月の砂漠のかぐや姫

くにん

文字の大きさ
上 下
190 / 341

月の砂漠のかぐや姫 第188話

しおりを挟む

「ィヤアアッ・・・・・・、オージュ!」
 王柔の胸の中で理亜があげる悲鳴が、空中に長い尾を引きました。王柔は少しでも理亜を守ろうと、ギュッと目をつぶったままで、彼女に回している腕に力を込めました。理亜の悲鳴を聞いた羽磋は、目を見開いて自分に何かできることがないか必死に頭を回転させ続けました。でも、彼の体は真っすぐに落ちていくばかりです。彼にできることは、少しでも落下の衝撃を和らげるために、体を丸くすることだけでした。
「輝夜、輝夜、輝夜っ」
 死すら覚悟するこの瞬間に、理亜は王柔の名を叫び、王柔は理亜を護るために抱きしめ、そして、羽磋は心の中で輝夜の名を繰り返していました。
 小道の縁から下は深い谷につながっていました。ゴビの大地に刻まれたその深い谷底には、既に傾きつつある太陽の光は届いておらず、暗闇が滞っていました。
 その暗闇の中に羽磋や王柔たちが飲み込まれた次の瞬間。
 ドブンッ! バアシャーン!
 低い水音と大きな水柱が、谷底の暗闇の中で立てつづけに上がりました。
 薄暗い谷底では、祁連山脈を起源とする清らかな水が勢いよくしぶきを上げながら流れて、幅は狭いものの深い川を形成していました。羽磋たちは、そこへ頭から落ちて行ったのでした。
 ゴビの砂漠では、大地の端が岩壁になっていて、その崖下にはまた別の段のゴビの大地が広がっているという場所も、数多く見られます。しかし、この交易路の小道が刻み込まれた岩壁は、激しい流れの川がゴビの砂岩を削り取って作った地形の一部であり、今でもその谷底には豊富な水量を誇る川が流れていたのでした。これは、羽磋たちにとっては、まぎれもない幸運でした。そうでなければ、彼らはこの瞬間に大地に激突して命を失っていたでしょうから。
 とはいえ、突然に激しい流れの中に落下した彼らには、いったい何がどうなっているのか、ゆっくり考える余裕などあるはずがありません。いきなり放り出された冷たい水の中で、激しい流れにぐるぐると体を動かされ、どちらが上かどちらが下かもわからないままで、とにかく、生き物としての本能に従って、息を、空気を求めて、もがくしかありませんでした。
「ぐう! ぼわっ、おぼぼっ」
「あわ・・・・・・。わわっ。ゴブ、ブブ」
 落下している間は理亜の体をぎゅっと抱きかかえていた王柔でしたが、ズブズブッと水の底深くに沈み込むとあわてて彼女の体を離し、自由になった両腕で水をかきました。しっかりと整理した考えが頭の中にあっての行動ではありませんが、それは、理亜を投げ出して自分だけが助かろうというものではなく、二人してぎゅっと抱き合ったままではそのままおぼれてしまうという、とっさの判断だったのでした。
 理亜の体は、すぐに激しい水の流れに巻き込まれて、彼の胸の中から離れていきました。でも、理亜がどこに行ってしまったかを目で追うことさえも、王柔にはできませんでした。
「上は、上はどっちだっ。息が、息が!」
 川の流れに翻弄されて満足に身動きのできない王柔は、水中でどんどんと息が苦しくなってきていました。そのため、とにかく水の上に顔を出したいという一点に、彼の意識は集約されていたのでした
 王柔は自分たちが駱駝と共に小道から落下していることがわかっていましたが、暴走する駱駝の背にただただしがみ付いてた理亜には、それすらもわかっていませんでした。とにかく暴れる駱駝から振り落とされないようにと、ぎゅっと目をつぶり顔を伏せて、全力でその背にしがみ付いていたからです。
 突然、自分が掴まっている駱駝ごとふわっと浮いたような感覚があったかと思うと、急に自分たちが下に落ちていくような感じがしました。思わず悲鳴を上げた理亜は王柔に抱きしめられ・・・・・・、そして、冷たい水の中に投げ出されました。
 もう何が何だかわかりません。自分を包んでくれていた王柔の体の感触も無くなってしまいました。理亜は、必死で体を動かしました。水の中に放り出されたことは間違いないのです。とにかく、このままでは息ができません。どうすれば良いかなんてわかりません。でも、このままでは、このままではっ。川の激しい流れに翻弄されてぐるぐると体を回転させながら、理亜は懸命に両手両足を動かしてもがき続けました。
 彼らの中で唯一冷静であったのは羽磋でした。
 羽磋は、全身に冷たい痛みが走り、そして、自分の体が何かの力によって持ち上げられたり不規則に動かされたりするのを感じて、すぐに状況を察しました。川です。川の中に投げ出されたのです。小道の上からは、太陽の光が差し込まず薄暗い崖下がどうなっているのかわからなかったのでしたが、ありがたいことにそこには川が流れていたのです。
 高いところにある小道から落ちてきた勢いで水中深く潜り込んでしまった羽磋でしたが、彼は空気を求めてもがきたいという心をぐっと押さえつけて、それとは反対にすっと体の力を抜きました。それは、水中でなんども体を回転させていた彼には、まだどちらが上でどちらが下かもわからなかったからでした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

死霊王は異世界を蹂躙する~転移したあと処刑された俺、アンデッドとなり全てに復讐する~

未来人A
ファンタジー
主人公、田宮シンジは妹のアカネ、弟のアオバと共に異世界に転移した。 待っていたのは皇帝の命令で即刻処刑されるという、理不尽な仕打ち。 シンジはアンデッドを自分の配下にし、従わせることの出来る『死霊王』というスキルを死後開花させる。 アンデッドとなったシンジは自分とアカネ、アオバを殺した帝国へ復讐を誓う。 死霊王のスキルを駆使して徐々に配下を増やし、アンデッドの軍団を作り上げていく。

魔力∞を魔力0と勘違いされて追放されました

紗南
ファンタジー
異世界に神の加護をもらって転生した。5歳で前世の記憶を取り戻して洗礼をしたら魔力が∞と記載されてた。異世界にはない記号のためか魔力0と判断され公爵家を追放される。 国2つ跨いだところで冒険者登録して成り上がっていくお話です 更新は1週間に1度くらいのペースになります。 何度か確認はしてますが誤字脱字があるかと思います。 自己満足作品ですので技量は全くありません。その辺り覚悟してお読みくださいm(*_ _)m

婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな

カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界 魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた 「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね? それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」 小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く 塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう 一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが…… ◇◇◇ 親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります (『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です) ◇◇◇ ようやく一区切りへの目処がついてきました 拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。 だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。 十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。 ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。 元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。 そして更に二年、とうとうその日が来た…… 

処理中です...