月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第35話

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「それで、話というのはだな」
 大伴は、羽に話しかけながら、高台の縁の方へ歩いていきました。そして縁に近づくにつれて、遠くから見られることを恐れているかのように、身を低くしていきました。
「まず、あれを見てくれ。ちょうどうまいこと、動いてくれているぞ」
 大伴が、同じように身を低くして側へやってきた羽に、遠くに見える自分たちの宿営地の方を指で示しました。彼等の優れた視力でも、宿営地の細かな動きまでは見通せませんが、そこに日頃は見かけない色の狼煙が上がっているのが確認できました。狼煙は少し前に上げられたもののようで、全体の輪郭がおぼろげになって消えかかっていました。
 狼煙は、ゴビや草地で遊牧生活を行う彼らが、頻繁に使用する連絡手段です。野外で家畜を追っている仲間への集合の合図などの日常的なものから、敵に襲われた場合の緊急連絡のものまで、色や煙の長短などで区別して、様々な合図や情報を送ります。しかし、いま上がっている狼煙は、羽が知らないものでした。
「ああ、お前が知らないのも無理はない。あれは、至篤が個人的に使用している狼煙だ」
「至篤姫が、ですか」
 大伴は、自分の知らない狼煙の意味について尋ねようとする羽に、先回りして答えました。個人的に使用する狼煙というものも、確かに存在はします。しかし、狼煙は合図であり言葉でもありますから、共通の理解を持つ狼煙を上げる側と見る側が存在しなければ、意味がありません。例えば、そう、恋人同士で愛の言葉を送りあう場合などです。羽が、思いついたのも「至篤姫が誰か想い人に対して上げた狼煙なのかな」というものでした。
 大伴と羽が見つめる中で、宿営地から一人の男が馬に乗って走り去っていきました。遠目ですのではっきりとはわかりませんでしたが、宿営地から彼を見送ったのは、確かに至篤のように見えました。
「至篤姫の想い人への合図だったのでしょうか。会いに来てほしい、とか」
 羽は、不思議そうに尋ねました。どうして大伴は、このようなものをわざわざ自分に見せるのだろうと思ったからでした。
「うーん、そうだなぁ」
 大伴は、頭をかきながら、高台の中央へ戻りました。大伴は、羽に対して聴きたいことがたくさんありましたし、話さなければならない大事なこともたくさんありました。でも、あまりにもたくさんありすぎて、何から話せばいいのか、そのとっかかりがうまく見つからないのでした。
「あぁ、もうわからん。そもそも、俺は考えるのは得意ではないんだ」
 大伴は、後ろをついてきている羽に対して、向き直りました。その表情は、真剣ではあるものの、どこか決めきれずに迷いが残っているようにも見えました。
 大伴が冷静沈着に遊牧隊の指揮を執っている姿をいつも見慣れている羽にとっては、そのように大伴が判断に迷うということ自体が不思議なことに思えました。
 ただ、それはもちろん、まだ成人していない羽には、大伴がそのような姿を見せないように意識していただけなのでしょう。遊牧隊を率いる中で、悩んだりすることがないわけはないのですから。そして、大伴がこのような姿を羽に見せてもいいと思うようになったということは、そうです、それは、父と子ではなく、男と男として付き合うことができる存在として、羽のことを認めたということなのでした。
「羽よ、まずは、このことを伝えておこう」
「はい、父上」
 大伴は口調をしっかりとしたものに改めました。しかし、その眼差しはとても優しいものでした。
「日頃から、お前は大人に交じって十分に働いてくれている。確かに、成人するには年若いとはいえるが、もうお前には責任を果たすだけの十分な力が備わっている。俺は、先ほどまで、長のところに行っていたのだ。そして、お前の成人を認める許しを得てきた」
「ええっ、本当ですか、父上。この間など、俺は駱駝を逃がす失敗をしてしまいましたが」
 羽は、予想外の大伴の言葉にひどく驚きました。大人扱いをされているとはいえ、一般的に成人の年齢は14,15歳です。自分が成人になるのは、どれだけ早くても13歳になる来年のことだと思っていたのですから。
「ああ。それについても、お前はうまく対処してくれた。お前の能力については俺は何も心配はしていないし、長も成人として十分やっていけるとおっしゃっていたぞ。俺は、お前のことを誇りに思う」
 大伴は、慌てている羽を優しく見守りながら、言葉を続けました。
「そして羽よ、しきたりにのっとり、父からお前に名を贈る。お前はこれから羽磋(うさ)と名乗るが良い。羽とは、羽のごときお前の身の軽さを表す。そして磋とは、磨く、極めるを意味する。これから、自らを磨いて良い男となれ、良いな」
 羽は、大伴の顔を正面から見つめました。そして、大きな声で礼を述べ深々と頭を下げました。
「ありがとうございますっ。俺は、これから羽磋と名乗ります」
 大伴は目を細めながら、羽磋の肩を叩きました。その肩は細やかに震えていました。その羽磋に大伴が掛ける声は、父親が子に贈る愛情に満ちた優しいものでした。
「おいおい、あまり大きな声は出すな。大丈夫、お前ならしっかりやれるさ。俺はそう見込んでいるぞ」
「はいっ、しっかりやります」
「それで、だ」
 急に大伴の声は、鋭く小さなものに変わりました。
「羽磋、ここからの話は人には聞かれたくない。背中を預ける。しっかり警戒してくれ」
「わ、わかりました」
 大伴と羽磋は、背中合わせになり、自分たちの周囲の全てに目を配ることができるようにしました。また、そもそも二人がこの高台の中央にいるのも、何者かが物陰に隠れて盗み聞ぎすることを恐れて、大伴が見通しのきく場所を選んでいるからなのでした。これから大伴がする話は、よほど、誰にも聞かれたくない話のようでした。
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