その掌にこいねがう

月灯

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本編

18.いま、幸せかい?

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「どうもー」
「ああ、いらっしゃい」

 カウンターに腰かけると、藤木が拭いていたグラスから顔を上げた。

「最近よく来るわね」
「いい客でしょ」
「じゃあそこのボトル買ってみない?」
「さすがに無理」

 残念、とそれほど残念でもなさそうに藤木が笑う。冗談なのは明白だった。ちゃんと遥の好きそうな酒を勧めるあたり、多少本気だったのかもしれないが。

「なにか飲む?」
「えー……じゃあカルーアミルク」
「了解」

 藤木が背を向ける。グラスや瓶の擦れる音を聞きながら、遥はちらりと周囲を見回した。薄暗い店内、静かな会話のさざめき、談笑の妨げにならないBGM。見慣れた光景だ。もう数年は通っている。何度か模様替えこそしたが、流れる雰囲気は不思議といつも似通っていた。
 だが最近になって、このバーが少し明るく見えるようになった気がする。
 以前まで、ここに来るのはDomを探すためだった。遥としてはあまり気乗りすることではないし、来たところで体調的に酒も飲めない。来たいかと言われれば首を振るだろう。藤木が心配するから通っているだけだ。
 だが、いまは違う。パートナーを得て心身が安定さえすれば、ここは仲のいい同期が経営している、おいしいお酒を出す店でしかない。あと祐のバイト先が近いので、待ち合わせの時間を潰すのにもちょうどよかった。
 まぁ、今日は祐がバイトなので一人だが。もしかしたら帰りがけにすれ違うかもしれない……という下心は、少しある。

「どうぞ」
「ありがと」

 グラスを受け取る。ひんやりとしたガラスに掌が涼む。揺れた拍子にふわりとカフェオレに似た香りが立った。そういえば祐はこれなら飲めたりするんだろうか。甘いし、牛乳多めにしたらいけるかもしれない。今度訊こう。

「あ、そうだ」
「ん?」
「はい、これ」

 膝に載せていた紙袋を渡す。見た目よりもずっしり重いそれを藤木が受け取り、首を傾げた。

「みかんジュース?」
「うん。週末に旅行行ったからお土産」
「そうなんだ。ありがと」
「どういたしましてー」

 みかん好きだったよね? と尋ねると藤木は頷いた。知っているが、一応確認だ。藤木の一番好きなカクテルはミモザだから、大丈夫だろうとは思ったけども。
 ……あれだ、成人したときに先輩に作ってもらったって話。
 藤木とそのパートナーは、高校時代からの知り合いだと聞いている。藤木の片想いだったそうだが、彼女の成人記念に相手が作った酒というのがミモザだ。そこで晴れてパートナーになり、店を持った際には思い出の酒を名前に付けたという。

「へぇ、和歌山行ったんだ」

 紙袋には二瓶入れておいた。そのラベルを見、藤木が呟く。

「そう。綺麗な景色見て、温泉入って、みかんと寿司食べて魚とパンダ見てきた」
「楽しそう」
「よかったよ」

 思い返すと、自然と顔が緩む。藤木も頷いた。

「いいなぁ。私もここしばらく旅行していないし、今度あの人誘ってどこか行こうかしら」
「いいんじゃない」
「ね」

 カルーアミルクを口に運ぶ。甘い。もう少し牛乳の割合を増やせば、祐も飲める気がしてきた。外で飲み物を頼むたび、遥のパートナーは毎回「ブラッ……、いえ、紅茶で」と頼みなおしている。遥は無理しなくてもと思うのだが、本人曰く「なんか子どもっぽい気がして」とのことらしい。本当に気にしなくていいと思うのだが、年上の遥に合わせて背伸びしたがる姿は微笑ましくもあった。可愛い、というと怒られそうである。散々遥へ「可愛い」と言うくせ、当の本人はそう言われることを好まない。
 喉触りのいいカクテルを飲み下しながら、飲みすぎないようにしないと、と頭の片隅で思う。するするグラスを空けてしまったが、まだ水曜日だ。

「よかったわね」
「ん?」
「首輪。仲良さそうじゃない。仲直りしたと思ったら旅行も行って」
「いや、旅行は会社のだけど」

 あ、そうなの? と藤木が虚を突かれたように瞬いた。すぐさま嫌な顔されなかった? と尋ねてくるあたりはさすがDom、思考が似ている。

「あー……結構嫌そうだった、かな」
「でしょうね」
「藤木もやっぱり嫌だって思う?」
「いや、私はないけど」

 あれ?

「じゃあなんで嫌だって?」
「あんたのパートナーはそういうタイプに見えたから」

 なるほど、当たっている。

「あれでしょ、独占欲が強いタイプでしょう。いつでも目の届くところに置いて、全部管理したいタイプ」
「それだけ聞くと割とやばいね」
「なにを今更」

 藤木が呆れたように肩を竦めた。

「あのDom、そのうちあんたを家に引き込んで外に出さなくなるんじゃない」
「……そうかも」
「そうかもじゃない、絶対。実際するかは別だろうけど」
「……」
「まぁ、あんたの意思を尊重して思いとどまってるんでしょうね」
「あー」

 社員旅行に行く前のすったもんだを思い出し、遥はつい苦笑した。確かにそんな感じだった。

「その首輪も買ってもらったんでしょ」
「そう」
「それ、かなりいい首輪だし。旅行もあんたが行きたがったから許したんでしょ。よっぽどあんたが大切なんでしょうね」
「あはは……」

 照れる。グラスを両手で持って斜め下を見ると、笑う気配がした。

「よかったじゃない」
「……うん」
「あんたすぐにフラれるから今回もどうかと思ってたけど。長いお付き合いになりそうじゃない。ちょっと相手に癖あるけど」
「……うん」

 一生って言われたな、そういえば。
 真面目くさった口調を思い出し、いっそう頬が熱くなる。

「僕も長く続けばいいな、と、思う」
「そうね」

 意味もなく瞬きをする遥が可笑しいのか、藤木はいっそう笑みを深める。それを誤魔化すように、遥はグラスの中身を呷った。





「あ、遥」

 そう声を掛けられたのは、照れが抜けないまま立て続けにカルーアミルクを三杯干し、さすがにペースを落とすかとグラスを置いたときだった。

「……浅田さん」
「こんばんは」

 にこりと笑い、浅田が隣の席へ腰を下ろす。挨拶を返し、遥は浅田の挙措をぼんやりと眺めた。会うのは二週間ぶりだろうか。首輪で祐と揉めた日以来である。久々に会った浅田とここで話していたら祐が来て、家へ連れて行かれて。パートナー解消を覚悟していたのに、気づいたら本音を引き出されて強固に手を繋ぎ直されていた。
 浅田がビールを頼んでいる。遥は? と尋ねられて同じものを頼んだ。

「この前はすみませんでした」
「ん?」
「前回、祐、あ、パートナーが失礼な態度を取って」
「……ああ。いや、全然気にしてないよ」

 慇懃無礼な遥のパートナーを思い出したのか、浅田がおかしげに口許を覆った。目が細まる。

「自分のSubにべたつかれていい気分になるDomはいないからなぁ。むしろ微笑ましかった」
「すみません……」
「いや、それだけ遥を独占したいんだろう」

 まぁ、いきなり睨まれてびっくりはしたけどね。優しい言葉をかけられるほど申し訳なくなる。
 浅田の視線が動く。遥の首元、黒い首輪に向けられているのがわかった。

「首輪、贈ってもらったんだな」
「は、い」
「よかった。顔色もよくなったし、表情も明るくなった。……本当、よかった」

 じっと遥の顔を覗き込み、浅田が息を吐いた。心の底からそう思っているのがわかる。
 心配されていたのかもしれない、とふと遥は思い至った。浅田は遥がいるといつも声を掛けてくれた。たいていそのときの遥はふらふらで、ひどい顔色で、目の下に深い隈を刻んでいた。お世辞にも魅力的とは言い難い己に、それでも声をかけてくれていたのはDomとして明らかに不調を来たしているSubを放っておけなかったからだろう。
 その予想を裏付けるように、浅田が口を開く。

「今度こそ長く続きそうで、よかった」

 ……あ。

 ――今度は続くといいな。

 あの日、帰り際に言われた言葉だ。
 あれは文字通りの意味だったのか。あのときの遥には後ろめたさがあったから、純粋な励ましを裏返しに受け取ってしまった。

「遥?」
「あ……いえ」

 ぽかりと口を開けていると、訝しまれた。慌てて首を振り、遥は手持ち無沙汰にグラスを握りなおす。浅田に対して申し訳なさがふつふつと湧いて、悪い意味に捉えていた過去の自分をぶん殴りたくなった。

「そう、ですね……その、長く続くといいなと、思います」
「続くさ」

 浅田は言い切った。

「ああいうタイプは、一度掴んだら絶対に離さないタイプだからね。それこそ死が別つまで……いや別たれても、盲目的に慕うようなDomだな」
「……」

 そう語る言葉には、不思議な説得力があった。だからこそ遥はどういう顔をしていいかわからない。藤木といい浅田といい、さっきから遥が困るようなことばかり言う。いや困るというと少し違うかもしれない。とにかく、照れる。嬉しいが少し困るような、胸のあたりが苦しくなるというか。
 視線をうろつかせる遥へ、浅田は穏やかに目を細めた。どこか懐かしいものを見る眼差しだった。

「遥はいま、幸せかい?」
「……はい」

 問いの意味を理解するや、即答していた。幸せだ。それだけは確かだ。脳裏に寂しがり屋で愛情深いパートナーの顔を思い浮かべれば、無性に会いたくなる。いや、明日になったら会えるのだが。

「すごく、幸せです」

 会いたい。会って、跪きたい。それから。
 知らずまた首輪を触っていた。知らず頬が緩む。顔を甘く蕩かせた遥に、ならばよしと浅田は口角を持ち上げた。



 ――そのとき、遥のスマホが鳴った。
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