40 / 50
8品目:宅飲み、押しかけ、チーズたら(298円)
(8-3)尾行
しおりを挟む
半日後。
わたしはとある雑居ビルの前にいた。
『ゆう』の最寄駅から三つ離れた駅に隣接している建物は、一階が本屋、二階が中学生を対象とした学習塾、三階から七階までが会社の事務所になっている。あたりには居酒屋が多く、ロータリーもある。そのためか各駅停車の駅の割に通行人は多い。
ここの二階で、彼は塾講師としてアルバイトをしているらしい。
らしい、というのは、ユウさんから聞いた情報だからだ。お盆の時期、開店休業中だった『ゆう』に彼が訪れ、二人で色々話しこんだのだという。
店主が客のバイト先を知っているのは自然なことだし、店員のアイハさんが情報を共有されているのもおかしなことではない。それでもやっぱり、わたしが触れたことのない一面を知っているのは、ちょっと嫉妬してしまう。
「そろそろ出てくる時間ですかね~」
今日はアイハさんも一緒だ。駅前でエプロンドレス姿の少女がいる状況は、傍から見れば撮影やコスプレと勘違いされるかもしれない。
だが駅周辺で、わたしたちを認知している者は一人もいなかった。各々手元のスマホを眺めたり、友達と談笑したりしている。
ここは、わたしの居場所ではない。
『ゆう』で今回の作戦が発案された際、いつもだったらユウさんがストッパー役として「客の事情に首を突っ込むな」とでも言いそうなものだが、今回はむしろ協力的だった。
「医者から禁酒令でも出たのかと心配でな」と言っていたが、何か思惑を孕んでいるのは明らかだった。わたしとは別の理由で、ユウさんも彼に会いたいと思っているようだ。
同じ理由……じゃないよね?
脳内をぐるぐるさせていると、ピンクのネクタイを緩めながらビルから出てくる青年を発見した。
「ユッキー……」
約二週間ぶりなのに、何年も会っていなかったかのように胸がきゅうっと締め付けられる。
「スーツ姿のユッキーさんって新鮮ですね~」
ワイシャツの袖のボタンを外す仕草は、スーツ効果かやけに大人っぽく映る。顔や首にじっとりと浮かんだ汗が艶めかしい。ちょっとやばいな、これは。
おっと、見とれている場合じゃない。この段階で気づいたのだが、どのように声をかけたらいいのだろう?
偶然を装えるはずもない。なぜならわたしは幽霊で、あのお店以外に居場所などないからだ。女子二人で遊んでいたなんて言い訳もあまりにわざとらしい。気分転換に散歩中だったとでも言うか? 駄目だ、そもそもわたしには足がなかった。
ひとまず妙案が浮かぶまで、彼の後をついていくことにした。
彼は近くのスーパーで酒とおつまみを買い、電車にも自転車にも乗らず、てくてくと線路沿いを歩いていく。途中で辺りをきょろきょろし始めたので尾行がバレたのかと慌てたが、単に地縛霊がうろついているだけだった。
数分直進し、彼は一件のアパートの前で立ち止まった。ワンフロア二部屋の三階建て。少し離れた位置から様子をうかがっていると、二階の奥の部屋に吸い込まれていった。二〇二号室が彼の居住スペースらしい。
「結局声かけられませんでしたね~」
「どうしよう……チャイム鳴らせばいいのかな」
「このアパート、呼び鈴付いてないみたいですよ~」
今時そんな家があるのか。確かにこの建物は築三十年は経っていそうなほどに、外観がボロい。階段の手すりは錆びついているし、壁の塗装には亀裂が入っている。地震が起きたら簡単に全壊しそうだ。
「ひ、ひとまず……」
幽霊の特権を活かし、浮遊状態で二階の窓から室内を覗いてみる。彼は着替えを済ませており、シャツに短パンという、よくお店で見る格好になっていた。テーブルには酒とおつまみが並んでいる。
オイルサーディンにスライスサラミ、ミックスナッツ、ポテトチップス。さっきスーパーで買っていたものだ。割りばしと小皿が数セットあることから、一人で食べるつもりではないらしい。これからホームパーティーでもあるのだろうか。
大学の友達。バイト先の同僚。まさか彼女……じゃないよね。
より詳しい状況を調べようと、窓から顔を室内に突っ込む。
「マナさん、危ないですよ~」
「落ちても痛くないから大丈夫!」
車に押しつぶされる痛みに比べたらどうってことない。
だがわたしは失念していた。
正確に言えば、境界線があいまいになっていた。
ほとんどの人間にわたしの姿は見えない。なぜならわたしは幽霊だからだ。
だが、彼にはわたしの姿が見える。なぜなら彼には霊感があるからだ。物音はしなくたって、声は聞こえる。わたしが大声を出しながら身体を室内に侵入させれば、当然向こうも何事かと顔をこっちに向ける。
「……」
「……」
客観的には、窓から生首が生えているように映るわけで。
「や、やっほー……」
アパートに、彼の絶叫がこだました。
わたしはとある雑居ビルの前にいた。
『ゆう』の最寄駅から三つ離れた駅に隣接している建物は、一階が本屋、二階が中学生を対象とした学習塾、三階から七階までが会社の事務所になっている。あたりには居酒屋が多く、ロータリーもある。そのためか各駅停車の駅の割に通行人は多い。
ここの二階で、彼は塾講師としてアルバイトをしているらしい。
らしい、というのは、ユウさんから聞いた情報だからだ。お盆の時期、開店休業中だった『ゆう』に彼が訪れ、二人で色々話しこんだのだという。
店主が客のバイト先を知っているのは自然なことだし、店員のアイハさんが情報を共有されているのもおかしなことではない。それでもやっぱり、わたしが触れたことのない一面を知っているのは、ちょっと嫉妬してしまう。
「そろそろ出てくる時間ですかね~」
今日はアイハさんも一緒だ。駅前でエプロンドレス姿の少女がいる状況は、傍から見れば撮影やコスプレと勘違いされるかもしれない。
だが駅周辺で、わたしたちを認知している者は一人もいなかった。各々手元のスマホを眺めたり、友達と談笑したりしている。
ここは、わたしの居場所ではない。
『ゆう』で今回の作戦が発案された際、いつもだったらユウさんがストッパー役として「客の事情に首を突っ込むな」とでも言いそうなものだが、今回はむしろ協力的だった。
「医者から禁酒令でも出たのかと心配でな」と言っていたが、何か思惑を孕んでいるのは明らかだった。わたしとは別の理由で、ユウさんも彼に会いたいと思っているようだ。
同じ理由……じゃないよね?
脳内をぐるぐるさせていると、ピンクのネクタイを緩めながらビルから出てくる青年を発見した。
「ユッキー……」
約二週間ぶりなのに、何年も会っていなかったかのように胸がきゅうっと締め付けられる。
「スーツ姿のユッキーさんって新鮮ですね~」
ワイシャツの袖のボタンを外す仕草は、スーツ効果かやけに大人っぽく映る。顔や首にじっとりと浮かんだ汗が艶めかしい。ちょっとやばいな、これは。
おっと、見とれている場合じゃない。この段階で気づいたのだが、どのように声をかけたらいいのだろう?
偶然を装えるはずもない。なぜならわたしは幽霊で、あのお店以外に居場所などないからだ。女子二人で遊んでいたなんて言い訳もあまりにわざとらしい。気分転換に散歩中だったとでも言うか? 駄目だ、そもそもわたしには足がなかった。
ひとまず妙案が浮かぶまで、彼の後をついていくことにした。
彼は近くのスーパーで酒とおつまみを買い、電車にも自転車にも乗らず、てくてくと線路沿いを歩いていく。途中で辺りをきょろきょろし始めたので尾行がバレたのかと慌てたが、単に地縛霊がうろついているだけだった。
数分直進し、彼は一件のアパートの前で立ち止まった。ワンフロア二部屋の三階建て。少し離れた位置から様子をうかがっていると、二階の奥の部屋に吸い込まれていった。二〇二号室が彼の居住スペースらしい。
「結局声かけられませんでしたね~」
「どうしよう……チャイム鳴らせばいいのかな」
「このアパート、呼び鈴付いてないみたいですよ~」
今時そんな家があるのか。確かにこの建物は築三十年は経っていそうなほどに、外観がボロい。階段の手すりは錆びついているし、壁の塗装には亀裂が入っている。地震が起きたら簡単に全壊しそうだ。
「ひ、ひとまず……」
幽霊の特権を活かし、浮遊状態で二階の窓から室内を覗いてみる。彼は着替えを済ませており、シャツに短パンという、よくお店で見る格好になっていた。テーブルには酒とおつまみが並んでいる。
オイルサーディンにスライスサラミ、ミックスナッツ、ポテトチップス。さっきスーパーで買っていたものだ。割りばしと小皿が数セットあることから、一人で食べるつもりではないらしい。これからホームパーティーでもあるのだろうか。
大学の友達。バイト先の同僚。まさか彼女……じゃないよね。
より詳しい状況を調べようと、窓から顔を室内に突っ込む。
「マナさん、危ないですよ~」
「落ちても痛くないから大丈夫!」
車に押しつぶされる痛みに比べたらどうってことない。
だがわたしは失念していた。
正確に言えば、境界線があいまいになっていた。
ほとんどの人間にわたしの姿は見えない。なぜならわたしは幽霊だからだ。
だが、彼にはわたしの姿が見える。なぜなら彼には霊感があるからだ。物音はしなくたって、声は聞こえる。わたしが大声を出しながら身体を室内に侵入させれば、当然向こうも何事かと顔をこっちに向ける。
「……」
「……」
客観的には、窓から生首が生えているように映るわけで。
「や、やっほー……」
アパートに、彼の絶叫がこだました。
0
お気に入りに追加
83
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
私と継母の極めて平凡な日常
当麻月菜
ライト文芸
ある日突然、父が再婚した。そして再婚後、たった三ヶ月で失踪した。
残されたのは私、橋坂由依(高校二年生)と、継母の琴子さん(32歳のキャリアウーマン)の二人。
「ああ、この人も出て行くんだろうな。私にどれだけ自分が不幸かをぶちまけて」
そう思って覚悟もしたけれど、彼女は出て行かなかった。
そうして始まった継母と私の二人だけの日々は、とても淡々としていながら酷く穏やかで、極めて平凡なものでした。
※他のサイトにも重複投稿しています。
思い出を売った女
志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。
それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。
浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。
浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。
全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。
ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。
あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。
R15は保険です
他サイトでも公開しています
表紙は写真ACより引用しました
ターゲットは旦那様
ガイア
ライト文芸
プロの殺し屋の千草は、ターゲットの男を殺しに岐阜に向かった。
岐阜に住んでいる母親には、ちゃんとした会社で働いていると嘘をついていたが、その母親が最近病院で仲良くなった人の息子とお見合いをしてほしいという。
そのお見合い相手がまさかのターゲット。千草はターゲットの懐に入り込むためにお見合いを承諾するが、ターゲットの男はどうやらかなりの変わり者っぽくて……?
「母ちゃんを安心させるために結婚するフリしくれ」
なんでターゲットと同棲しないといけないのよ……。
雨音
宮ノ上りよ
ライト文芸
夫を亡くし息子とふたり肩を寄せ合って生きていた祐子を日々支え力づけてくれたのは、息子と同い年の隣家の一人娘とその父・宏の存在だった。子ども達の成長と共に親ふたりの関係も少しずつ変化して、そして…。
※時代設定は1980年代後半~90年代後半(最終のエピソードのみ2010年代)です。現代と異なる点が多々あります。(学校週六日制等)
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる