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月の砂漠のかぐや姫 第31話
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二人だけの秘密。羽はそう言いました。二人だけの秘密。何かが、頭の奥の方、意識の底の方で、明滅しています。でも、それが何なのか、今の竹姫には判りませんでした。その明滅しているものが何かを確かめるため、どうやってその場所まで辿り着けば良いのかが思いつかないのでした。
実は、竹姫は覚えていなかったのです。逃げた駱駝を探しに、羽と共にバダインジャラン砂漠に行ったそうなのですが、その出来事は自分の記憶には無いのです。自分が目覚めたときに会話を交わした大伴にそのことを告げると、大伴は奇妙な表情を見せながら「おそらく高熱のせいでしょうね」と答えました。確かに、高熱のせいなのかもしれません。でも、今、真剣な表情で自分を問いただす羽を前にして、竹姫は「熱のせいで砂漠での出来事は覚えていない」とは、とても言い出せなくなっていました。
竹姫は、自分のため、羽のために、その夜の出来事を思い出そうと懸命に努力しました。何かとても大切なものを、羽と共有していたのかも知れません。それならば、どうしても思い出さなければいけません。でも、「いつ」なのでしょうか。「なにを」なのでしょうか。
「そうだ、名を贈ったと羽は言ったんだ。名前を、人外のわたしに名前をくれたの?」竹姫の意識の奥底で明滅する何かが、その輝きを大きくしました。それはとても鮮やかで、それでいてとても温かな光を放っていました。その光に向かって手を伸ばせば、何かを掴めそうな気がします。竹姫は、「名前」という輝きに向って、意識を集中しました・・・・・・。
でも、ああ、それでも、竹姫の口から漏れ出た言葉は、羽を失望させる言葉だけでした。
「え‥‥‥と、二人だけの秘密‥‥‥って?」
「そう、か」
竹姫の答えは、決して、簡単に口に出されたものではありません。竹姫の表情や口ぶりから、羽のことを思いやるとそう答えたくはない、だけれども、そのように答えざるを得ない、という彼女の苦しさが、羽にも伝わったのでした。でも、だからこそ、その言葉は、羽を打ちのめしたのでした。
あの夜のことを、二人で話した夢を、そして、将来の約束とその証として贈った「輝夜」の名前を。
竹姫は、全く覚えていないのです。あの夜は、竹姫の中では無かったことにされているのです。あの名前、あの約束、あの夜をとても大事に思っていたのは、羽だけだったのでしょうか。竹姫の中では、忘れてしまえるぐらいの、さほど価値のない出来事だったのでしょうか。
羽が、この時に感じた感情は、彼が生まれて初めて味わったものでした。それは「怒り」ではありません。「悲しみ」でもありません。言葉にするのも難しいその感情は「淋しさ」でした。羽は、急に自分が一人になったような気がしていました。いつも自分の一番近くにいて、手を伸ばせばすぐにその手に触れることができた存在が、今はバダインジャラン砂漠のはるか反対側にいる気がします。彼は、独りでした。彼は自分のことを「淋しく」思いました。そして、「可哀そう」だとも思ってしまったのでした。
自分を可哀そうだと思った次の瞬間に、彼の心の底から激しい怒りの炎が湧き上がってきました。それは、可哀そうな自分を守るため、淋しい自分から目をそらすための炎だったのかも知れません。でも、今の羽には、その炎の光で浮かび上がる姿としてしか、竹姫を見ることができなくなっていたのでした。
「ああ、そうだよな。よく判ったよ」
羽の口から、短い言葉が発せられました。その声は、羽のいつもの明るい口調からは想像もできないほど、低くてしわがれた声でした。
「何がよく判ったの、羽」
竹姫は、羽の静かな物言いがとても不安でした。
「わたしが何かを忘れているなら、それに対して怒っているのなら、いっそ、はっきり言ってくれればいいのに」竹姫はそうも思いました。
竹姫がこんな羽を見たのは、初めてのことでした。小さなころからいつも一緒に過ごしてきた二人ですから、喧嘩をしたこともありましたし、その中で、羽が竹姫を泣かせたこともありました。どちらかがどちらかに本気で腹を立てることもありました。でも、違うのです。今の羽は、違うのです。とても怒っています。それは判ります。でも、どうしてなのでしょうか、とても淋しそうなのです。涙こそ流さないものの、泣いているのです。
「ねぇ、羽、わたしが何か‥‥‥」
「いいんだ、もういいんだよ」
「いいってことないよ、ねぇ、羽。ちゃんと話してよ」
「いいんだってば」
「いいことないよ、ねぇ」
「あーもう、いいんだってばっ。いいんです。いいんですよ。竹姫っ」
すれ違う二人の言葉。そして、行き違いの中で高ぶった感情の中から、その言葉は生まれてしまいました。
羽は淋しかったのです。今の自分の全力で守ろうとした竹姫に、自分は要らないと言われたような気がしたのです。自分が大事だと信じていたもの、二人で色々なところを旅しようという夢が、竹姫にとってはそれほど価値のあるものではない、そう突き付けれた様な気がしたのです。
今、竹姫の目の前にいるのは、年齢よりもしっかりとしていて大人扱いされることも多い、常に竹姫を気遣っている、いつもの羽ではありませんでした。そこにいたのは、「淋しい自分を見たくない」「可哀そうな自分に気づきたくない」という一心で相手を攻撃する、それも、自分がどう思っているかを表す言葉ではなく、相手が最も傷つくであろう言葉を躊躇なく選択する、ただの十二歳の少年でした。
実は、竹姫は覚えていなかったのです。逃げた駱駝を探しに、羽と共にバダインジャラン砂漠に行ったそうなのですが、その出来事は自分の記憶には無いのです。自分が目覚めたときに会話を交わした大伴にそのことを告げると、大伴は奇妙な表情を見せながら「おそらく高熱のせいでしょうね」と答えました。確かに、高熱のせいなのかもしれません。でも、今、真剣な表情で自分を問いただす羽を前にして、竹姫は「熱のせいで砂漠での出来事は覚えていない」とは、とても言い出せなくなっていました。
竹姫は、自分のため、羽のために、その夜の出来事を思い出そうと懸命に努力しました。何かとても大切なものを、羽と共有していたのかも知れません。それならば、どうしても思い出さなければいけません。でも、「いつ」なのでしょうか。「なにを」なのでしょうか。
「そうだ、名を贈ったと羽は言ったんだ。名前を、人外のわたしに名前をくれたの?」竹姫の意識の奥底で明滅する何かが、その輝きを大きくしました。それはとても鮮やかで、それでいてとても温かな光を放っていました。その光に向かって手を伸ばせば、何かを掴めそうな気がします。竹姫は、「名前」という輝きに向って、意識を集中しました・・・・・・。
でも、ああ、それでも、竹姫の口から漏れ出た言葉は、羽を失望させる言葉だけでした。
「え‥‥‥と、二人だけの秘密‥‥‥って?」
「そう、か」
竹姫の答えは、決して、簡単に口に出されたものではありません。竹姫の表情や口ぶりから、羽のことを思いやるとそう答えたくはない、だけれども、そのように答えざるを得ない、という彼女の苦しさが、羽にも伝わったのでした。でも、だからこそ、その言葉は、羽を打ちのめしたのでした。
あの夜のことを、二人で話した夢を、そして、将来の約束とその証として贈った「輝夜」の名前を。
竹姫は、全く覚えていないのです。あの夜は、竹姫の中では無かったことにされているのです。あの名前、あの約束、あの夜をとても大事に思っていたのは、羽だけだったのでしょうか。竹姫の中では、忘れてしまえるぐらいの、さほど価値のない出来事だったのでしょうか。
羽が、この時に感じた感情は、彼が生まれて初めて味わったものでした。それは「怒り」ではありません。「悲しみ」でもありません。言葉にするのも難しいその感情は「淋しさ」でした。羽は、急に自分が一人になったような気がしていました。いつも自分の一番近くにいて、手を伸ばせばすぐにその手に触れることができた存在が、今はバダインジャラン砂漠のはるか反対側にいる気がします。彼は、独りでした。彼は自分のことを「淋しく」思いました。そして、「可哀そう」だとも思ってしまったのでした。
自分を可哀そうだと思った次の瞬間に、彼の心の底から激しい怒りの炎が湧き上がってきました。それは、可哀そうな自分を守るため、淋しい自分から目をそらすための炎だったのかも知れません。でも、今の羽には、その炎の光で浮かび上がる姿としてしか、竹姫を見ることができなくなっていたのでした。
「ああ、そうだよな。よく判ったよ」
羽の口から、短い言葉が発せられました。その声は、羽のいつもの明るい口調からは想像もできないほど、低くてしわがれた声でした。
「何がよく判ったの、羽」
竹姫は、羽の静かな物言いがとても不安でした。
「わたしが何かを忘れているなら、それに対して怒っているのなら、いっそ、はっきり言ってくれればいいのに」竹姫はそうも思いました。
竹姫がこんな羽を見たのは、初めてのことでした。小さなころからいつも一緒に過ごしてきた二人ですから、喧嘩をしたこともありましたし、その中で、羽が竹姫を泣かせたこともありました。どちらかがどちらかに本気で腹を立てることもありました。でも、違うのです。今の羽は、違うのです。とても怒っています。それは判ります。でも、どうしてなのでしょうか、とても淋しそうなのです。涙こそ流さないものの、泣いているのです。
「ねぇ、羽、わたしが何か‥‥‥」
「いいんだ、もういいんだよ」
「いいってことないよ、ねぇ、羽。ちゃんと話してよ」
「いいんだってば」
「いいことないよ、ねぇ」
「あーもう、いいんだってばっ。いいんです。いいんですよ。竹姫っ」
すれ違う二人の言葉。そして、行き違いの中で高ぶった感情の中から、その言葉は生まれてしまいました。
羽は淋しかったのです。今の自分の全力で守ろうとした竹姫に、自分は要らないと言われたような気がしたのです。自分が大事だと信じていたもの、二人で色々なところを旅しようという夢が、竹姫にとってはそれほど価値のあるものではない、そう突き付けれた様な気がしたのです。
今、竹姫の目の前にいるのは、年齢よりもしっかりとしていて大人扱いされることも多い、常に竹姫を気遣っている、いつもの羽ではありませんでした。そこにいたのは、「淋しい自分を見たくない」「可哀そうな自分に気づきたくない」という一心で相手を攻撃する、それも、自分がどう思っているかを表す言葉ではなく、相手が最も傷つくであろう言葉を躊躇なく選択する、ただの十二歳の少年でした。
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