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一話:降霊バーで、あの日の一杯を。

(1-5)対面

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「……え?」
「何だよ、その顔は。俺の顔に文句でもあるのか」

 目の前の人物は整えた銀髪をガリガリと掻きながら、ぐびりと豪快に生姜割りを飲んだ。

 今、私の名前を呼んだ? それに、口癖も。

 落ち着け。口癖はさっき店員さんに話したから、知っていてもおかしくない。名前だって、きっと私の目を盗んでスマホのプロフィール欄を覗いたのだ。

「どこだここは。バーか?」
「そう、だけど」

 ひとまず会話を合わせておこう。そのうちボロが出るに決まっている。

 そうか、とだけ答えて、彼はお酒を口にする。

「……」

 話が、続かない。

 私を警戒しているのか? いや、そもそもお父さんは二人きりの時でもほとんど喋ったりはしなかった。

「……お父さんこそどうなの、最近」
「最近も何も、死んだから知らねえよ」
「だから、私が上京した後の話。お母さんと二人でちゃんとやってた?」
「そもそもお前が生まれる前は二人きりだったんだから、何も変わらねえよ」

 無愛想な返事だった。声そのものは店員さんのものなのに、口調や言葉選びが先ほどまでとはまるで異なり、別人のように感じる。

「お父さんは変わらないとむしろ駄目なんだって。ちゃんとお母さんに感謝とか伝えてる? 言葉に出さなくても通じてるなんて古い考え、いい加減やめてよね」
「誕生日くらいはうまい飯を食わせてたよ。お前がこのままじゃ熟年離婚になるとかうるせえから」
「!」

 スマホにも記録されていない、私とお父さんしか知らないはずの台詞だった。

「お前こそ仕事はちゃんとやってるのか? 身体壊したりしてないだろうな」
「……今日、辞めた。すごい忙しくて」

 彼は背を向け、再び「そうか」とつぶやいた。てっきり落胆しているのかと思いきや、缶のミックスナッツを大皿に移しているだけだった。勝手にお店のものをとっていいのだろうか。実際に食べているのはマスター本人なのだけれど。

「だから言っただろ。あそこはやめておけって」
「うん」
「どれくらい働いたんだ? 一年か? 半年か?」
「三年くらい」

 ものすごい勢いで彼が振り返り、こちらに手を伸ばしてきた。叩かれるのかと思い、反射的に身をすくめてしまう。

 しかし手の行き先は頬ではなく、頭頂部だった。

「頑張ったじゃねえか。それだけ続けられりゃ、次はどこの会社でも大丈夫だろ」

 左右に、揺りかごのように優しく動く。

「……怒らないの?」
「どうして怒るんだよ。お前なりに真剣に考えて選んだ道だろう」

 つっけんどんで、けれど穏やかな声だった。

「でも私、お父さんのお葬式にも参加できなくて……」
「仕事を抜けて、お客さんに迷惑かけたくなかったんだろう? 立派じゃねえか」

 身体の内側がじわじわと熱を帯びて、感情が迸っていく。

「お父さんに反対された時もひどいこと言っちゃったし……」
「あ? なんか言ってたか? 忘れた」
「いや、忘れたって」

 思わず噴き出してしまった。人と喋って笑うなんていつ以来だろう。

「俺が言うのもなんだが、親の言いなりになる必要はないだろ。お前の人生なんだから、お前が好きに選べばいい。だがまぁ、たまには家に顔出してやれよ。母さん一人で住むには広すぎるし、それに……」

 彼は顔を背け、ガリガリと髪を掻きむしる。

「お前にはあれこれ言ったが、まあアレだ。要するに俺は、その……」
「なに」



「……お前が出ていくのが、寂しかったんだよ」



 その一言で、今までの思い出がぶわっと脳裏によみがえってくる。

 昔のお父さんは、たくさん笑っていた。運動会も文化祭も授業参観も、必ず休みをとって参加してくれた。高熱を出して倒れた時には、お母さんと交代で夜中まで看病してくれた。誕生日には遊園地や映画館に連れていってくれた。


『お父さん、大好き!』

『私、将来お父さんと結婚する!』


 いつからかお父さんは学校行事に参加しなくなった。休日も一緒に出かけなくなった。一人でつまらなそうにお酒を飲んでいる時間が増えた。

 私が拒絶したからだ。

 思春期特有の恥ずかしさとか、反抗期とか、理由は色々あったのかもしれない。けれど自分で自分を殴りたくなるような身勝手な態度も、お父さんは寛容に受け入れてくれた。

 お父さんは持て余した時間を仕事に費やした。収入が増えたおかげで、私は大学まで行かせてもらったのに、ちゃんとお礼も伝えていない。

 ふと考えてしまう。お父さんが倒れたのは、現場作業中のことだった。私が独り立ちして、もうそこまで働きつめる必要もなかったのに、どうして体調を崩すほどに身体を酷使してしまったのか。

 それは、私のせいじゃないか?

 私がお父さんの楽しみを奪い、仕事に没頭させてしまったから。定期的に地元に帰るなり、電話するなり、もっとコミュニケーションを図っていれば、不調にも気づけたかもしれない。無理やりにでも健康診断に行かせてたら、病気の早期発見につながったかもしれない。

「……お父さんが死んだのは、私の……せい……?」

 お父さんの目つきが鋭くなった。撫でていた手で私の髪をくしゃくしゃにする。

「そんなわけがあるか。子どもが親に責任を感じる必要なんてねえ」
「で、でも……」
「医者には前々から注意されてたんだ。食べすぎ、飲みすぎだってな。仕方ねえだろ、好きなんだから。それで死んだって構わねえさ。それにもう死んだから、今は好きなだけ酒が飲める」

 四リットルの大三郎を片手で軽々とグラスに注ぎ、蛇口をひねる。割りばしでくるくる回し、一気に口に流し込んだ。

「だからお前は、好きな場所で好きなように生きろ。俺も母さんも、杏子が幸せならそれで十分なんだ」

 白い歯を見せ、目じりに皺を作り、豪快に笑う。

 数年ぶりに見る、お父さんの笑顔。

「おとう……さん……」

 くしゃくしゃと撫でるその手は力強く、温かい。雑なのに気持ちよくて、いつまでもこうしていたいと思ってしまう。



「……そろそろ時間らしい。お迎えが来たみたいだ」

 そんな、早すぎる。まだ言わなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに。もっと気持ちを伝えなきゃ、もっと記憶に焼き付けなきゃ。焦れば焦るほどうまく言葉が出てこない。

「お前も俺に似て大酒飲みだからな。体調管理はしっかりな」
「待って、まだ……!」

 頭から離れた手をつかもうと、私は身を乗り出した。

 直後、お父さんは立ちくらみに襲われたように、ふらっと身体を躍らせた。顔を上げると、表情は一変している。

「……お父様には会えましたか?」

 慰めるような柔らかい笑みは、店員さんが持ち合わせているものだ。カウンターの上には、飲みかけの焼酎が置いてある。

 お父さんはもう、いない。

 そんな当たり前の事実を突き付けられ、猛烈な喪失感に見舞われる。心に穴があいたよう、とはまさにこのことだ。寂しさや空しさとも異なる、寒さに似た感情にたちまち支配され、思わず「延長」なんて口走ってしまいそうだった。

 もう終わりにしよう。今日の体験は胸の奥に秘めて、明日からまた新たな人生を歩むのだ。

 店員さんは無言の私をしばらく見つめた後、おもむろに冷蔵庫からシャンパンを取り出した。



「……一杯お作りしてもよろしいでしょうか?」
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