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婚約者編

31.兄からの手紙

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『大変なことになった』

 定形の挨拶もなく、その言葉から手紙は始まった。



 冬休みの帰省中、リピングで母と楽しくお喋りをしていると父が入ってきた。その顔は強張っていてふわふわの髪は何故か乱れている。

「どうかしましたの?」

 母が聞くと、無言で手にしていた封筒を見せた。差出人は兄になっている。

「お兄様からお手紙が届くなんて久しぶりですね。……何か問題が?」

 5つ年上の兄ワイアットは隣国へ留学中だ。予定では次の春、私の学園卒業と同じ頃に戻ってくることになっている。
 以前、ヘンリー様宛ての手紙には「まだ学びたいことがある」とあったらしいから……。

「もしかして留学期間の延長のお願いですか?」

 私の問いに父は力無く首を振った。

「それならば良いのだけどね……」

 父が手渡した手紙を母が開く。私も隣に座り直して覗き込んだ。

 ……………………はい?

 便箋にはまるでレポートのようなびっしりと詰まった兄の文字。
「大変なことになった」から始まるそれには、兄が巻き込まれてしまった事件について書かれていた。

 ――ざっくり言うと、隣国の第二王子が貴族学園に通っているうちにとある令嬢と恋に落ちた。ところが王子には公爵令嬢という婚約者がいる。そこで王子は、学園の多くの学生の集まる場で公爵令嬢の非道を断罪し、婚約破棄を突き付けたという。

 問題なのは、それから気分が盛り上がった王子が、「貴様のような性根の腐った女は私に見捨てられたら相手も探せないだろう!おい!そこのお前っ……!」と言って指を指したのがたまたま通りかかった兄だった、ということ。

「……これは、本当なんですか?」

 俄には信じがたい内容だわ。明日あたりもう一通届いて、「なんてね!驚いた?」なんて無いかしら……?

 父が左手で自分の髪をくしゃりと掴んだ。それでふわふわがボサボサだったのね。

「本当のようだ。しかも公爵令嬢は冤罪と書いてある」

 ますます信じがたいわ。国の中枢を支えるであろう高位貴族の者を王家が冤罪で一方的に貶めるだなんて……、国が傾く騒ぎになりかねないわ。

「……今から行ってこっそりお兄様を連れ帰ってきませんか?……国境を越えてしまえば、他国の貴族を醜聞に巻き込むために態々追いかけては来ませんよ」

「…………できるわけ無いだろう」

 お父様、今、少しだけ「いいかも」って思いましたよね?



 暫く話し合い、やっぱり連れ帰ってきちゃいましょうよ……ってなりかけた時、青い顔をした家令が封筒を手に入ってきた。……今度は何?

 封筒を見た父がすぐに眉を顰めた。中を読んだ父が一度頭を抱えてから顔をあげる。

「隣国への使者に同行するよう、王宮から依頼されたよ。どうやら我が国は隣国に恩を売っておきたいようだ」

「!」

 それまで静かに座っていた母が倒れ込むようにソファーに体を預けてしまった。そんな、普段気丈なお母様がこんなにショックを受けるなんて……!私も力にならないといけないわ!

「私も行きますわ!」

 力強く宣言した。



 数日後、両親とともに隣国へ向かい出発する。国使の馬車を真ん中に数台が連なり、私達が乗るのは後ろから二番目の装飾の少ない馬車。

 私は両親と向かい合わせに座り、小さな窓の外を覗く。……もっと楽しそうな目的で旅をしたかったわ。母はあれからずっと塞いでしまっているし……。
 私は身を乗り出して、膝の上で扇を持つ母の手を上から握った。


 どうやら隣国でも、この騒ぎをどうするかは決めかねてるみたい。その為私達は隣国の王城ではなく、兄を留学に誘ってくださった伯爵位ある教授の屋敷に行くそうだ。

 王家は醜聞を無かったことにしたかったようだけど、目撃者が多い上、隣国の貴族まで巻き込んてしまっている。

 騒動の時、兄は王子から爵位しか聞かれなかったらしいけど、家名まで聞けばもしかしたら気付けたのかしら……?たまたま兄には婚約者がいなかったけど、それだって大問題になっていた可能性があるわよね……。

 考えていると、母の手に力が込められた。手にしている扇がミシミシと音を立て始める。

 ……え?

 顔を覗き込むと、いつもは穏やかな青い瞳に怒りで輝いていた。眼光鋭いってこういうことね……。思わず距離をとってしまう。

 母が口を開いた。

「……隣国の王子のやらかした馬鹿な話は、……お馬鹿なのだから仕方無い、と許せますわ。巻き込まれてしまったことも不運な事故だったと思うしかない。……けれど、許せないのは、ワイアットとの婚姻をまるで罰のように扱っていることですわ…………!」

 いつも優しく微笑んでいる母が悔しげに顔を歪めた。狭い馬車の中、扇の軋む音が鳴り続ける。

 …………お母様、怒ってたのね

 昨日から元気がなく塞ぎ込んでいたから、お兄様を思って倒れてしまうのではないかと心配だったけど、怒りを抑えてたのね……。なんだか安心したわ。私も怒ってるもの。
 私はもう一度母の手を握る。

「お母様、私達は他国の名も無い子爵家。この国で失うものはありませんわ」

 目を合わせて力強く頷いてみせると、母の目の輝きが変わった。私達を止めようとする父の声がするけど、聞こえないわ。

「……そうね。ワイアットを軽く見るようなことが僅かでもあったら即刻お断りして帰りましょう。……なんなら失礼なことを言う口に扇をねじ込んで、……駄目ね、明確な非を作っては。けど殴ってやりたい……」

 葛藤してるわ……。お母様、物理で訴えたい方だったのね。

 見た目も雰囲気もそっくりだから私は父似だと思ってたけど、感情が高ぶるところは母からだったのね……。そういう意味では、兄は性格も父似だわ。穏やかで優しい。

 ……あら?確かにいくら王家と子爵家の差があるとしても、あの兄がこんな扱いされるなんてやっぱりおかしいわ。……もしかして公爵令嬢は他に好いている方がいるとか?王子はそれを知ってるから嫌がらせで他の者を……?屑すぎではないかしら……?



 勝手な妄想を広げながら旅を続け、目的地へと向かうのだった。




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