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第二十七話 庭園で

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 彼より先に歩を進めて、王宮の庭園を進む。
 過去にはこの中を鬼ごっこしたこともあるけれど、この庭園を王女として誰かと会うためだとか、園遊会だとか、そういうの以外で歩いたのは久しぶりだ。

「いい香り……どこからでしょうか」
「……薔薇が人気ある理由が分かりますね。この香りだけで」

 薔薇は闇の中でも香りが高く存在感がある。
 そういえば、美しい姉姫をモデルにして作られ、献上された薔薇がこの中にあったはずだ。
 それはどこだっただろうか。
 四年間も興味を持たずに放置していれば、そのようなものだろう。
 まだ嫁ぐ前の姉とその花を見て、「お姉さまの方が美しいですわ」と言い張って、くすぐったそうに笑われた日を思いだす。

 自分は美人は好きだと思う。
 そして、美しい人は美しい人と結ばれて、絵に描いたような、誰が見ても麗しい家庭を作ってもらいたいとも思う。主に目の保養のために。

 特にスピネルは、婚約してもなお、美しいお嬢様たちに囲まれているらしい。中には不倫願望のお姉さまたちからもアタックを受けているという話がここ、婚約者の元にまで届いてくるくらいに華やかなようだ。
 婚約者はともかく、まだ子供の私の耳に入るレベルで噂話がくるのだから、どうしようもない。
 幸い、誰かとねんごろになっているなどというはしたないことにはなってないようだが。実際になっていたとしても、それを気づかせるようなことをスピネルはしないだろう。

「ここのところ何かと慌ただしかったから、落ち着きますね」

 ほのかに暗い庭園では、白い花が月明かりや星明り、ところどころの灯を反射して、浮かんで見える。昼間の方が花の色を楽しめたとは思うけれど悪くない。
 二人の間を、夜になったばかりの風が通る。
 もしかして、今は後で人生を振り返った時に、心のどこかに落ちて離れない、思い出の夜になるのかもしれない、とそう感じた。

 薄暗闇の中で浮かぶスピネルは、顔を陰で落としていても、そのすっきりした鼻梁はわかりやすく、彼の器量を損なっていない。
 しばらく見つめあった後、彼は静かな声で私に問いかけてきた。

「姫は私のどこをお厭いになっていらっしゃるのでしょうか」
「なんのことでしょう?」
「とぼけないでください」

 珍しくもスピネルが声を荒げた。ほんの少しだが。
 しかしそれでも滅多に見ない彼の怒りだ。彼は基本は怒りは押し殺して黒いものに変えてしまうから。
 私は逆に冷静に、声も静かにそれに返事をしよう。

 誰かにも聞かれた。
 誰かにも答えた。
 しかし、私のこの答えはずっと変わらない。

「私は貴方のことを嫌ってません」

 昔も、今も。

「ではどうして、婚約解消をしようと誘導なさるのです。私のために婚約解消するとおっしゃってますが、なぜ私のためなのかもわかりませんし、姫自身はどうお思いなのですか?」
「そこに私の意志は関係ありませんよ。貴方と初めてお会いした時から、貴方を私との婚姻から解放したいと思ってました。……はっきり言いましょう」

 歩いていれば、ちょうど明かりがある。四阿というより、ベンチのようなものが置いてあるのだ。大理石の。

 私は座ることはしなかったが、そこで足を止めて彼を振り返る。
 暗い中で、お互い表情もわからないところでは話しにくかったから、明かりはちょうど良いだろう。

「私は貴方に興味がないのです」

 スピネルは驚いたような顔をしている。
 モテるスピネル様は、こういう対応をされることが今までなかったのだろうか。
 唯一自分に恋をしない相手が婚約者だったなんて、運のない人だ。

 ほんの少し言い訳じみたことを言わせてもらおう。そうでなかったら、スピネル自身に問題があって結婚をしたくないのだと思われてしまう。

「私は結婚に興味がありません。王家の娘として産まれた以上、結婚は義務であり責務だとは思いますが、それだけです。しかし、結婚するにしても、私に最低限の価値を見出してくれない相手とでは困ります。そういう意味では、貴方と結婚するべきではないとは思いますが」
「価値? 貴女の言う価値とは……?」
「王女としての価値、かしら? 私が持つ価値なんてそれくらいでしょう?」

 顔もまずく社交性もなく愛想もなく、評判がいいわけでもない女。血筋くらいしか売れる場所がないのは自分が一番よく知っている。
 幸い特士になれたけれど、この国ではそれは私の利点になりえない。
 女は頭が悪いほうが可愛げがある。そういってはばからない男も多いのだ。

「貴方に価値がない?」

 そう口にして、スピネル様はわずかに目を見開く。
 どうしたのだろう。驚愕したような顔に見える。

「………もしかして貴女は、あの時の私の言葉を信じて……いや、違う。覚えていらしたんですね。ずっと」

 その言葉は疑問形ではなくて、確信の言葉。
 ここまでヒントを出してようやく思いだすとは、スピネル様にしてはずいぶんと鈍いが、その反応に驚いた。

「スピネル様は、覚えてなかったのではないのですか?」

 てっきり、初めて会った時のことを忘れているのだと思っていたのに。だからあえて記憶を突こうとしなかった。

「いえ、覚えてなかったわけではありません。ただ、意外だったのです」

 どういえばいいのか、と珍しくスピネル様が混乱したような顔をして、手で口元を覆っている。

「貴方は四年前の私の言葉のせいで傷ついて、私をこんな形で罰しようと?」
「私、別に傷はついてませんよ? ただ、私と貴方の間の最適解を目指していただけですし。なぜ私が特士になることが貴方への罰になるのですか。貴方に罰を与えたかったら、貴方が私にそう言った瞬間にでも貴方の言葉を奏上して、あの場で私から婚約を解消すればよかったではないですか」

 あの時、彼から言われたセリフを思いだす。

『いいですか、ステラ姫。考え違いしないでいただきたい。我が公爵家は王家と繋がりを得たいだなんて思っていないのですよ』

『容姿に優れない姫君は、国内でしかるべき貴族が引き受けざるを得ないわけですしね』

 懐かしいなぁ、と、なんとなく思いだしていれば、スピネル様が空を仰いだようにして、目を閉じていた。

 それを邪魔してはいけない気がして、私は黙ったまま見つめて過ごしていた。
 彫像のように動かないスピネル様は、夜の中で美しいと見とれてしまう。



「……申し訳ございませんでした。本当に……」


 唐突に目を閉じたままスピネル様が呻いた。いや、呟いたようだった。

 でもそれは呟いたのではないだろう。私への謝辞なのだから。
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