月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第86話

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「ああ、理亜ぁっ!」
 時として、物事が急に速度をあげて進むことがあります。それは、悪い方向にばかりとは限りません。この時に物事が進んだのは、王柔にとっては全く予想外ではあるものの良い方向にでした。なんと、村の門を出て直ぐのところに、理亜が立っていたのでした。それも、村の入口の方を向いて、王柔を待つようにして・・・・・・。
 もちろん、王柔は大喜びで理亜の元へ走りました。そして皆に理亜を紹介するとすぐに、彼女を王花の酒場へと案内しようとしました。でも、その王柔と理亜の前に立って、彼らを押しとどめる者がありました。それは、他ならぬ王花だったのでした。
「なにするんですか、王花さん。早く彼女を酒場へ連れて行って、休ませてあげましょうよ」
「ああ、休ませてあげたいのは山々だけどね、王柔。アタシは、この子と同じぐらいに、アンタや他の子たちのことも心配しなきゃならない。アンタの話だとこの子は風粟の病に罹っているそうじゃないか。その症状があるならば、この村に入れることはできないよ」
 王花の言葉は冷たいようですが、病気に対する、特に風粟の病のような疫病に対する有効な手だてを持たない彼らとしては、これは至極常識的な対応なのでした。それに、王花は自分の盗賊団の者たちを家族のように思っていたので、彼らを疫病から守るという点からも、これは必要な用心なのでした。
 王花は、これから自分がどう扱われるのか心配そうな顔をしている理亜の前にしゃがみこんで、彼女と視線の高さを合わせると、優しく挨拶をしました。
「こんにちは、小理亜。アタシは王花の盗賊団の頭首の王花だ。アンタの事は王柔から聞いたよ。安心しな、アンタのことは、アタシがきちんと面倒を見てあげる。だけど、それにはアンタが今どういう体調かを知る必要がある。病気をしたっていうのも聞いているからね。いいかい、ちょっと身体を見させてもらっても」
 理亜が奴隷となった元々のきっかけは、自分の一族が月の民と遊牧地をめぐって争い、破れたことからでした。それ以来、幾つかの奴隷商人に商品として扱われ、いろんな場所を渡り歩いた結果でこの場にいるのですが、その間、このように一人の人間として自分に向き合ってくれたのは、王柔を除いては王花が初めてでした。
 そのように大切に扱われたせいか、王花という大人の女性に初めて会うのに、理亜はまったく怖れを感じることがありませんでした。
 小さく頷く理亜を自分の身体で隠すようにして、王花は彼女の身体を確認しました。そこに、風粟の病の兆候、あるいは、痕跡があるのかをです。
「王柔!」
 王花の緊張した声が、王柔に向って飛びました。
 酒場の他の従業員と一緒に、彼女たちの方から目を背けていた王柔は、全身に震えが走るのを感じました。もしや、また、風粟の病が理亜の身体に現れているのでしょうか。いや、風粟の病の通常の経過を考えれば、そもそも、発病してから時間が経っていない彼女が何事もないように過ごしていることこそが、不思議とも言えるのですが・・・・・・。
「どうしました、王花さん。やっぱり、まだ風粟の病が残っていますか・・・・・・」
「いや、そうじゃないんだよ、王柔。この子の身体は綺麗なもんさ。本当に風粟の病に罹っていたのかい? 痘痕の一つも見当たらないんだけどさ。ああ、それに、何よりも驚いたのは・・・・・・」
 ほら、とでも言うように、王花は理亜の手を取りました。王花の大きな手は、理亜の小さな手を、すっと通り抜けていきました。
「この子の身体を、あたしの手が通り抜けていくんだよっ」
「ああ……」
 王柔としては、「その事も報告していましたよ」と、驚いた顔をしている王花へ叫びたい気持ちでした。でも、それよりもまず彼の口から洩れたのは、一番心配していた風粟の病が彼女の身体に見られないことへの、安堵のため息だったのでした。
 それにしても、一晩中、理亜は一体どこでどうしていたのでしょうか。王柔たちの質問に対して、理亜自身も答えを持っていないようでした。彼女のできる説明は「急にすごく眠たくなって、寝てしまったみたい。目がさめたときには周りは明るくなっていたので、王柔を探していた」という事だけだったのでした。
「わかった。大事なのはアンタが、今元気でここにいるということだ。他の事は後で考えようよ。来な、アタシの家、王花の酒場へ。そこがこれからのアンタの居所だよ」
 王柔の期待していたとおり、王花は理亜を受け入れてくれました。もともと、この王花の盗賊団は、阿部と王花が、行き場のない人、それも特に異国からの者たちを受け入れて、大きくなってきたものでした。でも、そのような事情がなかったとしても、王花はきっと理亜を受け入れてくれたと王柔は確信していました。自分たちのお母さんであるが王花が、この儚げでけなげな少女を目の前にしてどうするかなど、考えるまでもないことでしたから。
 王柔や酒場の男どもの前で、王花は、理亜の触れることのできない身体を、自分の両手で抱きしめるように包み込みました。
「王、カサン?」
「ああ、王花さんだ。いや、そうだ、これからは、アタシがアンタのお母さんだ。な、それでいいよね?」
「王花サン、オカアさん・・・・・・」
「そうだ、そうだよ。理亜」
 今の理亜には、王花の身体の温もりを感じることはできません。それでも、理亜の心には、とても温かい何かに包まれているような、心地よい安心感が芽生えたのでした。
 こうして理亜は、王花の酒場、王花の盗賊団に、迎え入れられたのでした。
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