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婚約者編

〈閑話〉隣国の公爵令嬢視点 ①

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 わたくしのお母様はとても優しい方だった。乳母はいたけれど、お時間がある時にはたくさんの物語を読み聞かせてくれた。そのうちにご自分で考えたお話をしてくれるようになった。

 お母様のお話の中には、色々なわたくしが登場してきてとても楽しかった。なかでも屋敷の庭から繋がる不思議なお花畑に暮らす妖精達の話が大好きだった。お母様も、と強請ってからは、空想の世界のお花畑でふたり、妖精達と一緒に飛び回った。


 わたくしが6歳の時、お母様が病気で亡くなった。具合が悪くなってからあっという間のことだった。
 ほんの少し前まで楽しそうに微笑んでいたお母様がいない。屋敷中を探したこともあったけれど、乳母がとても悲しそうな顔をするから止めた。

 その代わりにお母様のお話の続きを考えるようになった。乳母に聞かせれば、「お話を作るのがお上手なのはお母様譲りですね」と言われた。お母様からいただいたものがわたくしの中に存在している。ますます空想することにのめり込んだ。



 お母様の喪もまだ明けていない頃、王家から第二王子を後継となったわたくしの入婿にするよう打診された。
 第二王子とは幼い頃から遊び相手として会っていたけれど、五子で甘やかされている為か乱暴なところがあり、わたくしは苦手だった。

 父が相性が良くないからと一度断ったというのに、王命により婚約が成されてしまった。それ以来、父は王を信頼してはいない。

 婚約者となった第二王子は、わたくしに対してますます横柄な態度を取るようになった。口答えをすれば「どうせ俺のものになるんだ」と怒りだして手に負えない。ギラギラとした目が恐い……。嫌で嫌で、毎日のように泣いた。

 ある日、父は真剣な顔でわたくしに言った。

「アレは弱者には容赦の無い気質の人間だ。決して自分より下の存在と思わせてはならない。必ずアレに我が公爵家は自由にできるものではないと思わせるんだ」

 わたくしが確りしなくては公爵家が壊されてしまうかも知れない。
 第二王子に動揺や恐怖を悟られてはダメ……。わたくしは外では余計なことを話さず、表情を動かさないように努めるようになった。

 外見が厳格な印象の父と似ていた為、わたくしも父に近い気質と認識されるようになっていった。現実の世界が段々と色褪せて感じてくる。



「可愛げの無いヤツだ」

 第二王子はわたくしに会うたびにこの言葉を投げつける。冷静さを装った微笑みを張り付け、受け流すことには随分と慣れてしまった。
 わたくしを傷つける言葉は無いかと躍起になって探しているようにすら見える。王子に会うのが本当に嫌だ……。



 その頃、わたくしのお話に妖精の王子様が登場するようになった。

 妖精の王子様は優しくて、明るい笑顔が素敵な男の子。お父様やお母様とも仲良くて、綺麗なお花に隠れてたくさんお喋りする。現実とは全く違う。空想の世界でのわたくしは自由で幸せ。


 10歳になる頃、2つ年上のメイドが側付きとなった。メイはわたくしのお話に目を輝かせ、一緒に楽しんでくれるようになった。

「お嬢様、王子様にお名前はあるのですか?」

 メイの問い掛けに少しだけ考える。

「王子様はね、ウィル様と言うの」

「素敵です!私もそう呼んでもいいですか?」

「勿論よ」

 顔を見合わせて笑う。その日から妖精王子のウィル様は一層自由に空想の世界を飛び回るようになった。


「お嬢様、画家の方にウィル様の絵を描いてもらいませんか?」

 メイがある日言ってきた。

「え?……恥ずかしいわ」

「そんなことないです!空想画が流行っているではないですか。お嬢様のお話はきっと素敵な絵になります!」

 メイの熱意に一度だけと描いて貰うことにした。


 描きあがってきた絵画のなかにはウィル様がいた。
 光のなか、こちらを見上げる丸い瞳は青空を映して煌めき、髪はお花畑で上手く隠れられるように淡い色でふわふわしている。

「可愛い……」

 知らずに笑みが漏れる。メイも側で目を輝かせている。その絵をわたくしの部屋に一番目立つよう飾った。朝、目覚めるたびに少しだけ幸せになれる。



 だけど、十代半ばになる頃には現実から逃れられないと自覚することが増えてきた。
 わたくしはいずれ第二王子にこの身を任せなければならない。心を凍らせてその時をやり過ごす未来しかないのかしら。想像しただけで身体が震える。
 空想の世界に意識的に入り込むようになった。

 少し大人になったメイは変わらずにわたくしに付き合ってくれている。今日も色とりどりの果物の入った硝子のティーポットからお茶を注ぎながら、楽しそうに笑う。

「このお茶、ウィル様が好きそうですね。花の香りも似合いそうですけど、花畑に住む妖精ですから果物の方が喜びそうです」

 わたくしも「そうね」と笑う。爽やかで優しい香り。きっとウィル様は好まれるわ。
 虚しい逃避だと自覚していても、止めることはできない。



 貴族の学園に通うようになると、第二王子は多くの令嬢達を侍らせるようになった。わたくしを見かけては、その方々と比べ何が劣るかを声高に指摘してくる。
 至宝とうたわれる美しい王妃様に似た顔が醜く歪む。この方は、わたくしが傷ついた顔で泣いて見せたら満足するのだろうか。哀しくなる……。


 そしていつからか、第二王子の側に同じ令嬢がいることに気がついた。ピンクブロンドの髪の可愛らしい男爵令嬢。見掛けるたびに第二王子の腕に身体を絡みつかせるようにしている。他の令嬢達とは明らかに違う。
 すぐに父へ報告する。

「放っておけ」

 即答だった。その代わり、わたくしの側付きに護衛のできる者を増やしてくれた。それから第二王子が視界に入ることが格段に減った。仮初の平穏な日々に少しだけほっとした。



 それなのに卒業を控えた冬の日、学園のエントランスホールで第二王子がわたくしを待ち構えていた。愉悦でギラギラとした王子の目。嫌だ。恐い……。
 わたくしは怯える心を隠すよう姿勢を正し、いつも通り微笑みを貼り付ける。

 第二王子はいつか見たピンクブロンドの令嬢を腕に抱え、長々と訳のわからないことを喚きだした。

「……心身ともに醜い貴様を生涯の伴侶にするなど吐き気がするわ!第二王子の名を持って貴様との婚約を破棄する!」

 第二王子の高らかに宣言する声で、戯言を聞き流すために逃避していた意識が戻ってくる。……今、婚約破棄と言った?わたくしが目を向けると王族とは思えない下卑た顔で笑った。夢ではないみたい。

 わたくしは歓喜の声を上げそうになるのを必死に堪える。この機を逃してはダメ。幸い目撃してる者も多い。無かったことにはさせない。絶対に。

 それならばと少しだけショックを受けた顔をして見せる。第二王子はますます満足そうに嘲笑った。
 うまくいったわ!心の中で小躍りした直後、興奮した第二王子が目をギラつかせて続けた。

「貴様のような性根の腐った女は私に見捨てられたら相手も探せないだろう!おい!そこのお前っ……!」

 ホールを横切るひとりの男性を指差した。たくさんの本や書類を両手に抱えたその方が足を止めた。

「私でしょうか?」

 その姿に衝撃を受ける。薄茶色の捻れた髪が絡み合い顔を隠している。なんだか古くて放って置かれたモグラのぬいぐるみみたい……。着ている服も少し草臥れて見えるわ。制服も着ていないし、何者かしら……?
 第二王子は大声でその方に語りかけた。

「そうだ!お前、爵位は?!」

「父は子爵ですが、」

 続く言葉を遮り第二王子が嘲笑う。

「ははっ!丁度いい。お前がこの女の婚約者となれ!いいか、これは第二王子である俺の命令だ!」

「はぁ……」

 その方は曖昧な返事をしながら頭を傾けた。きっと今、あの髪の間から私を見ているわ……。嫌よ。何とかしないと……!

「王子!!!」

 血相を変えた王家所属の護衛騎士達がホールに転がり込んできた。あっという間に第二王子と男爵令嬢が連れ出されてしまう。
 この場には多くの目撃者と巻き込まれたあの方、わたくしだけが残った。

 そんな……。すぐに撤回してもらえれば無かったことにできたかも知れないのに。目の前が真っ暗になる。

 こんな酷いことってあるかしら?婚約破棄されて天にも昇る心地だったのに、次はモグラの王子様みたいな方と婚約しろだなんて……。

 あの方だって災難だわ。こんなことを押し付けられて。名前も婚約者がいる方なのかも確認も取られずに。
 第二王子の浅慮さに改めて嫌気がさす。

 ふう……。

 ため息をそっと吐いてから、巻き込まれてしまった可哀そうなモグラの王子様を見る。静かな佇まい。話は通じる方かも知れないわ。


 やっぱり今は、婚約が無くなる幸運をかみしめてしまおう。


 やったわ!!!!!





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