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婚約者編

33.公爵家訪問

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「お兄様、『もしも』なんて言わないでください」

 兄のお気楽な言葉に不貞腐れてしまう。

「ごめんよ。私も色々考えてしまうんだ。公爵家としてはこんな形で娘婿を決めたくはないだろうけど、王家との駆け引きの材料にはなるだろうしね」

 両親やパウロ伯爵も眉を顰める。駆け引きで第三者を巻き込まないで欲しい。

「公爵家のご令嬢はどんな方なの?」

「騒動の時見掛けただけだから良くは知らないけど、次期公爵として相応しい佇まいの方だったよ。……それでもメリッサと同じ年だと聞くし、きっと混乱してるかも知れないね」

 兄が困ったように微笑んだ。……身内でも衝撃的だったあの姿の男性を押し付けられそうなんですものね。私ならきっと今頃泣いてるか、……暴れているかも。
 公爵様はどのように判断される方なのかしら……。

 パウロ伯爵がこたえてくださった。

「公爵はご家族を大切になさる方と評判です。王子から解放されたというのに、令嬢の嫌がる縁談は組まないとは思いますが……」

「それなら、それほど深刻に考えなくてもいいのですか?」

 希望に縋りたい気持ちで聞いたけど、曖昧な表情で「それは何とも……」と首を振るだけだった。


 翌日、国使の方が訪ねてきた。第二王子と公爵令嬢の婚約解消がなされたことと、公爵家へは私達オルセン子爵家のみで伺うことが伝えられた。要は兄の件には国は関与しないと言うことね。それなら無かったことにしてくれれば良かったのに……。目撃者が多いから王子の『進言』は残ってしまったみたい。


 早速パウロ伯爵を通して公爵家へお伺いを立てると、即日で来るように返事が届いた。両親と兄、私の4人で馬車に乗り込む。

「……お兄様はあのままにしておいた方がすんなりお断りされたんじゃないかしら」

 何となく緊張感の漂うなか口を開くと、隣に座る兄が笑った。

「確かにそうかも知れないけど、流石に無作法過ぎるよ」

「そうよ。それに、ワイアットがあんな毛玉オバケだと思われたままだなんて、あり得ないわ!」

 鼻息荒く言う母の隣で父も笑う。そんな家族を見て私も笑った。



 広大な前庭を通り抜け馬車が止まる。見上げた公爵家の屋敷、もとい、城は荘厳という言葉そのものだった。

 うちの家族の場違い感半端ないわぁ……。

 なけなしの貴族の矜持を保ち、間違えても燥いだりしてはいけない雰囲気の廊下を音もなく案内される。淑女らしい歩き方ってどうだったかしら……。

 通された部屋は壁一面が絵画や鏡で装飾されていた。スゴイ。部屋の真ん中にあるソファに座るとすぐにお茶が用意される。

「こちらで少々お待ちください」

 そう言って公爵家の使用人は下がっていったけど、緊張は解けない。スゴイ豪華な部屋……。きっと飾られている額ひとつとっても驚くほど貴重な物に違いないわ……。
 キョロキョロしないよう視線だけを動かしていると、兄が吹き出した。

「はは。凄い顔をしているよ。ほら、甘いものを食べると緊張が解れるだろう?」

 そう言って私の口に小さな焼菓子をねじ込んできた。ヒドイ、……むむ、美味しい。私は両手を伸ばしてひとつずつ取り、右手のものを兄の口に押しつけた。兄は笑いながら口を開ける。

「……マナー違反でしてよ」

 母に小声で窘められたので、ふたりで肩をすくめる。久しぶりに叱られたわ……。思わず笑ってしまう。




「…………遅いですね」

 かれこれ一時間以上は経っている。もしかして、歓迎されてない……?家族は何も言わず困ったように笑みを浮かべた。
 その直後、扉を叩く音がした。侍女が入ってきて別室へと案内される。あの豪華な部屋、待合いだったのね……。


 次に通された部屋はとても明るくて広く更に豪華だった。スゴイ……。中央にはひとりの女性が立っている。私達はすぐに礼の姿勢をとった。

 こちらを見る大きな切れ長の瞳は紅く、髪は純度の高い金のように輝いて大きく波打っている。薄水色のエンパイアラインのドレスはすらりと背の高いご令嬢のスタイルの良さを際立たせている。

 この方が……。凄い迫力だわ……。私と同じ年なのよね。

 公爵令嬢は兄、父、母を順に見たあと、冷静な眼差しで私を見下ろしてきた。捕食者を思わせる雰囲気に背筋が冷たくなる。

 緊張を隠してなんとか微笑むと、それ以上は興味ないかのように視線を外らされた。促されて座ればすぐにまたお茶が出される。今度は果物の香りがするわ。美味しい……。

 公爵令嬢は隙きのない仕草でひと口お茶を飲んでから視線を上げた。紅い瞳が静かに煌めいている。

「婚約解消に協力していただき助かりましたわ」

「いえ、私は偶々通り掛かっただけなので、感謝していただくようなことは何もありません」

 兄は公爵令嬢を目の前にしても動じる様子もなくやんわりと微笑んでこたえた。凄いわ、お兄様。父が軽く咳払いした。

「それではどのように対処致しますか。理由は国に婚約予定の者がいるとでも致しましょうか?」

 紅い瞳が鋭く光った。

「そのような相手がいるのかしら?」

「いえ、おりませんが、……明確な理由が必要であればと考えた次第です」

 父が少しだけたじろぐと公爵令嬢は口元を扇で隠した。

「虚偽はいけませんわ。我が公爵家は清廉であることを是とします。……ワイアット様はオルセン子爵の後継予定ですわね。婚約者などはいない」

「そうでございます」

 おお、もしかして子爵家嫡男と言う理由で済むのかしら。期待を込めて視線を向けると、公爵令嬢は私をちらりと見た。

「それでメリッサ様は伯爵家子息と婚約されている」

「はい」

 私はこたえながら反射的にエイデン様を思い出す。出発前に手紙を出したけど、今頃きっと心配しているわ。会いたいなぁ……。
 公爵令嬢はふっと息を吐き、兄に視線を戻した。
 
「ワイアット様は古代史研究の為に留学中で期間は残り三ヶ月と聞いたけど、満足のいく結果は得られて?」

「いえ、奥深い学問なのでまだまだです」

「そう……」

 苦笑を浮かべる兄から目をそらすことなく、公爵令嬢はゆったりと扇を動かし口元に添えた。射貫くように輝く紅い瞳が細められる。

「わたくしの婚約者となれば研究は続けられますわよ?」


 ……………………はい???


 思考を止めた私達をよそに公爵令嬢は続ける。

「当然研究費用などはこちらで補助しますわ。他国の遺跡などを廻りたいならそれも叶えましょう。公爵家へ入ったあとも義務を果たしてくださるなら存分に研究に没頭してくださって結構よ」

 ええぇ……。婚約する方向で話を進めようとしているわ。そんな、公爵家からこんなことを言われてしまったら……。
 視界の端に見えていた兄の握り拳が膝の上で微かに震えていることに気がついた。

 動揺しているだろう兄を心配して横顔を見ると、平静を装った兄の青い瞳にはまさかの喜色が混じっていた。えぇ……。

 ……そうね、確かに兄にしてみれば研究し放題な環境、潤沢な研究費を提案されて揺るがない訳がない。しかもお相手は迫力美人な小公爵。なんて好条件。お兄様の研究バカ、バカバカ。
 私の声に出さない罵りを知る由もなく、兄が口を開いた。

「身に余る光栄なご提案ありがとうございます。ですが、私には父のあとを継ぐ役目がありますので」

 あら?私達のことは忘れてはなかったのですね。研究バカと思ってごめんなさい、お兄様。
 公爵令嬢の紅い瞳がまた私に向けられた。

「メリッサ様の婚約者は伯爵家の三子と聞きましたわ。……伯爵家の者を婿とするのに不都合があるならば昇爵できるよう働きかけますが」

 今度は私に好条件を豪速球で投げかけてきた。もしかして、めちゃめちゃお兄様と結婚したいんですか???

 声も出ない私に変わり、父が慌てた様子でこたえてくれた。ちなみに母は機嫌良さそうに微笑んでいる。お兄様の高評価に嬉しそうだけど、お婿に取られちゃうのよ?

「いいえ。当方は領地を持たない子爵家です。分相応な身分で十分なのです」

 そこまで言って父は言葉を切った。落ち着いた声で続ける。

「此度の件では王子殿下のご進言を聞き入れなくても良いと伺いました。それでも、私の息子との婚約を望むと言うのですか?」

 今度は公爵令嬢が口を噤んだ。紅い瞳が鋭く細められ、じっと父を見据える。ヤバいわ……。怖いわ……。父も同じ気持ちなのか顔色が少し悪い。母と兄はおっとりと微笑んでいる。凄い精神力……。


「――その通りだ」

 息の詰まるような雰囲気を一変させる声が低く響いた。見ると部屋の入り口に背の高い男性が立っている。ご令嬢そっくりの切れ長の紅い瞳を細めて近づいてくる。威厳溢れるそのお姿に私達は揃って立ち上がった。

 公爵は片手を上げて鷹揚に頷き挨拶をした。ニヤリと笑って続ける。

「少々調べさせて貰ったが、貴家のワイアット殿は能力、人柄ともに非常に好ましい。……当家としては始まりは扠置き、この良縁を繋げたいと願っている」

 そこまで言われては子爵家である私達には是以外の言葉はない。
 ああ……。そうよね。私が言うのもなんだけど兄は逸材だと思うわ。お兄様は異国の公爵家の者になってしまうのね……。もう、なかなか会えない……。


 少しだけぼんやりしているうちに話は進み、兄達はふたりで庭を歩いてきてはとお決まりを勧められていた。
 兄は立ち上がって公爵令嬢に歩み寄り手を差し出す。兄を見上げた赤い瞳が控えめだけどキラキラと輝いた。

 あら?やっぱりお兄様のこと、お好きよね?

 兄も公爵令嬢を見る眼差しが優しい気がするわ。……そう言えば初めから嫌そうにはしていなかった。兄も実は好みだったということ?
 ……なあんだ。それならいいわ。寂しくても我慢する。兄が幸せなら、いい。

 公爵令嬢をエスコートして部屋を出ていく兄を見送る。私が気が抜けたように微笑むと、青い瞳が細められた。……ええ。子爵家は任せてください。


 エイデン様、何て言うかしら…………。




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