終話まで執筆済み。
第1章 6歳の聖女
第2章 8歳の大聖女
第3章 12歳の公爵令嬢
第4章 15歳の辺境聖女
第5章 17歳の愛し子
権力のあるわがまま女に振り回されながらも健気にがんばる女の子の話を書いた…はず。
おまけの後日談投稿します(6/26)。
番外編投稿します(12/30-1/1)。
作者の別作品『人たらしヒロインは無自覚で魔法学園を改革しています』の隣の国の昔のお話です。
死霊王は異世界を蹂躙する~転移したあと処刑された俺、アンデッドとなり全てに復讐する~
未来人A
ファンタジー
主人公、田宮シンジは妹のアカネ、弟のアオバと共に異世界に転移した。
待っていたのは皇帝の命令で即刻処刑されるという、理不尽な仕打ち。
シンジはアンデッドを自分の配下にし、従わせることの出来る『死霊王』というスキルを死後開花させる。
アンデッドとなったシンジは自分とアカネ、アオバを殺した帝国へ復讐を誓う。
死霊王のスキルを駆使して徐々に配下を増やし、アンデッドの軍団を作り上げていく。
魔力∞を魔力0と勘違いされて追放されました
紗南
ファンタジー
異世界に神の加護をもらって転生した。5歳で前世の記憶を取り戻して洗礼をしたら魔力が∞と記載されてた。異世界にはない記号のためか魔力0と判断され公爵家を追放される。
国2つ跨いだところで冒険者登録して成り上がっていくお話です
更新は1週間に1度くらいのペースになります。
何度か確認はしてますが誤字脱字があるかと思います。
自己満足作品ですので技量は全くありません。その辺り覚悟してお読みくださいm(*_ _)m
婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな
カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界
魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた
「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね?
それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」
小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く
塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう
一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが……
◇◇◇
親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります
(『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です)
◇◇◇
ようやく一区切りへの目処がついてきました
拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる