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第24話 会いたい
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成り行きとはいえ人前に出る仕事をするようになって変わったことがあった。
まず、夜更かしをしなくなった。
美しさとは健康であることが必須。それは持病があるとかそういうことではない。規則正しい生活、ストレスを自分に与えない、そういう人としての生きることの基本をまず守るよう言われたのだ。ミレーヌに。
目的があってモデルとして働くとしても、社会人として関わるのなら最大限の努力をすべきと。それは未成年だからと甘やかされるべきことではないと注意されて。美容に興味がないから、なんてことは言っていられなかった。
最低限のことは私付きのメイドたちに任せ、やってもらってはいたけれど、自分からしようと思ったことはなかったのに。
そんな私の「夜はちゃんと寝る」という生活パターンを脅かしていた恐ろしい敵をようやくうち倒せた。震える手で赤い絹張りの本を丁寧に閉じた。
ああ、面白かった……。
目を閉じて余韻に浸る。
セユンから貰った本はもったいなくて少しずつ読んでいたのに、とうとう読み終えてしまった。心に残るあのシーンこのシーンを思い返し、反芻して感動しなおすのも名作を読んだ後の楽しみで。
そして読み終わったら読み終わったで、今度は誰かにこの胸のうちを伝えたくなる。
関係者に近いところにいるらしい彼に言うのは気が引けるけれど、同じファン同士ということでセユンを思い浮かべるのも当然だっただろう。
次の仕事は明日なのに、早く彼に会いたくてたまらない。
この話を彼はどのように感じながら読んだのだろう。奥様方と話を合わせるためという資料として読んだかもしれないけれど、彼ならきっとどこか風変りでありつつも鋭い読み方をして私を驚かしてくれるだろう。
そう思いつつ、次の日にウキウキとアトリエに向かったのだが、そこにセユンはいなかった。
「セユンさんは今日は行かれないんですか?」
「ええ、他の仕事が入っていてそちらにかかりきりになってるのよ」
今日は常連のお客様がティーパーティーを開くというので、一種の出張販売を行う予定になっていた。シンプルなワンピースにこのように小物を合わせると映えるなど、実地を交えたアドバイスを行うと売り上げがあがるそうで、そのモデルとして私は呼ばれていた。
サロンのショーのような大掛かりなものではないが、プリメールブティックのメインであるドレスの契約に繋がらなくてもブティック、プリメールの宣伝にもなる。
こういう時こそセヨンの話術が冴えわたって売り上げアップにつながるのに、一体どうしたのだろう。
今日は顔見知りのブティック店舗の売り子の方々も一緒で、女性ばかりで話は盛り上がっている。
しかしセユンの売り込み力と説得力には欠けているようで、興味は持ってもらえても、買うという一言がなかなか出ない。
「これらの小物のデザインも全て貴方がしているのよね?」
「ええ、デザインの方は私が一手に引き受けております」
クロエもデザイナー視点から、製品として気を使って作っている部分やお得感をアピールするが、それでも相手を納得する説得には繋がらずなかなか購入に結びつかない。
セユンと他の人の接客にはどこに違いがあるのだろう……そう考えてみてもわからなかった。
結局、売り上げはいつもの4割程度に落ち込んだらしい。
「セユンくんいないとダメねー、こういうの」
「やっぱり男の人……しかもイケメンからのプッシュがないと女は買わないわよ」
口を尖らせながら撤収作業をしている売り子たちの愚痴が聞こえる。
「やっぱ私ら女のお追従なんかじゃ説得力なくてダメってことよねー」
「言えるわー」
きゃははっと笑いあう彼女たちの様子をぼんやりと見ながら、セユンが来ていた過去のパーティーの様子を思い返した。
本当に男の人だからお客様はセユンから物を買うのだろうか。
確かに彼の容姿が大きな効果を上げているのはわかっている。しかしセユンは高いアイテムよりその人に合うと思えば安いアイテムの方を勧めていた。そういう意味では商売っ気がない人で。
それにセユンは商品以外でも知識が豊富だ。それも天才肌というより、努力をしている人なことを私は知っている。あの情報量は常に努力をしていないと得られたものではないから。
今日、お客様の目を引いた、大振りのブローチとストールの組み合わせを提案したのはセユンだったはずだ。
それは今年の流行とか今日ここに招待されていた女性の年齢層を考慮しているとか、少しはブティックに関わってきたから、私にだってそれくらいわかった。
その努力の結果があの彼が叩きあげる売り上げなのだろう。
しかも元々そんな努力をする必要がない人だというのに。
伯爵として剣を手に、家門の名誉を守っていればそれだけで彼は認められるのに。
どうしてそこまで頑張れるのだろう、セユンは。
それに引き換え、ここにいる私は何をしていたのだろう。
私もモデルとして、言われた通りの着こなしだけでなく、その場に合わせて色々なアドバイスができたはずなのに。
色々と足りてないなぁ……。
それなら努力しなきゃ。彼のように、私も。
セユンは今、何をしているのだろう。忙しそうだったけれど仕事は終わったのだろうか。
会いたいなぁ。
クロエにはそのまま帰っていいと言われたけれど……。
外出する時のアリバイ作りはミレーヌに全面的にまかせている。
きっとミレーヌなら、少しばかり遅くなってもうまいように言い訳してくれるはずだ。
少しだけ……と思いつつモナード伯爵邸に足を運ぶと門番のジョンに見つかった。
「あれー、レティエさん、忘れ物ですか?」
にこにこと当たり前のように中に入れてくれる彼に、もうそのまま帰る理由なんてなくなってしまって。
アトリエに寄って、もしここにセユンがいないようならそのまま帰ろうと思っていたけれど、静まり返った別邸の扉に鍵はかかっていなかった。
「セユンさん……いらっしゃいます?」
中が静かなので、音を立ててはいけない気がして、自分もそうっと中に入る。
「あ……」
作業部屋を覗きこめば、奥のソファに倒れこむようにして眠っているセユンを見つけた。
まず、夜更かしをしなくなった。
美しさとは健康であることが必須。それは持病があるとかそういうことではない。規則正しい生活、ストレスを自分に与えない、そういう人としての生きることの基本をまず守るよう言われたのだ。ミレーヌに。
目的があってモデルとして働くとしても、社会人として関わるのなら最大限の努力をすべきと。それは未成年だからと甘やかされるべきことではないと注意されて。美容に興味がないから、なんてことは言っていられなかった。
最低限のことは私付きのメイドたちに任せ、やってもらってはいたけれど、自分からしようと思ったことはなかったのに。
そんな私の「夜はちゃんと寝る」という生活パターンを脅かしていた恐ろしい敵をようやくうち倒せた。震える手で赤い絹張りの本を丁寧に閉じた。
ああ、面白かった……。
目を閉じて余韻に浸る。
セユンから貰った本はもったいなくて少しずつ読んでいたのに、とうとう読み終えてしまった。心に残るあのシーンこのシーンを思い返し、反芻して感動しなおすのも名作を読んだ後の楽しみで。
そして読み終わったら読み終わったで、今度は誰かにこの胸のうちを伝えたくなる。
関係者に近いところにいるらしい彼に言うのは気が引けるけれど、同じファン同士ということでセユンを思い浮かべるのも当然だっただろう。
次の仕事は明日なのに、早く彼に会いたくてたまらない。
この話を彼はどのように感じながら読んだのだろう。奥様方と話を合わせるためという資料として読んだかもしれないけれど、彼ならきっとどこか風変りでありつつも鋭い読み方をして私を驚かしてくれるだろう。
そう思いつつ、次の日にウキウキとアトリエに向かったのだが、そこにセユンはいなかった。
「セユンさんは今日は行かれないんですか?」
「ええ、他の仕事が入っていてそちらにかかりきりになってるのよ」
今日は常連のお客様がティーパーティーを開くというので、一種の出張販売を行う予定になっていた。シンプルなワンピースにこのように小物を合わせると映えるなど、実地を交えたアドバイスを行うと売り上げがあがるそうで、そのモデルとして私は呼ばれていた。
サロンのショーのような大掛かりなものではないが、プリメールブティックのメインであるドレスの契約に繋がらなくてもブティック、プリメールの宣伝にもなる。
こういう時こそセヨンの話術が冴えわたって売り上げアップにつながるのに、一体どうしたのだろう。
今日は顔見知りのブティック店舗の売り子の方々も一緒で、女性ばかりで話は盛り上がっている。
しかしセユンの売り込み力と説得力には欠けているようで、興味は持ってもらえても、買うという一言がなかなか出ない。
「これらの小物のデザインも全て貴方がしているのよね?」
「ええ、デザインの方は私が一手に引き受けております」
クロエもデザイナー視点から、製品として気を使って作っている部分やお得感をアピールするが、それでも相手を納得する説得には繋がらずなかなか購入に結びつかない。
セユンと他の人の接客にはどこに違いがあるのだろう……そう考えてみてもわからなかった。
結局、売り上げはいつもの4割程度に落ち込んだらしい。
「セユンくんいないとダメねー、こういうの」
「やっぱり男の人……しかもイケメンからのプッシュがないと女は買わないわよ」
口を尖らせながら撤収作業をしている売り子たちの愚痴が聞こえる。
「やっぱ私ら女のお追従なんかじゃ説得力なくてダメってことよねー」
「言えるわー」
きゃははっと笑いあう彼女たちの様子をぼんやりと見ながら、セユンが来ていた過去のパーティーの様子を思い返した。
本当に男の人だからお客様はセユンから物を買うのだろうか。
確かに彼の容姿が大きな効果を上げているのはわかっている。しかしセユンは高いアイテムよりその人に合うと思えば安いアイテムの方を勧めていた。そういう意味では商売っ気がない人で。
それにセユンは商品以外でも知識が豊富だ。それも天才肌というより、努力をしている人なことを私は知っている。あの情報量は常に努力をしていないと得られたものではないから。
今日、お客様の目を引いた、大振りのブローチとストールの組み合わせを提案したのはセユンだったはずだ。
それは今年の流行とか今日ここに招待されていた女性の年齢層を考慮しているとか、少しはブティックに関わってきたから、私にだってそれくらいわかった。
その努力の結果があの彼が叩きあげる売り上げなのだろう。
しかも元々そんな努力をする必要がない人だというのに。
伯爵として剣を手に、家門の名誉を守っていればそれだけで彼は認められるのに。
どうしてそこまで頑張れるのだろう、セユンは。
それに引き換え、ここにいる私は何をしていたのだろう。
私もモデルとして、言われた通りの着こなしだけでなく、その場に合わせて色々なアドバイスができたはずなのに。
色々と足りてないなぁ……。
それなら努力しなきゃ。彼のように、私も。
セユンは今、何をしているのだろう。忙しそうだったけれど仕事は終わったのだろうか。
会いたいなぁ。
クロエにはそのまま帰っていいと言われたけれど……。
外出する時のアリバイ作りはミレーヌに全面的にまかせている。
きっとミレーヌなら、少しばかり遅くなってもうまいように言い訳してくれるはずだ。
少しだけ……と思いつつモナード伯爵邸に足を運ぶと門番のジョンに見つかった。
「あれー、レティエさん、忘れ物ですか?」
にこにこと当たり前のように中に入れてくれる彼に、もうそのまま帰る理由なんてなくなってしまって。
アトリエに寄って、もしここにセユンがいないようならそのまま帰ろうと思っていたけれど、静まり返った別邸の扉に鍵はかかっていなかった。
「セユンさん……いらっしゃいます?」
中が静かなので、音を立ててはいけない気がして、自分もそうっと中に入る。
「あ……」
作業部屋を覗きこめば、奥のソファに倒れこむようにして眠っているセユンを見つけた。
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