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2品目:憂いの若鶏から揚げ(480円)
(2-1)幽霊居酒屋
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「ゆう……れい?」
酔いも一気に冷める一言だった。
これがジョークでも悪戯でもないことを、僕はなんとなく悟っていた。
おそるおそるマナの足元に手を伸ばすが、触れることはできない。
当然だ。見えないのではなく、はじめからないのだから。
僕はゆっくり座り直し、マナの頬を人差し指でつく。
ぷにっとした柔らかい感覚が指先に宿る。
しかし温度は感じない。まるで精巧なマシュマロ人形に触っているような気分だ。
ピンポンダッシュのごとく何度もつついていると、マナが「ぅあぁん」と猫みたいな声で鬱陶しがる。
「わたしだけじゃない。この店にいるお客さんは、ユッキーを除いてみんな幽霊だよ」
僕は周囲を見渡す。焼酎のボトルに縋り付いて管を巻いているおじいさんも、フライドポテトを鷲づかみしているふくよかな女性も、焼きおにぎりを小さい口でちまちまと食べているお兄さんも、真夜中の店内でサングラスをかけているスキンヘッドのおじさんも、みんな死者だという。
彼らはうまそうに酒を飲み、飯を食べ、なごやかに談話をしている。どこの飲食店でも見かける光景で、特別性は一切感じない。
「突然こんなこと言われても、信じられないと思うけど」
「……いや、信じるよ」
「へえ、やけにあっさりだね」
むしろ納得した。
僕はこの店に来てから、数々の違和感を抱いていた。
例えば手前のテーブル席で煮込みに香辛料をかけまくっている、白髪交じりのおじさん。彼はいきなりカウンターの内側に現れ、ユウさんの代わりにビールを提供してくれた。僕の真後ろを通過しなければ厨房にはたどり着けないのに、気配を一切感じなかった。大人の男性がカウンターの客に気づかれずにこの狭い通路を通るのは困難を極める。
入店直後、ユウさんに空いている席を確認した際、みんなが僕に注目したのも合点がいく。普通の人間の瞳には、この店は閑古鳥が鳴いているように映ることだろう。
マナの飲酒を誰一人として咎めなかったのも当たり前のことだ。この子が十六歳だろうと十七歳だろうと、その前に「享年」が付くのだ。人間でない以上、この国の未成年者飲酒禁止法が適用されないのは当然である。
「マナはその……いつ亡くなったんだ?」
「わかんない。先月かもしれないし、十年前かもしれない。わかんないよ。時間の感覚が人間の頃とは違うんだもん」
つまりは見た目こそ僕より年下だが、場合によっては僕の母さんよりもこの世界にいる時間は長いのかもしれないということ。
「月並みな言葉だけどさ、生きているってそれだけですごいことなんだよ。今はわからないと思うけど。だから死にたいなんて言わずに『悔しい』とか『寂しい』とかにしようよ。そうすれば誰かがきっと手を差し伸べてくれるから」
肘に頬を載せて僕を見つめるマナの瞳は、まるで我が子を慈しむ母親のようだった。
「……ごめん」
「わたしこそ、勝手なこと言ってごめんね」
互いに照れ笑いを浮かべ、ジョッキを握る。
きゅうううう。
僕の胃袋が、「気分を変えて飯でも食おうぜ」と訴えてくる。
そういえば、今日は夕食と呼べるものを口にしていない。アルコール以外に摂取したのは一件目の冷凍枝豆数粒と、さっきのお通しだけだ。おつまみがあれば、酒はもっとおいしくなる。
メニューブックを開き、オーダーを思案する。時間も時間だから、重たいものは避けたいが、漬物や小鉢などいわゆるスピードメニューでは物足りない。空腹時の串焼きは何本頼むのが最適か読めないし、焼き魚は時間がかかるので避けたい。
僕がうんうん唸っていると、マナが横から市松模様の献立表を奪い取った。
「このお店は揚げ物がおすすめだよ。若鶏から揚げとか。『若鶏』って枕詞がついてるだけで、すごくおいしそうに見えるよねぇ」
から揚げ。
老若男女問わず愛されている居酒屋の定番メニューだ。レモンをかけるもよし、マヨネーズにつけるもよし、チリソースなんてのもアリだ。昨日までの僕だったら、迷わずマナの推薦に首肯していただろう。
「から揚げは……いいや」
「えーどうして? 一緒に食べようよー」
「シェアする前提かよ。……それはいいけど僕、から揚げ苦手なんだよね」
「言い訳下手すぎ。そんな人この世にいるわけないじゃん!」
この世ならざる者が吐くセリフかよ。
「……もしかして、ユッキーの失恋に関係しているとか?」
「うっ」
「想い人が好きなメニューだったとか?」
「うぐう!」
胸が。静まりかけた疼きが。
「ユウさーん! 若鶏から揚げー!」
「おい、マナ!」
「いいじゃん。それより教えてよ、ユッキーのこと」
「別に人に話すようなことじゃないから」
「辛い時はね、誰かに耳を傾けてもらうのが一番いいんだよ。たとえ共感はしてもらえなかったとしてもさ、心の整理がつくじゃない。ほら、それにわたし人じゃないし」
自分の顎に人差し指を当て、歯を見せるマナ。
この子なりに、気を遣ってくれているのだろうか。
「……長くなるぞ」
「いえー! 夜はこれからだぜー!」
僕は思い出の蓋を開ける。
重い想いを、言葉で紡ぎだす。
酔いも一気に冷める一言だった。
これがジョークでも悪戯でもないことを、僕はなんとなく悟っていた。
おそるおそるマナの足元に手を伸ばすが、触れることはできない。
当然だ。見えないのではなく、はじめからないのだから。
僕はゆっくり座り直し、マナの頬を人差し指でつく。
ぷにっとした柔らかい感覚が指先に宿る。
しかし温度は感じない。まるで精巧なマシュマロ人形に触っているような気分だ。
ピンポンダッシュのごとく何度もつついていると、マナが「ぅあぁん」と猫みたいな声で鬱陶しがる。
「わたしだけじゃない。この店にいるお客さんは、ユッキーを除いてみんな幽霊だよ」
僕は周囲を見渡す。焼酎のボトルに縋り付いて管を巻いているおじいさんも、フライドポテトを鷲づかみしているふくよかな女性も、焼きおにぎりを小さい口でちまちまと食べているお兄さんも、真夜中の店内でサングラスをかけているスキンヘッドのおじさんも、みんな死者だという。
彼らはうまそうに酒を飲み、飯を食べ、なごやかに談話をしている。どこの飲食店でも見かける光景で、特別性は一切感じない。
「突然こんなこと言われても、信じられないと思うけど」
「……いや、信じるよ」
「へえ、やけにあっさりだね」
むしろ納得した。
僕はこの店に来てから、数々の違和感を抱いていた。
例えば手前のテーブル席で煮込みに香辛料をかけまくっている、白髪交じりのおじさん。彼はいきなりカウンターの内側に現れ、ユウさんの代わりにビールを提供してくれた。僕の真後ろを通過しなければ厨房にはたどり着けないのに、気配を一切感じなかった。大人の男性がカウンターの客に気づかれずにこの狭い通路を通るのは困難を極める。
入店直後、ユウさんに空いている席を確認した際、みんなが僕に注目したのも合点がいく。普通の人間の瞳には、この店は閑古鳥が鳴いているように映ることだろう。
マナの飲酒を誰一人として咎めなかったのも当たり前のことだ。この子が十六歳だろうと十七歳だろうと、その前に「享年」が付くのだ。人間でない以上、この国の未成年者飲酒禁止法が適用されないのは当然である。
「マナはその……いつ亡くなったんだ?」
「わかんない。先月かもしれないし、十年前かもしれない。わかんないよ。時間の感覚が人間の頃とは違うんだもん」
つまりは見た目こそ僕より年下だが、場合によっては僕の母さんよりもこの世界にいる時間は長いのかもしれないということ。
「月並みな言葉だけどさ、生きているってそれだけですごいことなんだよ。今はわからないと思うけど。だから死にたいなんて言わずに『悔しい』とか『寂しい』とかにしようよ。そうすれば誰かがきっと手を差し伸べてくれるから」
肘に頬を載せて僕を見つめるマナの瞳は、まるで我が子を慈しむ母親のようだった。
「……ごめん」
「わたしこそ、勝手なこと言ってごめんね」
互いに照れ笑いを浮かべ、ジョッキを握る。
きゅうううう。
僕の胃袋が、「気分を変えて飯でも食おうぜ」と訴えてくる。
そういえば、今日は夕食と呼べるものを口にしていない。アルコール以外に摂取したのは一件目の冷凍枝豆数粒と、さっきのお通しだけだ。おつまみがあれば、酒はもっとおいしくなる。
メニューブックを開き、オーダーを思案する。時間も時間だから、重たいものは避けたいが、漬物や小鉢などいわゆるスピードメニューでは物足りない。空腹時の串焼きは何本頼むのが最適か読めないし、焼き魚は時間がかかるので避けたい。
僕がうんうん唸っていると、マナが横から市松模様の献立表を奪い取った。
「このお店は揚げ物がおすすめだよ。若鶏から揚げとか。『若鶏』って枕詞がついてるだけで、すごくおいしそうに見えるよねぇ」
から揚げ。
老若男女問わず愛されている居酒屋の定番メニューだ。レモンをかけるもよし、マヨネーズにつけるもよし、チリソースなんてのもアリだ。昨日までの僕だったら、迷わずマナの推薦に首肯していただろう。
「から揚げは……いいや」
「えーどうして? 一緒に食べようよー」
「シェアする前提かよ。……それはいいけど僕、から揚げ苦手なんだよね」
「言い訳下手すぎ。そんな人この世にいるわけないじゃん!」
この世ならざる者が吐くセリフかよ。
「……もしかして、ユッキーの失恋に関係しているとか?」
「うっ」
「想い人が好きなメニューだったとか?」
「うぐう!」
胸が。静まりかけた疼きが。
「ユウさーん! 若鶏から揚げー!」
「おい、マナ!」
「いいじゃん。それより教えてよ、ユッキーのこと」
「別に人に話すようなことじゃないから」
「辛い時はね、誰かに耳を傾けてもらうのが一番いいんだよ。たとえ共感はしてもらえなかったとしてもさ、心の整理がつくじゃない。ほら、それにわたし人じゃないし」
自分の顎に人差し指を当て、歯を見せるマナ。
この子なりに、気を遣ってくれているのだろうか。
「……長くなるぞ」
「いえー! 夜はこれからだぜー!」
僕は思い出の蓋を開ける。
重い想いを、言葉で紡ぎだす。
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