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三話:降霊バーで、馴染みの一杯を。
(3-5)ストーカー
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接客モードに入った葬馬さんは、キーホルダーを上から下へ撫でる。そして哀歌さんのお気に入りだというカルーアミルクを慣れた手つきで作った。
「彼女、これが好きだったんですよ。お店ではお客さんのおごりで半ば無理やりビールに付き合わされることもあったみたいですが、ビールは苦手らしくて」
ビールは独特の苦みから、男女問わず苦手な人は多い。私は大学のサークルや職場の飲み会で無理やり飲まされるうちに慣れてきたが、最初のうちはコップ一杯空にするのもやっとだった。あの頃はビールを好んで飲む人が別世界の住人に見えた。
「では、まいります」
カルーアミルクの入ったグラスを、葬馬さんが両手で包む。そしてお抹茶を嗜むように、くいっと傾けた。
「う……」
身体がぐらりと揺れ、私は後ろから背中を支える。横から覗き込むと、目つきは葬馬さんのままだった。いつもならすぐ霊体が乗り移るのに、今日は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
カルーアミルクは可愛らしい見た目とは裏腹に、アルコール度数が高い。下戸の体質が拒否反応を起こしているのかもしれない。渡辺さんは祈るように、様子を見つめている。
「……ちっ」
葬馬さんは腰に手を当て、風呂上がりの牛乳のごとくカルーアミルクをゴクゴクと体内に流し込んだ。
七割ほど減ったところで、かくんとこうべが垂れる。
「だ、大丈夫……?」
「……ん」
葬馬さんはまどろんだ瞳で私を見つめる。先ほどまでとは漂わせているオーラが違う。男性特有のぎらつきは息をひそめ、代わりにしとやかさを湛えていた。かすかに漏れた吐息もどこか色っぽい。どうやら降霊に成功したようだ。
哀歌さんは目の前に私という見知らぬ女が立っている状況が飲み込めていないらしく、目を白黒させている。そりゃ、死んだはずなのにいきなりバーカウンターの内側にいたら驚くよね。でも、最愛の恋人がすぐ近くにいると知ったらもっと驚くだろう。
「……哀歌?」
哀歌さんが、声のした方を向く。
予想通り、彼女は目を大きく見開いていた。
そして握っていたグラスを落とす。ガラスの飛散する音が耳をつんざいだ。
「……なん……で」
「君に会いにきたんだ。ずっと会いたかったよ、哀歌」
手の震えは止まらない。それどころか身体全体に波及し、両手で肩を抱いてがたがたと揺らしている。
一歩、また一歩と後ずさりし、壁に並んだボトルに背をぶつけたところで、ようやく言葉を絞り出した。
「どうして、わたしに付きまとうの!」
……今、なんて?
付きまとう? どういうこと?
哀歌さんは怯えを隠そうともせず、信じられないといったように首を横に振る。
「哀歌? 何を言ってるんだ?」
渡辺さんも彼女の発言に戸惑い、席を立つ。椅子を引いた音にびくついた哀歌さんが、私の影に隠れた。
おそらくこの中で一番冷静に状況を判断できるのは私だ。むしろ二人きりにさせるのは危険のようにすら思える。
「……状況をひとつずつ整理しましょう。まず、お二人は恋人同士なんですよね?」
「ええ、もちろん」
「違うっ!」
肯定は前から、否定は後ろから聞こえた。
「……哀歌さんにお尋ねします。あなたは生前、ストーカー被害に遭っていましたか?」
「はい」
「その犯人は、この場にいますか?」
「……はい」
さっきは叫ぶように否定していたのに、今は消え入りそうな声だった。私の袖をぎゅっと握り、呼吸を必死に整えようとしている。
私は降霊に使用したキーホルダーを手に取り、裏を確認する。
中央には『Café bar: Natural』との印字があった。
「……これって、お店の宣伝グッズじゃ」
「キャンペーンで、指名してくれたお客さんに渡してたんです」
「でも、手作りなんですよね? 特別な一個だったとか」
「手作りって言っても、販促グッズの生産を請け負っているサイトでテンプレートを組み合わせただけですよ。女の子はみんな注文用紙に番号を記入して、店長に提出するんです。たぶん工場の大量生産品ですよ」
「じゃあ、渡辺さん以外にも同じものを?」
「たぶん、十個くらいは配ったかと」
心配するような表情を浮かべていた渡辺さんの頬が、ひくひくと痙攣を始める。
「ちなみに、お店の外で渡辺さんに会ったりは?」
「一度もありません。お客さんと店外で会うことは禁止ですし、そもそも……そういうつもりは、まったく」
さすがに「タイプじゃない」とは言葉にしづらかったのか、言葉尻がしぼんでいく。
「……違う。哀歌はこんなこと言わない! 僕の愚痴にいつも付き合ってくれて、優しく慰めてくれたんだ。こいつは偽者だ!」
「じゃあ、哀歌さんとはいつから付き合い始めて、どのように告白したんですか?」
「告白なんてするまでもない。何度か通ううちに彼女の笑顔が接客用のそれじゃなく、リラックスしていくのが見て取れた。哀歌が別の男に指名されている間の待ち時間は地獄だったよ。でも哀歌はしきりに僕に目で合図を送ってくれていた。『もうすぐそっち行くから、ごめんね』って。当然僕は、代わりの女の子とは一言も話さなかったよ。僕らは通じ合っていたんだ。これを恋人以外の何と呼ぶんだ!」
一方的な恋愛感情が肥大化していった典型的なパターンだ。相手の言動を自分の都合の良い風に変換し、それを客観的事実として認識してしまう。
おそらく渡辺さんは恋愛経験が乏しい。いわゆるピンクなお店のように明らかな「疑似恋愛」と比較すると、カフェバーは境界線があいまいなようにも思えてしまう。慣れない社会人生活で心が弱っている中で異性に優しくされ、ときめいてしまったこと自体は決して悪いとは言えない。
ただ、ストーカーとなれば話は別だ。
「ストーカーなんて低俗な行為と一緒にしないでくれよ。彼女も言っていたように、カフェバーの店長に僕らの関係がばれたら大変なことになる。店内での逢瀬こそが唯一堂々と会える場だったんだ。ゆえに僕は外での哀歌をほとんど知らない。そんなの、彼氏として寂しすぎるじゃないか。だから僕は、哀歌の色んな面を把握する必要があった」
頑なに自身の犯罪行為を認めようとしない。彼の中で、哀歌さんの恋人というポジションはもはや絶対的な真実なのだ。このまま話を続けても水掛け論になるのは目に見えているので、そろそろ話の本題に移らなければなるまい。
哀歌さんの死の原因について。
「彼女、これが好きだったんですよ。お店ではお客さんのおごりで半ば無理やりビールに付き合わされることもあったみたいですが、ビールは苦手らしくて」
ビールは独特の苦みから、男女問わず苦手な人は多い。私は大学のサークルや職場の飲み会で無理やり飲まされるうちに慣れてきたが、最初のうちはコップ一杯空にするのもやっとだった。あの頃はビールを好んで飲む人が別世界の住人に見えた。
「では、まいります」
カルーアミルクの入ったグラスを、葬馬さんが両手で包む。そしてお抹茶を嗜むように、くいっと傾けた。
「う……」
身体がぐらりと揺れ、私は後ろから背中を支える。横から覗き込むと、目つきは葬馬さんのままだった。いつもならすぐ霊体が乗り移るのに、今日は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
カルーアミルクは可愛らしい見た目とは裏腹に、アルコール度数が高い。下戸の体質が拒否反応を起こしているのかもしれない。渡辺さんは祈るように、様子を見つめている。
「……ちっ」
葬馬さんは腰に手を当て、風呂上がりの牛乳のごとくカルーアミルクをゴクゴクと体内に流し込んだ。
七割ほど減ったところで、かくんとこうべが垂れる。
「だ、大丈夫……?」
「……ん」
葬馬さんはまどろんだ瞳で私を見つめる。先ほどまでとは漂わせているオーラが違う。男性特有のぎらつきは息をひそめ、代わりにしとやかさを湛えていた。かすかに漏れた吐息もどこか色っぽい。どうやら降霊に成功したようだ。
哀歌さんは目の前に私という見知らぬ女が立っている状況が飲み込めていないらしく、目を白黒させている。そりゃ、死んだはずなのにいきなりバーカウンターの内側にいたら驚くよね。でも、最愛の恋人がすぐ近くにいると知ったらもっと驚くだろう。
「……哀歌?」
哀歌さんが、声のした方を向く。
予想通り、彼女は目を大きく見開いていた。
そして握っていたグラスを落とす。ガラスの飛散する音が耳をつんざいだ。
「……なん……で」
「君に会いにきたんだ。ずっと会いたかったよ、哀歌」
手の震えは止まらない。それどころか身体全体に波及し、両手で肩を抱いてがたがたと揺らしている。
一歩、また一歩と後ずさりし、壁に並んだボトルに背をぶつけたところで、ようやく言葉を絞り出した。
「どうして、わたしに付きまとうの!」
……今、なんて?
付きまとう? どういうこと?
哀歌さんは怯えを隠そうともせず、信じられないといったように首を横に振る。
「哀歌? 何を言ってるんだ?」
渡辺さんも彼女の発言に戸惑い、席を立つ。椅子を引いた音にびくついた哀歌さんが、私の影に隠れた。
おそらくこの中で一番冷静に状況を判断できるのは私だ。むしろ二人きりにさせるのは危険のようにすら思える。
「……状況をひとつずつ整理しましょう。まず、お二人は恋人同士なんですよね?」
「ええ、もちろん」
「違うっ!」
肯定は前から、否定は後ろから聞こえた。
「……哀歌さんにお尋ねします。あなたは生前、ストーカー被害に遭っていましたか?」
「はい」
「その犯人は、この場にいますか?」
「……はい」
さっきは叫ぶように否定していたのに、今は消え入りそうな声だった。私の袖をぎゅっと握り、呼吸を必死に整えようとしている。
私は降霊に使用したキーホルダーを手に取り、裏を確認する。
中央には『Café bar: Natural』との印字があった。
「……これって、お店の宣伝グッズじゃ」
「キャンペーンで、指名してくれたお客さんに渡してたんです」
「でも、手作りなんですよね? 特別な一個だったとか」
「手作りって言っても、販促グッズの生産を請け負っているサイトでテンプレートを組み合わせただけですよ。女の子はみんな注文用紙に番号を記入して、店長に提出するんです。たぶん工場の大量生産品ですよ」
「じゃあ、渡辺さん以外にも同じものを?」
「たぶん、十個くらいは配ったかと」
心配するような表情を浮かべていた渡辺さんの頬が、ひくひくと痙攣を始める。
「ちなみに、お店の外で渡辺さんに会ったりは?」
「一度もありません。お客さんと店外で会うことは禁止ですし、そもそも……そういうつもりは、まったく」
さすがに「タイプじゃない」とは言葉にしづらかったのか、言葉尻がしぼんでいく。
「……違う。哀歌はこんなこと言わない! 僕の愚痴にいつも付き合ってくれて、優しく慰めてくれたんだ。こいつは偽者だ!」
「じゃあ、哀歌さんとはいつから付き合い始めて、どのように告白したんですか?」
「告白なんてするまでもない。何度か通ううちに彼女の笑顔が接客用のそれじゃなく、リラックスしていくのが見て取れた。哀歌が別の男に指名されている間の待ち時間は地獄だったよ。でも哀歌はしきりに僕に目で合図を送ってくれていた。『もうすぐそっち行くから、ごめんね』って。当然僕は、代わりの女の子とは一言も話さなかったよ。僕らは通じ合っていたんだ。これを恋人以外の何と呼ぶんだ!」
一方的な恋愛感情が肥大化していった典型的なパターンだ。相手の言動を自分の都合の良い風に変換し、それを客観的事実として認識してしまう。
おそらく渡辺さんは恋愛経験が乏しい。いわゆるピンクなお店のように明らかな「疑似恋愛」と比較すると、カフェバーは境界線があいまいなようにも思えてしまう。慣れない社会人生活で心が弱っている中で異性に優しくされ、ときめいてしまったこと自体は決して悪いとは言えない。
ただ、ストーカーとなれば話は別だ。
「ストーカーなんて低俗な行為と一緒にしないでくれよ。彼女も言っていたように、カフェバーの店長に僕らの関係がばれたら大変なことになる。店内での逢瀬こそが唯一堂々と会える場だったんだ。ゆえに僕は外での哀歌をほとんど知らない。そんなの、彼氏として寂しすぎるじゃないか。だから僕は、哀歌の色んな面を把握する必要があった」
頑なに自身の犯罪行為を認めようとしない。彼の中で、哀歌さんの恋人というポジションはもはや絶対的な真実なのだ。このまま話を続けても水掛け論になるのは目に見えているので、そろそろ話の本題に移らなければなるまい。
哀歌さんの死の原因について。
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