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月の砂漠のかぐや姫 第76話
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高熱のためか、理亜と呼ばれた奴隷の少女は、王柔に対して弱々しく頷くだけで、何も答えることが出来ませんでした。
そんな彼女を少しでも励まそうとする王柔でしたが、自分の後ろに冷たい空気を感じて振り返りました。そうです、彼らのすぐ後ろには寒山が立っていたのでした。
「その奴隷の女と、どういういきさつがあるのかは問わん、だが、案内人。その奴隷は、これ以上連れて行くわけにはいかない。交易隊全体の歩みが遅れてしまう上に、他の交易隊員や奴隷に病を広げる恐れがある。さぁ、お主も、さっさと、持ち場に戻れ」
もう奴隷の少女に関わるのを止めて、交易隊の案内に戻るようにと、寒山は王柔に告げました。彼の中では、この問題に対する対応は、既に決定しているようでした。それは、他の荷、つまり、その他の奴隷に病が広がる怖れがある以上、この荷、つまり少女を切り捨てて、安全を確保するというものでした。
寒山の考えがどのようなものか、王柔にも想像することが出来ました。でも、王柔には、妹のように思うこの少女を置いていくことなど、とてもできませんでした。なんとか、隊長殿にお願いして・・・・・・、奴隷の少女の肩を抱いたまま王柔が寒山に話しかけようとしたとき、寒山がそれを制しました。
「お主の願いはよく判っている。だが、これ以上、願い事を聞く余地はないぞ、案内人。その子はここに置いていく。この荷をあきらめた以上、この短剣で切り捨てても構わんのだぞ」
寒山の名の由来の通り、天山山脈の峰の先に輝く氷のような、冷たく揺るぎのない言葉でした。
人が誰かにお願いをするのは、その人に願い事を伝えるためではないでしょうか。それを何度も繰り返すのは、願い事が相手に伝われば叶えてもらえるかもしれないと、望みを持つからではないでしょうか。寒山は言うのでした。「お主の願いはよく判っている」と。願い事が伝わっている以上、もう願い事を繰り返しても意味がありません。そして、その願い事が存在することを考慮したうえで、それを聞き入れる余地はないと、はっきりと寒山が断言した以上、それがかなう望みは無いのでした。
王柔は、願い事を出そうとした口をただむなしく開け閉めする他は、何もできませんでした。
これ以上何かを言おうものなら、進行が遅れることを嫌って、隊長殿はこの子を切り捨ててしまうかもしれない・・・・・・。だめだ、だめだ、そんなことはだめだ。だけど、どうしたらいいんだ、どうしたらいいんだ・・・・・・。
頭の中が真っ白になって何も考えがまとまらない王柔は、ただ、ぎゅっと少女の肩を抱きかかえるだけでした。
寒山にとっては、王柔は王花の盗賊団から派遣された案内人で、その身を傷つけることはできません。今この瞬間も、ヤルダンの奇岩の陰から、王花の盗賊団が彼らの交易隊を見張っているのかも知れないのです。生きる通行証である王柔は、生きていてこそ価値があるのです。
もし、王柔にもっともっと経験があったとしたら。もっともっと人に対して強く出られる太い心を持っていたとしたら。
そうであれば、彼は自分の立場を利用して、強弁をすることが出来たのかも知れません・・・・・・。でも、王柔は、まだ成人して間もない、少年と言ってもいいような若者で、独りで案内人を務めた経験もほとんどありませんでした。それに、彼は人と争うよりは自分が我慢して事を収めようとする、とても気の弱い男だったのでした。
交易の経験が豊富で人心を掌握する術に長けている寒山は、王柔の性格を見抜いていました。もとより、彼には、奴隷の少女の血をこのヤルダンで流そうという気は、ありませんでした。風粟の病に罹っている病人の血を流すと、その傷口から悪霊が流れ出て他の者に病が広がると考えられていましたし、それを、ただでさえ気味の悪い「魔鬼城ヤルダン」で行うなどしたら、ヤルダン全体に潜む悪霊まで起こしてしまうのではないかと、恐れていたからでした。寒山という剛毅な男にさえ、そこまでの怖れを抱かせる何かが、このヤルダンという場所にはあったのでした。
「理亜を何とかして救いたい。できれば、駱駝か馬にでも乗せて連れて行きたい」と願う王柔と、「奴隷の少女はここで切り捨てる。これ以上交易隊の進行を遅らせることはできないし、ましてや、隊員や他の荷に病が広がることは絶対に避けなければいけない」と考える寒山。二人の考えは真っ向から対立するものでした。そしてその落としどころをどこにするのかについて、王柔と寒山、一言で言えば、役者としての格が違う二人が争っていたのですから、勝負は始めから決まっていたようなものでした。
「・・・・・・わかりました、お願いです。彼女を傷つけるのはやめてください。僕もすぐに案内に戻りますから」
王柔にとっては、数秒とも永遠とも感じられた時間のあと、そんな言葉が彼の口からこぼれ落ちました。
何がどうだからこうなった、と深く考えられたわけではありません。色々な可能性の中でこれが最善だと信じられたわけでもありません。ひょっとしたら、寒山には何を言っても通じないとの諦めが、心のどこかに生じてしまったのかも知れません。あるいは、ただ単に、寒山が怖くなってしまったので、その言うことに従って楽になりたいとさえ思ってしまったのかも知れません・・・・・・。そうなのでしょうか。それとも、違う理由があるのでしょうか。わかりません、王柔は自分の気持ちが、まったくわからなくなっていました。
そんな混乱している彼の気持ちでしたが、ただ一つ、「これ以上隊長殿に抗えば、本当に隊長殿は彼女を傷つけるだろう」、その恐怖が彼を動かしたことだけは、間違いがないのでした。
そんな彼女を少しでも励まそうとする王柔でしたが、自分の後ろに冷たい空気を感じて振り返りました。そうです、彼らのすぐ後ろには寒山が立っていたのでした。
「その奴隷の女と、どういういきさつがあるのかは問わん、だが、案内人。その奴隷は、これ以上連れて行くわけにはいかない。交易隊全体の歩みが遅れてしまう上に、他の交易隊員や奴隷に病を広げる恐れがある。さぁ、お主も、さっさと、持ち場に戻れ」
もう奴隷の少女に関わるのを止めて、交易隊の案内に戻るようにと、寒山は王柔に告げました。彼の中では、この問題に対する対応は、既に決定しているようでした。それは、他の荷、つまり、その他の奴隷に病が広がる怖れがある以上、この荷、つまり少女を切り捨てて、安全を確保するというものでした。
寒山の考えがどのようなものか、王柔にも想像することが出来ました。でも、王柔には、妹のように思うこの少女を置いていくことなど、とてもできませんでした。なんとか、隊長殿にお願いして・・・・・・、奴隷の少女の肩を抱いたまま王柔が寒山に話しかけようとしたとき、寒山がそれを制しました。
「お主の願いはよく判っている。だが、これ以上、願い事を聞く余地はないぞ、案内人。その子はここに置いていく。この荷をあきらめた以上、この短剣で切り捨てても構わんのだぞ」
寒山の名の由来の通り、天山山脈の峰の先に輝く氷のような、冷たく揺るぎのない言葉でした。
人が誰かにお願いをするのは、その人に願い事を伝えるためではないでしょうか。それを何度も繰り返すのは、願い事が相手に伝われば叶えてもらえるかもしれないと、望みを持つからではないでしょうか。寒山は言うのでした。「お主の願いはよく判っている」と。願い事が伝わっている以上、もう願い事を繰り返しても意味がありません。そして、その願い事が存在することを考慮したうえで、それを聞き入れる余地はないと、はっきりと寒山が断言した以上、それがかなう望みは無いのでした。
王柔は、願い事を出そうとした口をただむなしく開け閉めする他は、何もできませんでした。
これ以上何かを言おうものなら、進行が遅れることを嫌って、隊長殿はこの子を切り捨ててしまうかもしれない・・・・・・。だめだ、だめだ、そんなことはだめだ。だけど、どうしたらいいんだ、どうしたらいいんだ・・・・・・。
頭の中が真っ白になって何も考えがまとまらない王柔は、ただ、ぎゅっと少女の肩を抱きかかえるだけでした。
寒山にとっては、王柔は王花の盗賊団から派遣された案内人で、その身を傷つけることはできません。今この瞬間も、ヤルダンの奇岩の陰から、王花の盗賊団が彼らの交易隊を見張っているのかも知れないのです。生きる通行証である王柔は、生きていてこそ価値があるのです。
もし、王柔にもっともっと経験があったとしたら。もっともっと人に対して強く出られる太い心を持っていたとしたら。
そうであれば、彼は自分の立場を利用して、強弁をすることが出来たのかも知れません・・・・・・。でも、王柔は、まだ成人して間もない、少年と言ってもいいような若者で、独りで案内人を務めた経験もほとんどありませんでした。それに、彼は人と争うよりは自分が我慢して事を収めようとする、とても気の弱い男だったのでした。
交易の経験が豊富で人心を掌握する術に長けている寒山は、王柔の性格を見抜いていました。もとより、彼には、奴隷の少女の血をこのヤルダンで流そうという気は、ありませんでした。風粟の病に罹っている病人の血を流すと、その傷口から悪霊が流れ出て他の者に病が広がると考えられていましたし、それを、ただでさえ気味の悪い「魔鬼城ヤルダン」で行うなどしたら、ヤルダン全体に潜む悪霊まで起こしてしまうのではないかと、恐れていたからでした。寒山という剛毅な男にさえ、そこまでの怖れを抱かせる何かが、このヤルダンという場所にはあったのでした。
「理亜を何とかして救いたい。できれば、駱駝か馬にでも乗せて連れて行きたい」と願う王柔と、「奴隷の少女はここで切り捨てる。これ以上交易隊の進行を遅らせることはできないし、ましてや、隊員や他の荷に病が広がることは絶対に避けなければいけない」と考える寒山。二人の考えは真っ向から対立するものでした。そしてその落としどころをどこにするのかについて、王柔と寒山、一言で言えば、役者としての格が違う二人が争っていたのですから、勝負は始めから決まっていたようなものでした。
「・・・・・・わかりました、お願いです。彼女を傷つけるのはやめてください。僕もすぐに案内に戻りますから」
王柔にとっては、数秒とも永遠とも感じられた時間のあと、そんな言葉が彼の口からこぼれ落ちました。
何がどうだからこうなった、と深く考えられたわけではありません。色々な可能性の中でこれが最善だと信じられたわけでもありません。ひょっとしたら、寒山には何を言っても通じないとの諦めが、心のどこかに生じてしまったのかも知れません。あるいは、ただ単に、寒山が怖くなってしまったので、その言うことに従って楽になりたいとさえ思ってしまったのかも知れません・・・・・・。そうなのでしょうか。それとも、違う理由があるのでしょうか。わかりません、王柔は自分の気持ちが、まったくわからなくなっていました。
そんな混乱している彼の気持ちでしたが、ただ一つ、「これ以上隊長殿に抗えば、本当に隊長殿は彼女を傷つけるだろう」、その恐怖が彼を動かしたことだけは、間違いがないのでした。
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