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第55話 大使館

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 マレーネ公国大使館に入館の申請をしてから一週間。
 私とセユンはその大使館に訪問することを許された。
 指定された時間に間に合わせるようにモナード伯爵家の馬車に揺られながら、私はセユンに話しかける。

「随分と早く許可おりましたね。……モナード伯爵の名前を使ったんですか?」

 私の言葉にセユンはとんでもない! と大げさなくらいに首を振った。

「そんなことできないよ! 国同士の問題になっちゃうよ!……チェリー・レイモンドの作品にマレーネの話を書きたいから、文化と庭について取材させてくださいって出版社の名前で大使館に連絡させたんだよ」

 確かに、モナード家は騎士の家系。家の名前を使って下手なことをしたら変な喧嘩を売っていると勘ぐられてしまうだろう。
 
「ちょうど次の新刊のネタにもなるし、よかったよかった」

 セユンはご機嫌で鼻歌を歌っているが、マレーネゆかりの話を書かなくてはいけないという縛りになってかえって面倒くさいのではないだろうか。
 もとはと言えば私のせいで申し訳ない気持ちになるが、彼が気にしていないようなので、甘えさせてもらおう。
 大使館の入口に馬車を止めてそのまま扉を叩くと、すぐに背の低い丸顔の男性が出てきてくれた。

「ようこそいらっしゃいました、現大使のトレスに代わりまして、一等書記官のコータルが本日のお相手を務めさせていただきます……先生、どうぞこちらに」
「え?」
 
 コータルと言った愛想のいい彼の視線は私に注がれている。どう考えても私が案内されているような気がして、誤解されてる? と思いセユンを振り返ると、そのままで、と目配せをされてしまった。
 きっとチェリー・レイモンドと間違われているのだろう。
 
「当大使館の庭をご覧になりたいとうかがいましたが……今の時期で本当によろしいのですか? 花の見ごろはもう少し後からなんですよねえ」

 私たちが庭というよりダリアを見たいのだと思っているらしいコータルに笑ってごまかしながらついていく。確かにそれは間違いでもないわけだし。

「大使館は宿舎が併設されていて、大使館に勤めている者の家族が住んでます」
 
 コータルは前に立って中の案内をしてくれている。ふむふむ、と私が間取りを見ながらぼーっとしていると、後ろでセユンの方が必死にメモを取っているのが見えた。これが作家と一般人の差だろう。
 そのまま建物を通り、中庭の方に入るといきなり視界が開けた。

「ここはダリアのみが植わっている庭なんです。秋になるとそれは見事に咲き乱れますよ。ダリアはマレーネで特に大事にされている花でして……」
 
 開けた中庭は暖かな日差しが差していて、今はまだ背の高い草があちこち生えているなという印象でしかない。言われなければ何が植わっているかもわからなかっただろう。
 周囲を見渡すが植物以外が見当たらない。私は思い切って質問することにした。

「こちらには青銅の天使像があるという話をききましたが……」
「青銅の天使ですか?……いえ、そのようなものはこちらにないですね」
「……そうですか」

 私が見るからにがっかりして見えたのだろう。
 コータル氏は慌てて、近くにいた職員を呼び止めて、青銅の天使の話をしてくれた。その人はさらに他の職員を呼びに行ってくれる。
 しかし、誰も青銅の天使を見たことがなかった。

 おばあ様が迷い込んだのはここではないのだろうか。
 その時、そういえば、と年かさの職員が眼鏡をずらしながら声を上げた。


「昔、ここに噴水がありましたよね……結構前に撤去されましたけど、近くに青銅の置き物があったような気がします。それが天使像かどうかはわからないですが、水が出てくるものの近くに青銅なんて置いてたらダメになるのに決まってるのに、と前の職員が怒ってましたから青銅製だったのは確かです」
「……!」

 その人の言葉に、私が質問を重ねようとしたが、それを遮ってセユンが自分で質問をする。
 
「その置き物って妖精の王の恋人の姫のお話のモチーフか何かですか?」
「妖精の王と姫のお話ですか? 我が国創世の神話ですがよくご存じですね」

 思わず私は手を握りしめてセユンを見上げた。セユンは私にむかって小さく微笑むとコータルに問いかけた。
 
「それってマレーネでは有名なお話なのですか?」
「ええ、広く親しまれているお話ですよ。マレーネの人間なら誰でも知っているんじゃないかな」
「その本があるならぜひ拝見したいのですが……」
「本であるのかな……。あれ、お芝居で見るものという意識が強くて、私も文字として見たことないんですよ」
「お芝居?」

 コータルは1つ頷くと手ぶりを交えて話してくれた。

「マレーネでは、神話にまつわる物語は紙芝居や人形劇でお祭りなどのイベントの時に、みんなで見るんですよ。その方がよりたくさんの人数が楽しめますからね……ご興味ありましたら、精霊祭の頃、またおいでくださいませんか? 大使館に住む子どもたちが、自国の文化を忘れないように紙芝居を見せることになってるんです」
「それは素敵な提案だ。ありがとうございます」

 セユンはとてもいい笑顔を浮かべたが、そういえば……と何かを思い出したような顔をする。

「そのお話の最後って、確か妖精の王と姫の結婚式で終わるんですよね?」
 
 セユンの質問に集まってきていた人達はその言葉を聞いて、きょとんという顔をしている。
 しかし、首を傾げたり、首を振ったりして、明らかにそれは違うというアクションを返してきた。
 
「いえ、あれはプロポーズじゃなかったですか?」
「結婚式ではないですよね」

 口々に話し合って、そうだそうだ、と意見をまとめている。

「そうですよ。あれはあくまでもプロポーズであって、結婚式ではなかったですね。結婚式というのは皆に結婚したことを広めるわけでしょう? マレーネではあくまでも結婚は個人だけのものという意識があるので、プロポーズをしてそれでOKされたらもうそれで結婚、という扱いなんです。結婚式は外国から入ってきて、わが国でも若い子を中心に行われるようにはなりましたが、あの話ができた当時はそういう文化はありませんでしたから」

 年かさの人が代表して結論を話すと、皆頷いている。それを受けてコータルが話を捕捉した。

「マレーネではダリアの花をプロポーズに使うんですけれど、それってあの神話のそのシーンが元になってるのかもしれないですね」
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