月の砂漠のかぐや姫

くにん

文字の大きさ
上 下
61 / 341

月の砂漠のかぐや姫 第60話

しおりを挟む
「どうかしたっすか、羽磋殿」
 苑の言葉で、羽磋は我に返りました。自分の周りを見渡すと、すぐ横には苑がいて、自分の部下に指示をだしながら、狭道を行ったり来たりしている冒頓がいます。そして、その指示を受けて、盗賊の死体を狭道の脇や河原の方へ動かして、後続の本体を受け入れる準備をしている、頭布ではなく飾り紐を頭髪に巻き付けた男たちがいます。
「いや、なんでもないよ」
 苑にはそのように答えた羽磋でしたが、もう一度心の中で深くつぶやくのでした。「ああ、これが匈奴なのか」と。
 羽磋にとって「匈奴」とは、自分の叔父である賈四(カシ)といさかいになり、彼を殺害した部族に当たりました。また、大伴や他の大人たちから聞いた、月の民と大きな戦を繰り広げた敵国でもありました。さらに言えば、「月の巫女」弱竹姫が消えてしまうことになったのは、匈奴との烏達渓谷の戦いが原因でした。
 それでも、このように自分の間近で彼らが戦うところを目にするまで、羽磋には「匈奴」という異民族が実感できていませんでした。それは、話の中での存在であって、交易隊に合流したときに護衛の者が匈奴と聞かされた際にも、驚きこそすれ、それ以上の考えは起きませんでした。
 そうです、今、羽磋は実感していました。これが匈奴なのだと。彼らは確かに、自分たち貴霜族とは違う一族なのだと。バダインジャラン砂漠での夜に、彼は輝夜姫と世界に出る話をしました。でも、その時に羽磋が想像していた世界とは、自分の知っている世界の延長に留まっていたのかも知れません。なぜなら、羽磋は、このような凄烈な戦い方をする部族があるなんて、想像もしていなかったのです。遊牧で広い範囲を移動していたとは言っても、その移動は自分の部族、遊牧隊と一緒に行うものに過ぎませんでした。世界は、羽磋の想像をはるかに超えて、広がっていたのでした。
 実際に匈奴の男達と触れ合うこととなった羽磋ですが、彼の心の中に、匈奴についての敵対心が芽生えるようなことはありませんでした。これは、匈奴の男に叔父を殺されたこと、月の民の直近の交戦相手が匈奴であったことを考えると、不思議なことと言えるかもしれませんが、それは彼が最初にあった匈奴の男、つまり、冒頓が奇妙な魅力を備えていたことによるものと言えるのかもしれません。匈奴について考えようとすると、常に思い浮かぶのは、片目を閉じて人を喰ったような笑顔を浮かべる冒頓の顔であって、その冒頓に対して敵意を持つことなど、羽磋には思いもつかないのでした。

 羽磋や苑が馬を降りて手助けをし、交易路から盗賊の死体をどうにかどかし終えた頃、ようやく交易隊の本体が到着しました。交易隊の本体は、超克(チョウコク)がまとめている徒歩の護衛の者に守られながら、ゆっくりと交易路を進んでいきました。
 冒頓や羽磋は、河原の方へ道を少し離れて、それを見守りました。
 交易隊の駱駝やそれの世話をする男たちが、絶えることのない川の流れのように、羽磋の目の前を過ぎていきました。この駱駝たちは、どこから来てどこへ向かっているのでしょうか。羽磋が遊牧で移動したことのない、遠い遠い場所も、その足で歩いてきたのでしょうか。
「冒頓殿」
「なんだよ、羽磋」
 羽磋は、その流れに目を奪われながら、自分でも意識しないまま冒頓に語り掛けていました。言葉が、彼の内からあふれ出たのでした。
「世界って、広いんですね」
「ハッハハハハッ! 世界は広いっと来たか! 良いな、羽磋。俺はお前を気に入ったよ。世界は広い、まさにそうだよな」
「あ、あれ、俺、今そんなこと言いましたか?」
「何を言ってるんだよ、留学者殿。俺はしっかりとお前の名言を聞いたぜ。世界は広い、その通りっ。だからこそ、俺はいつか国に帰って、その世界に俺の名を広めて見せるぜ。おう、もちろん、世話になった月の民には迷惑はかけねえからな。貸し借りはきっちりとしたいんだ、俺は」
 羽磋の言葉に、気持ちの良い笑い声で応えた冒頓は、羽磋の頭を頭布ごとわしゃわしゃと搔き乱しました。そして、その笑い声に連れて、彼の内なる想いも自然と口から出てくるのでした。
 冒頓は、匈奴の単于の息子でした。新興遊牧民族である匈奴は、すでにゴビ一帯に勢力を広げていた月の民に戦いを挑み、烏達渓谷の戦いで決定的な敗北を喫しました。その時に、和睦(もちろん、月の民が兄となり匈奴が弟となる和睦ですが)の証の一つとして月の民に出されたのが、冒頓とその従者たちだったのでした。
 烏達渓谷の戦いが行われた時には、冒頓は五歳でした。その後、月の民の中で、彼は人質として約二十年を過ごしていました。
 もっとも、その二十年の間、彼は牢獄の中から外を眺めて過ごしていたのではありませんでした。人質を取るということは、万一の時には相手の次世代の指導者を盾とするという意味もありましたが、同時に、相手の次世代の指導者に自国に親しみを持ってもらうという意味もあったのでした。
 つまり、冒頓が月の民に親しみを持ってくれれば、次に彼が匈奴を率いるときには、匈奴は敵対国ではなく友好国となる、ということでした。さらに、匈奴の内部で不穏な動きがあり、複数の勢力が次世代の指導者として立ち上がった場合には、月の民は冒頓を立ててそれに介入することもできるということも考えると、月の民が冒頓を粗雑に扱う理由はなく、むしろ賓客として扱い、月の民の良いところに積極的に触れてもらえるようにと、配慮をしていたのでした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。 ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。 ※短いお話です。 ※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

わがまま姉のせいで8歳で大聖女になってしまいました

ぺきぺき
ファンタジー
ルロワ公爵家の三女として生まれたクリスローズは聖女の素質を持ち、6歳で教会で聖女の修行を始めた。幼いながらも修行に励み、周りに応援されながら頑張っていたある日突然、大聖女をしていた10歳上の姉が『妊娠したから大聖女をやめて結婚するわ』と宣言した。 大聖女資格があったのは、その時まだ8歳だったクリスローズだけで…。 ー--- 全5章、最終話まで執筆済み。 第1章 6歳の聖女 第2章 8歳の大聖女 第3章 12歳の公爵令嬢 第4章 15歳の辺境聖女 第5章 17歳の愛し子 権力のあるわがまま女に振り回されながらも健気にがんばる女の子の話を書いた…はず。 おまけの後日談投稿します(6/26)。 番外編投稿します(12/30-1/1)。 作者の別作品『人たらしヒロインは無自覚で魔法学園を改革しています』の隣の国の昔のお話です。

死霊王は異世界を蹂躙する~転移したあと処刑された俺、アンデッドとなり全てに復讐する~

未来人A
ファンタジー
主人公、田宮シンジは妹のアカネ、弟のアオバと共に異世界に転移した。 待っていたのは皇帝の命令で即刻処刑されるという、理不尽な仕打ち。 シンジはアンデッドを自分の配下にし、従わせることの出来る『死霊王』というスキルを死後開花させる。 アンデッドとなったシンジは自分とアカネ、アオバを殺した帝国へ復讐を誓う。 死霊王のスキルを駆使して徐々に配下を増やし、アンデッドの軍団を作り上げていく。

魔力∞を魔力0と勘違いされて追放されました

紗南
ファンタジー
異世界に神の加護をもらって転生した。5歳で前世の記憶を取り戻して洗礼をしたら魔力が∞と記載されてた。異世界にはない記号のためか魔力0と判断され公爵家を追放される。 国2つ跨いだところで冒険者登録して成り上がっていくお話です 更新は1週間に1度くらいのペースになります。 何度か確認はしてますが誤字脱字があるかと思います。 自己満足作品ですので技量は全くありません。その辺り覚悟してお読みくださいm(*_ _)m

婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな

カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界 魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた 「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね? それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」 小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く 塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう 一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが…… ◇◇◇ 親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります (『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です) ◇◇◇ ようやく一区切りへの目処がついてきました 拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです

処理中です...