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思わぬ申し出と拒絶 side J

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 伯爵家のタウンハウスに招かれることにもすっかり慣れた。今日は待っていてくれたみたいで、彼女がエントランスにいた。

 柔らかそうな水色のレースをあしらったドレスは僕が贈ったものではないけど、胸元には『お守り』のネックレスが揺れている。悪くはないけど、最近見慣れた姿に比べて何だか物足りない感じがする。

 綺麗に微笑んだ彼女に案内されたのはいつかの温室だった。あの時を思い出すとむず痒い気持ちになる。

「僕達の大切な場所だね」

 僕が照れくさくに言うと、彼女も嬉しそうに微笑んだ。

 白いテーブルにお茶の用意がされると、メイド達を下がらせた。ふたりきりになることに嬉しくなるけど、彼女の顔に緊張の色を感じたので浮かれる気持ちを思い直した。どうしたんだろう。
 彼女は優雅な仕草で一口お茶を飲むと、ゆっくりとこちらを見た。

「今日はお話したいことがあるの」

「なんだろう。怖いな」

 真剣な眼差しに少しだけ怯んでしまう。

「今まできちんと口にしたことはなかったけど、私は家族と領民をとても誇りに思っているの。貴方はこの間、伯爵家にいるのは結婚するまでって言ってたけど、私がノーステリア伯爵家の娘であることは変わらない。もちろん、ネオルト男爵家の方々も同じように大切にしたいと思ってるわ。貴方の大切なものも尊重するように努力するから、貴方にも私の大切なものをわかって欲しいの」

 彼女がいつもよりゆっくりと考えるように話した内容は、婚約してから度々言われるものだった。
 ……なんだ。真剣な顔してるから驚いたよ。
 彼女が必死に彼らを大切にしてるのはわかるけど、僕は人生まで囚われる必要はないと思う。両親や兄君、領民だってそれぞれに家族や生活があって、それを一番大切にしてるのだから。

「君の家族や領民を大切な気持ちはとてもよくわかるよ。……けど結婚したら、君と僕のふたりで新しい家族の形を作っていくんだよ。もちろんそれまでの家族も大切だけど、そこまで君が縛られる必要はないと思うよ」

 なるべく感情的にならないように言った。なのに言葉を続けるにつれ、彼女の目が大きく開き、みるみる涙が溜まってくる。……うまく伝わらないのかな。自由に幸せになって欲しいのに。困ったな。溜め息が出そうなのを笑顔でごまかした。

「僕達の幸せのために枷になってしまうなら時には切り捨てることだって必要だよ。僕がいるんだから安心して」

 彼女が堪えるように目を伏せたあと、掠れる声で予想もしてない言葉をいった。

「婚約を、解消しませんか?」

 想像もしなかった言葉に目の前が真っ暗になった。驚きの余り考えるより先に言葉が出る。

「どうして……。どうしてそんなことを言うの?僕のことを嫌いになった?」

 彼女が子供のように首を振る。

「嫌いになんて、なってないです」

「ならどうして!?」

 思わず大きな声になってしまった。驚いて見開いた彼女の瞳からポロリと涙が溢れる。

「貴方との結婚生活が、うまく想像できないんです」

 そんな未来のことを考えて責められたって僕にはどうすることもない。怒りを覚えるけどぐっと堪える。感情のままに話したらきっと彼女に嫌われてしまう。

「そんなの、僕だってしてみないと分からないよ。そんな理由で……!婚約解消なんて両家の問題にもなるんだよ」

「私たちの婚約は政略的なものではないので、両家が揉めることはないと思います」

 確かに婚約の誓約書には政略的婚約ではないことを明記していたから、解消するのに障害は少ない。こんなことになるなんて……。瞬間的に卒業後に出会った女性達を思い浮かべる。彼女以上の女性に出会えるとは思えない。

「婚約解消なんてしたら、女性である君の方が不利益を被ることになってしまうよ」

「……私は仕事もありますし、継ぐべき家もないので、結婚できなくても心配ありません」

 彼女の瞳には決意の光が宿っている。拒絶されてることが悲しくて、泣きそうになり慌てて俯いた。
 これで終わるなんて嫌だ。

「…………嫌だ。僕は君と別れたくない!僕に悪いところがあるなら治すから、どうか、お願いだよ。僕のそばにいて……。」

 僕はあの日と同じように彼女の前に跪いた。手を取って縋るように彼女を見つめる。彼女の瞳が少しだけ揺れた。

「こんな、いきなり婚約解消を言い出すなんて酷いよ。大切なことなのだからもっと話し合いたい。君を愛してるんだ。一緒にいられるよう僕に努力させて欲しい」

 彼女の手を離さないよう両手で包み込みながら瞳を見つめ、返される言葉をじっと待つ。揺れていた瞳が閉じ、もう一度開く。弱々しく潤んだ瞳が真っ直ぐに僕を見た。

「確かに、私も一方的だったかも知れないわ。……貴方が望んでくれるなら、もう少しだけ婚約を続けてみましょう」

 やった。

「ありがとう」

「これから、ふたりの将来のために共に歩み寄ってくれますか?」

「もちろんだよ。今まで以上に話をしよう」

 僕が安心して思わず破顔すると、彼女は少しだけ困ったように微笑んだ。



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