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5品目:有る日のカレイの煮つけ(580円)
(5-4)ユウさんの嘘
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「黒板には、刺身以外の魚メニューはないんですね」
「……市場が休みだからな」
「さっきのカレイは?」
「お盆前に買っておいたものだ」
「一尾だけってことはないでしょう」
「まぁ、そうだが」
「今日のお通しは煮こごりでしたよね。つまり、煮付けも作ってあるということです。それなのに黒板には載っていない」
「……何が言いたい?」
ユウさんの太い眉がひくりと揺れる。この動揺を僕は見逃さない。
「一般的に煮魚は味を染み込ませるために、作ってからいったん冷ますものです。すぐに消費するとは考えにくい。毎回違ったお通しを出してくれるこのお店で、お盆期間中に訪れる僕だけのために煮こごりをこしらえたわけでもないでしょう。つまりは自分用だ。ということは、まさに今夜食べようとしていたカレイの煮付けがどこかにあるんじゃないですか? 例えばその、コンロの隅にある鍋の中で息を殺しているとか」
数瞬の沈黙が、店内を支配する。
「……わかったよ。ただし、一切れだけだぞ?」
僕は心の中で勝利の雄叫びを上げた。
「あと、日本酒もおかわりで」
「はいはい」
今宵はカレイづくしである。
「はいよ、『私の晩酌用・カレイの煮付け』、お待ち」
甘いにおいとともに、煮魚が目の前に置かれる。上に載ったミョウガの赤と、下に敷かれた笹の葉の緑が美しい。
「ちなみに、煮魚を寝かせるのは必ずしも正解ではないぞ」
「そうなんですか?」
「確かに浸透圧で煮汁は染み込むが、一方で素材の旨みは流出していくからな。魚の味を堪能したいなら、弱火でじっくり煮込んだものを早いうちに食べるのがいい。ウチもそうしている」
だったらなぜ煮付けの存在を認め、分けてくれたのか。しらを切ることもできたはず。
考えるまでもない。「食べたい」という客のリクエストに応えてくれたのだ。一切れだけと言いつつ皿には半身もあるのが何よりの証拠。
ならば僕も全身全霊で料理を楽しんで、客としての本懐を遂げるだけ。
箸を入れると、ふわりと湯気が漂う。砂糖とみりんのにおいが食欲をかき立てる。
柔らかな白身を、おそるおそる口へ運ぶ。
「……ふわふわ……」
思わず声が漏れた。
これがさっきの刺身と同じ魚なのか。
いや、そもそもこれは本当にカレイなのかすら疑いたくなる。実家で食べたものとはわけが違う。プロが作ったのだから当然かもしれないが、まったくの別物だ。
身が崩れる手前の、ぎりぎりの柔らかさ。それでいて歯を立てると、繊維が口の中でほろほろと解けていく感じがする。
今度は煮汁をしっかりと浸してから一口。
とろっとろ。まるで温かいジュレを食べているかのよう。
あまりの舌触りと喉越しの気持ちよさに、無心で箸を動かしてしまう。
化石を発掘する考古学者のように、一心不乱にカレイをほぐしては口の中へ。だんだんと割りばしに煮汁が染み込んでいき、しゃぶりたくなる。
合間に飲む酒はもはや時間稼ぎだ。煮魚に集中すると、あっという間になくなってしまうから。
「これほどうまそうに食べてもらえるなら、分けた甲斐があったというものだな」
「今までで一番魚をうまいと感じてるかもしれません」
ミョウガをかじり、舌に刺激を与えていったん冷静になる。
らっきょう漬けも頼もうか。雑談を挟むのもいい。
嘘を暴くターンは、まだ終わってないし。
いや、これは嘘とは違うのか。
「実はユウさんは、知ってるんじゃないですか」
「何がだ?」
「アイハが何者なのか」
「……市場が休みだからな」
「さっきのカレイは?」
「お盆前に買っておいたものだ」
「一尾だけってことはないでしょう」
「まぁ、そうだが」
「今日のお通しは煮こごりでしたよね。つまり、煮付けも作ってあるということです。それなのに黒板には載っていない」
「……何が言いたい?」
ユウさんの太い眉がひくりと揺れる。この動揺を僕は見逃さない。
「一般的に煮魚は味を染み込ませるために、作ってからいったん冷ますものです。すぐに消費するとは考えにくい。毎回違ったお通しを出してくれるこのお店で、お盆期間中に訪れる僕だけのために煮こごりをこしらえたわけでもないでしょう。つまりは自分用だ。ということは、まさに今夜食べようとしていたカレイの煮付けがどこかにあるんじゃないですか? 例えばその、コンロの隅にある鍋の中で息を殺しているとか」
数瞬の沈黙が、店内を支配する。
「……わかったよ。ただし、一切れだけだぞ?」
僕は心の中で勝利の雄叫びを上げた。
「あと、日本酒もおかわりで」
「はいはい」
今宵はカレイづくしである。
「はいよ、『私の晩酌用・カレイの煮付け』、お待ち」
甘いにおいとともに、煮魚が目の前に置かれる。上に載ったミョウガの赤と、下に敷かれた笹の葉の緑が美しい。
「ちなみに、煮魚を寝かせるのは必ずしも正解ではないぞ」
「そうなんですか?」
「確かに浸透圧で煮汁は染み込むが、一方で素材の旨みは流出していくからな。魚の味を堪能したいなら、弱火でじっくり煮込んだものを早いうちに食べるのがいい。ウチもそうしている」
だったらなぜ煮付けの存在を認め、分けてくれたのか。しらを切ることもできたはず。
考えるまでもない。「食べたい」という客のリクエストに応えてくれたのだ。一切れだけと言いつつ皿には半身もあるのが何よりの証拠。
ならば僕も全身全霊で料理を楽しんで、客としての本懐を遂げるだけ。
箸を入れると、ふわりと湯気が漂う。砂糖とみりんのにおいが食欲をかき立てる。
柔らかな白身を、おそるおそる口へ運ぶ。
「……ふわふわ……」
思わず声が漏れた。
これがさっきの刺身と同じ魚なのか。
いや、そもそもこれは本当にカレイなのかすら疑いたくなる。実家で食べたものとはわけが違う。プロが作ったのだから当然かもしれないが、まったくの別物だ。
身が崩れる手前の、ぎりぎりの柔らかさ。それでいて歯を立てると、繊維が口の中でほろほろと解けていく感じがする。
今度は煮汁をしっかりと浸してから一口。
とろっとろ。まるで温かいジュレを食べているかのよう。
あまりの舌触りと喉越しの気持ちよさに、無心で箸を動かしてしまう。
化石を発掘する考古学者のように、一心不乱にカレイをほぐしては口の中へ。だんだんと割りばしに煮汁が染み込んでいき、しゃぶりたくなる。
合間に飲む酒はもはや時間稼ぎだ。煮魚に集中すると、あっという間になくなってしまうから。
「これほどうまそうに食べてもらえるなら、分けた甲斐があったというものだな」
「今までで一番魚をうまいと感じてるかもしれません」
ミョウガをかじり、舌に刺激を与えていったん冷静になる。
らっきょう漬けも頼もうか。雑談を挟むのもいい。
嘘を暴くターンは、まだ終わってないし。
いや、これは嘘とは違うのか。
「実はユウさんは、知ってるんじゃないですか」
「何がだ?」
「アイハが何者なのか」
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