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3.目指せ自堕落生活

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 私が10歳になる頃、姉に続いて兄も王立学園に入学するため、王都にある学園寮に入った。
 兄とヘンリー様がいなくなると、エイデン様に会いに伯爵家へ行く機会が急に減ってしまった。ふかふかの大型犬に成長したココも寂しそう。並んでしょんぼりと寄り添った。

 ひとりでも行きたいと父に言ったら、婚約者でもない男性をひとりで訪ねて行ってはダメだと叱られてしまった。
 ポロポロと涙が流れる。けどそれを見た父は焦った様子で、休みの日などに一緒に訪ねてくれると約束してくれた。最近では数ヶ月に1度程、伯爵様と父はチェスをしている。

 今では私だって、何故エイデン様と婚約を結べないかは理解している。……けど、結婚することは反対されていない。

「長期戦を制してやるんだから」

 私はエイデン様に手紙を出すようになった。


 初めて返事を受けとったときは嬉しくて踊りだしたい気分だった。というか踊った。見慣れた文字だけど、私に宛てたものだと思うと特別なものに見える。
「あまりお会いできなくなってしまったので、お手紙を書いてもいいですか?」という私の願いに対して、「手紙のやり取りについて了承した」と書いてあった。

「額に入れて飾れないかしら!」

 うっとりと私が言うと、「絶対に嫌がられますから、やめておかれた方が」とメイドに窘められた。……確かにエイデン様の嫌そうにする顔が目に浮かぶわ。それもいいのだけど。
 仕方がないので、母からいただいた宝飾箱に大切にしまうことにした。

 それから数年間、手紙のやり取りは続いた。私は毎回ココの話とエイデン様へのその時の想いを余すことなく書き連ねた。
 エイデン様からのお返事ははいつも早い。厚さは私から送る手紙に比べてとても薄く、言葉も簡潔なものだけど、手紙をきちんと読んでくれているのが伝わってくるから満足だった。

 ココの可愛さは言葉では言い表せないので絵を付けていたら、私はココを描くのがとても上手くなっていた。「うまく描けたわ」と見せてあげると尻尾を揺らす。自分だってわかってるのね。賢いわ。




 だけどある日、家庭教師が父と話しているのを聞いてしまった。

「メリッサ様のマナーは申し分ございません。いつも熱心にレッスンも受けていらして大変素晴らしいです」

 ふふ、そうでしょうとも。エイデン様に相応しくあるためずっと努力してるのだもの。

「これならば良縁にも恵まれることでしょうね」

「そうであれば有り難いです」

 ふたりの笑い声を聞きながら頭が真っ白になった。……盲点だったわ。淑女として成長すれば他の方に望まれてしまうことだってあり得るんだわ……!どんなにエイデン様をお慕いしていても対外的には私は婚約者のいない娘なのだから。

 何とかしなくては。

 早速次の日からマナーのレッスンは断って部屋に引き籠もった。なるべくソファやベッドに転がって自堕落な生活を目指すようになった。
 私の豹変ぶりに家中が困惑してるけど、これは譲れないの。


 数日後、部屋で本を読んでいると扉をノックされた。慌ててソファに転がると、床で寝そべっていたココが頭を上げた。扉が開いて母が入ってくる。

「またそんな格好で……。あんなに楽しそうにレッスンを受けてたのに……。何か嫌なことがあったのかしら?先生に嫌なことをされたの?」

「先生は何も悪くないわ。……ただ、立派な淑女になりたくないの」

「どうしてかしら?」

「……言いたくない」

 エイデン様のためなんて言えない。私が体を起こして俯くと、ココが近づいてきて手を舐めてくれる。母が溜め息を吐いて近づいてきたから叱られると身を固くしたのに、優しく頭を撫でられた。

「わかったわ。ずっと頑張っていたのだし、少しレッスンはお休みしましょう」

 そう言い残して部屋から出ていった。閉じられた扉を見て少しだけ胸が痛む。床に跪いてココに軽く抱きつくと、ココは尻尾で一度だけ床を叩いたあと、しばらく寄り添ってくれた。



 さらに数日後、今度は父がやって来た。私は少しだけ身構えたけど、ふわふわの髪を揺らしながら笑って言った。

「これからウェスティン伯爵家に行くが一緒に……」

「行くわ!!」

 私は飛び起きて急いで支度を始めた。ココも立ち上がって尻尾を振っている。お出掛けってわかってるのね。

 淡いオレンジ色のドレスに着替える。本当はエイデン様の色を纏いたいけど、黒だから私にはまだ難しいのよね。早く大人になりたい。そう思いながら鏡の中の自分を見る。薄茶色のふわふわの髪に、少し垂れた淡い橙色の丸い瞳。

「私、黒の似合うような大人の女性になれるのかしら……?」

「お嬢様らしくおられることが大切かと」

 私の呟きの意図を汲んでくれたメイドが、髪に黒いレースの細いリボンをつけてくれ、「お似合いですよ」と言ってくれたので「ありがとう」と笑った。


 馬車には父と私、ココが乗っている。お行儀よく床に伏せているココの首輪はもちろん黒色だ。

 伯爵家に着くと、エイデン様が出迎えてくれた。少しだけ背が伸びたかしら……。相変わらず凛々しい。ココも挨拶するため近寄っていく。尻尾の動く速さが凄いわ。

 私が「よし」と言えば、ココは一目散に庭の方へ走っていった。きっとイアン様がそっちにいるのね……。ココは会うたびに精一杯遊んでくれるイアン様が大好きなのだ。少し複雑。

 父も伯爵様との久しぶりのチェスが楽しみだったのか、いそいそと屋敷に入ってしまった。

「お茶を用意してるから俺達も行こう」

 エイデン様の少しだけ低くなった声にどきりとする。私は満面の笑みで後について行った。

 通された部屋にはたくさんのお菓子が用意されていた。歓迎してくれてるのね。嬉しい。上機嫌で椅子に座ると、エイデン様の黒い瞳がこちらを見ていた。眉間にシワ、いつも難しいことを考えてるからね。素敵だわ。

「お前、最近勉強に手を抜いてるらしいな」

 にこにことエイデン様のお顔を眺めていたのに、自堕落生活を目指してることを指摘されて表情が固まる。
 ……お父様が話したのね!

「勉強はちゃんとしてるわ。マナーのレッスンを休んでるだけだもの」

「どうして」

 ジロリと見られるけど、理由なんて言えない。目を逸らしてしまった。

「立派な淑女になりたくない……」

「どうして」

 逃さないぞと言わんばかりに見つめられる。静かな口調が怖い……。

「そうなったら誰かから求婚されるかもって、先生とお父様が……」

 私が小さな声でこたえると、エイデン様がひとつ溜め息を吐いた。

「いくら申し入れがあったとしても、あの子爵が勝手に婚約を結ぶとは思えない。そもそもちょっとくらいマナーが出来るようになったからと言って、断れないような高位貴族に見初められるとは思えない」

 一気に言われた言葉に目も口もぽかんと開いてしまった。…………それは私があまり可愛くないから?マナーができたところで見向きもされないってこと?
 みるみる涙が込み上げてくると、エイデン様がギョッとした顔をした。

「え?泣くようなこと言ったか?」

「私が可愛くないから誰もお嫁さんにしたがらないってことですか?」

「何でそうなる!?お前は可愛くないわけじゃない」

「それなら可愛いですか?」

「かわ……、くっ」

 エイデン様は珍しく慌てた様子だったけど、途中で持ち直してしまった。もう少しで可愛いって言ってもらえると思ったのに。ちっ。

「そもそも俺は最低限のマナーもできないやつは嫌だ」

 そう言えばそうですね。私は美しい姿勢で素早く座りなおして、にっこりと微笑む。

「これからまた頑張りますわ」

「そうだな。あまり子爵に心配かけるな。何時も気を張ってる必要はないが。……あまり俺には気を使わなくていい」

 それは俺は特別だよってことですか!?

「はい!ありがとうございます!」

 私が笑うと、相変わらず難しい顔のまま頭をぽんぽんとされた。その手はとても優しかった。好き。




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