月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第271話

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「良かったですねぇ。これで娘さんも助かりますねぇ」
 母親の気持ちにすっかりと感化されてしまったのか、王柔が鼻をすすりながら湿った声で呟きました。
「そうですね。でも・・・・・・」
 羽磋も母親の過去を追体験しその気持ちを共有していましたから、王柔がそう感じるのはよくわかりました。でも、王柔と同じように「これで良かった」という気持ちにはなれないでいました。彼は忘れていませんでした。これは「母を待つ少女」の昔話に出てくる母親の記憶だということを。昔話では、この後はたしか・・・・・・。

 羽磋が考えたとおり、この後に彼らが見た光景は、「絶望」と「悲嘆」の光景としか表現のしようがないものでした。
「やっと娘に薬草を届けることができる。これで娘の病気は治るんだ」
 達成感と安堵で心の中を暖かにしながら村に向かって走った母親がその手前で見たものは、道端にポツンと立つ砂岩の塊でした。ゴビの荒れ地では砂岩の塊自体は珍しくありませんが、これまで村の周辺とそこに通じる道筋にはそのような砂岩の塊は見られなかったので、離れたところからでもそれは母親の目を引きました。
「自分が長く留守にしていた間に、こんな岩が?」
 それはスッと地面に立った人の背丈ほどある細長い砂岩の塊でしたから、どこからか転がってきたものとは思えませんでした。また、周囲に砂岩でできた丘のようなものがあるわけではなかったので、丘の端が砕けて落ちてきたものとも思えませんでした。
 村の長老宅で臥せっているはずの娘の元へと急ぐ母親でしたが、その砂岩の存在が妙に気になって仕方ありませんでした。村が近くなるに連れてその砂岩の姿が大きく見えるようになってきましたが、それに合わせるかのように、母親の心をチクチクと刺す何かの力も大きくなってきました。
 とうとう、母親は我慢ができなくなってしまいました。
「道を離れると言っても、ほんの僅かな距離だから」
 砂岩の塊の近くまで来たときに母親は自分にそう言い聞かせると、村へと走る足の向きを変えて道を外れました。母親はその砂岩のところへ行ってみることにしたのです。自分でも何故だかわからないのですが、この砂岩を無視したままで村の中へ入る気には、どうしてもなれなかったのでした。
 交易隊と別れてからここまでの間、母親は走りどおしでしたから、足を止めた瞬間にドッと疲れが身体の上にのしかかってきました。まるで重い穀物の袋を背中の上に置かれたように感じながら、母親はゴビの上を一歩一歩進んでいきました。
「なんだろうか、この砂岩の塊は」
「周りにはこんな塊はないのに、どうしてここにだけ転がっているのだろう」
「子供の頃にこんなものを見たことがあったかな」
 新しく目にした砂岩への疑問が、次々と母親の胸に湧いてきました。ただ、ひょっとしたらそれは、自然に湧いてきた疑問では無くて、母親自身が無意識の内にわざと起こしていた疑問であるかもしれませんでした。つまり、母親はその砂岩が、見てはいけないもの、見たくないものであることを、直感的に気が付いていて、それについて深く考えないように、本質とは関係がない疑問を次々と作り出していたのかもしれませんでした。
 でも、やはりそれには限りがありました。湧き起こった疑問についてひとしきり考えると、母親はそれらの疑問の渦の中心に目を向けてしまいました。
「あんな砂岩の形は見たことがない。いつもはもっとゴロッとした塊だ。それなのに、あれはスッと地面から立った不思議な形をしている。なんだろう、あの形は」
 とうとう、母親の関心はその点に辿り着いてしまったのでした。
 一度砂岩の形が気になると、母親はそればかりが気になるようになりました。
 何かが心に引っかかっているような気がしていました。全体の細長い形状。自分より少し小さいぐらいの大きさ。ちょっと突き出したあの部分。何でしょうか。何がこんなにも気になるのでしょうか。
 砂岩のすぐ近くにまで来ると、母親は少し腰をかがめてその側面を覗き込みました。
「あっ!」
 驚きのあまり、母親は自分の口から声が漏れたことにすら気が付きませんでした。
 自分の見たものが信じられなかったのでしょう。母親はすぐに二、三歩後ろに下がって、砂岩の全体像を食い入るように見つめ始めました。その視線はとても強く、どんな些細なものでも見逃さないという決意が感じられました。そうです、母親は探していたのです。自分に「見えてしまったもの」を否定してくれる何かを。
でも、母親が注意深く見れば見るほど、自分が見てしまったこと、気が付いてしまったことが正しいという思いばかりが、彼女の願いに反して深まっていくのでした。
「ウワアアアアアアッ!」
 突然、母親は空を向き両手を振り上げると、叫び声を上げました。
 我が子をヤマネコに襲われたネジツノヤギが上げる声にも似たギシギシとして甲高いその声は、絶望が形になったものでした。
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