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1品目:幽霊と女子高生と生ビール(350円~)
(1-3)居酒屋『ゆう』
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居酒屋『ゆう』。
青の下地に白抜きで書かれた店名には、確かに居酒屋とある。
外観はザ・場末スナックのような陰湿さがにじみ出ているが、居抜きだろうか。中の様子はうかがえない。
キャバクラを出て、どれくらい時間が経っただろう。一駅分は歩いたと思う。額や背中にはじっとりと汗が浮かんでいる。深夜とはいえ、季節はもう夏だ。あれだけ飲んだのに、喉はすっかり乾ききっていた。
木製のドアの内側からは、話し声が漏れてくる。日付が変わってもまだまだ営業中のようだ。早く冷たいおしぼりでリフレッシュしたい。
期待半分、緊張半分にドアを開ける。
「こんばんはー……」
店内は明るく、程よく小ぢんまりとしている。右側にカウンター席、左側に五つのテーブル席。
驚くことに、席が全部埋まっていた。各テーブルにひとつふたつ空席はあるものの、カウンターに並ぶ四つの椅子には、いずれも先客がいる。こんな真夜中にほぼ満席なんて、実は隠れた名店なのだろうか。
「……いらっしゃい」
真の通った女性の声。カウンターの奥からだ。
顔だけそっちに向けると、藍色の作務衣に、同色のバンダナキャップ姿の店員が僕を捉えていた。
二十代後半くらいだろうか、声だけでなく佇まいも落ち着いている。職人、という二文字を体現しているかのようなきっちりとした身なりに、思わず襟を正してしまう。
厨房にもフロアにも、他のスタッフは見当たらない。この人が店主のようだ。
改めてフロアを見回し、席が空いていないことを再確認した上で話しかける。
「一人なんですけれど、空いてないです……よね?」
その瞬間、店主の瑠璃色の瞳が大きく見開かれた。
同時に、店内の空気が一変したことを悟る。
厨房、カウンター、テーブル、すべての人が驚いたように僕を凝視していた。
ああ、そういうことか。
ここは地元の古くから付き合いのある客、いわゆる「身内」で回っているお店なのだ。
言い方を変えれば、一見さんお断りのお店。
客の顔をよくよく見ると、ほとんどが推定年齢四十代以上のおじさんやおじいさんだ。きっと自分の親に連れられるうちに、いつの間にか常連になったのだろう。手前のテーブル席の、白髪交じりのおじさんなんか、まるで異世界人に遭遇したかのような驚きに満ちた目の色をしている。
きっとこの後、店主の口からは「ウチは学生が来るような店じゃないから。安酒をガブガブ飲みたいなら駅前のチェーン店に行きな」とでも発せられるに違いない。返答をもらう前に、さっさと退散するべきか。
「……奥のカウンターなら、空いてるよ」
しかし予想に反し、店主は僕を客として受け入れてくれた。
言われた通り奥に進むと、右側にも席が二つあった。入り口からは死角になっていたから気づかなかった。奥の席に人は座っていないが、カウンターに飲みかけのビールと小鉢が置いてある。トイレにでも行っているのだろう。僕はその手前に腰を下ろした。
「『ゆう』にようこそ。はい、おしぼり」
カウンター越しに、上からおしぼりを渡される。
ようこそ。
さりげない一言だが、嬉しい響きだ。
受け取った手がひんやりとした。これはただの冷たい手ぬぐいじゃない。
顔を近づけると、ミントの爽やかな香りがした。両手が次第に清涼感に包まれていく。
気持ちいい。おしぼりひとつで、ここまでリフレッシュできるものか。
期待感とともに、ブックスタンドからメニューブックを抜く。茶色の市松模様が店の雰囲気にぴったりだ。
表紙を開くと、中にもう一枚硬めの和紙が入っていた。本日のおすすめ的なやつだろうか。
和紙を取り上げ、僕は目を細めた。
「……んん?」
青の下地に白抜きで書かれた店名には、確かに居酒屋とある。
外観はザ・場末スナックのような陰湿さがにじみ出ているが、居抜きだろうか。中の様子はうかがえない。
キャバクラを出て、どれくらい時間が経っただろう。一駅分は歩いたと思う。額や背中にはじっとりと汗が浮かんでいる。深夜とはいえ、季節はもう夏だ。あれだけ飲んだのに、喉はすっかり乾ききっていた。
木製のドアの内側からは、話し声が漏れてくる。日付が変わってもまだまだ営業中のようだ。早く冷たいおしぼりでリフレッシュしたい。
期待半分、緊張半分にドアを開ける。
「こんばんはー……」
店内は明るく、程よく小ぢんまりとしている。右側にカウンター席、左側に五つのテーブル席。
驚くことに、席が全部埋まっていた。各テーブルにひとつふたつ空席はあるものの、カウンターに並ぶ四つの椅子には、いずれも先客がいる。こんな真夜中にほぼ満席なんて、実は隠れた名店なのだろうか。
「……いらっしゃい」
真の通った女性の声。カウンターの奥からだ。
顔だけそっちに向けると、藍色の作務衣に、同色のバンダナキャップ姿の店員が僕を捉えていた。
二十代後半くらいだろうか、声だけでなく佇まいも落ち着いている。職人、という二文字を体現しているかのようなきっちりとした身なりに、思わず襟を正してしまう。
厨房にもフロアにも、他のスタッフは見当たらない。この人が店主のようだ。
改めてフロアを見回し、席が空いていないことを再確認した上で話しかける。
「一人なんですけれど、空いてないです……よね?」
その瞬間、店主の瑠璃色の瞳が大きく見開かれた。
同時に、店内の空気が一変したことを悟る。
厨房、カウンター、テーブル、すべての人が驚いたように僕を凝視していた。
ああ、そういうことか。
ここは地元の古くから付き合いのある客、いわゆる「身内」で回っているお店なのだ。
言い方を変えれば、一見さんお断りのお店。
客の顔をよくよく見ると、ほとんどが推定年齢四十代以上のおじさんやおじいさんだ。きっと自分の親に連れられるうちに、いつの間にか常連になったのだろう。手前のテーブル席の、白髪交じりのおじさんなんか、まるで異世界人に遭遇したかのような驚きに満ちた目の色をしている。
きっとこの後、店主の口からは「ウチは学生が来るような店じゃないから。安酒をガブガブ飲みたいなら駅前のチェーン店に行きな」とでも発せられるに違いない。返答をもらう前に、さっさと退散するべきか。
「……奥のカウンターなら、空いてるよ」
しかし予想に反し、店主は僕を客として受け入れてくれた。
言われた通り奥に進むと、右側にも席が二つあった。入り口からは死角になっていたから気づかなかった。奥の席に人は座っていないが、カウンターに飲みかけのビールと小鉢が置いてある。トイレにでも行っているのだろう。僕はその手前に腰を下ろした。
「『ゆう』にようこそ。はい、おしぼり」
カウンター越しに、上からおしぼりを渡される。
ようこそ。
さりげない一言だが、嬉しい響きだ。
受け取った手がひんやりとした。これはただの冷たい手ぬぐいじゃない。
顔を近づけると、ミントの爽やかな香りがした。両手が次第に清涼感に包まれていく。
気持ちいい。おしぼりひとつで、ここまでリフレッシュできるものか。
期待感とともに、ブックスタンドからメニューブックを抜く。茶色の市松模様が店の雰囲気にぴったりだ。
表紙を開くと、中にもう一枚硬めの和紙が入っていた。本日のおすすめ的なやつだろうか。
和紙を取り上げ、僕は目を細めた。
「……んん?」
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