14 / 28
第十四話 インクのしみ
しおりを挟む
自室に戻り、さっそく持ち出してきた目録を開く。
私が目星をつけていたあの絵が本当に名作なのかどうかはわからない。
しかし、私の直観というより母の話を信じるだけだ。
だってもしあの絵が複製画だったとしても、私じゃそうかどうかすらわからないもの。
ノートはちゃんと管理しているらしく父の字で丁寧に色々と、買った時の状態や、どこで購入したかまで書き込まれている。
その中から、あの絵と思しきものをページをめくって探す。
最初からこのノートに値段が書かれていれば早いのに。そうしたら、その中から金額が高いものを選んで書き写せば早かった。
もしかしたら、値打ちの高いものは違う場所に管理されているのだろうか。
いや、この家の中で一番管理が厳重なのはあの部屋だ。
そして、父の性格上、大事なものほど自分の身から離さないだろうから、他所で管理していることも想像がつかない。だから父の持っているコレクションの中で、価値が最も高い物はあの部屋の中にあるとみていいだろう。
幸いキャンバスサイズと、画家のサインの最初の字が読み取れたから、これではないかと当たりをつけることができたのだが。しかし。
「あの絵のタイトルが、聖母の凋落? どういうモチーフなのかしら」
なんか考えない方がいいような気がして、思考を停止した。
しかし、余計なことを言ってる暇も考えている暇もない。必死になって書き写している間に、父が帰って来たようで家の外に馬が走る音とガチャガチャと重たい物が引っ張られるような音も聞こえた。
これは困った。
父が部屋に入っていってしまったら、もう自分はこのノートを返すことができなくなる。今のうちに、と慌ててノートを持って立ちあがり、父が自分の部屋に入る前に返してこようとするが。
「あ」
どぼぼぼ……。
立ち上がった拍子に、蓋を閉め忘れていたインクを倒して机の上が黒く染まり、勢いで零れたそれがドレスにもかかる。
「~~~~~~っ!!」
悲鳴を上げたら人が来る! そう思うと上がりそうになってしまった声を必死に堪えて。
とっさにノートにかからないように腕を高く上げてそれを守ったが……。見れば1滴、ノートにインクが飛んでいる。
とりあえず、この汚れた状態になってしまった今、このタイミングでノートを返しになんてとてもじゃないが行けない。
着替える時間もない。このまま行ってあちこちにインクの染みをつけて回るわけにもいかないし。
「このノートの滲み……どうしよう」
ドレスの浸みはこの際どうでもいいが、ノートに飛んでしまった汚れはどうしたらいいのやら。
このまま返すべきかすら自分でも判断できなくて、とりあえずはそのノートを自分の机の引き出しの奥に隠し、着替えることにした。
***
翌日に書き写した紙と、盗んできた目録のノートを持って、こっそり訪れるのはロナードの家だ。ばれても一見してわからないように、ノートは厳重に梱包してバッグに2重に入れたのだけれど。
父がこのノートが持ち出されていることに気づいているかどうかはわからない。様子をうかがうことすらできなかった。
私の話を聞いたロナードは、ああ、と軽く頷いた。
「インクの浸み? 消せるよ」
「そうなの!?」
「漂白剤でたいていの染色料の色素は落とせるからね。どこ?」
そういうと、布を裂いて細い棒に巻き付けたものと、洗濯用の漂白剤をメイドに指示して準備させるロナード。
まず目立たないところで試してから、私が汚したところに、そっと浸した布で撫でていく。汚したのは表紙で、紙に漂白剤が多少浸みても裏移りして裏側の文字が消えたりしないのがわかっていたから安心できる。
面白いように色が綺麗に消え、危惧したようにノートの表紙の色は消えたりしなくてほっとした。
中の方は無事だろうか、と確認するためにノートの中身を見ていたロナードは、気まずそうな顔を隠そうとしなかった。
「……僕、君のお父さんのコレクションがなにか、わかっちゃった」
「……何も言わないで」
「うん……」
こうなる予感はしていた。だって、露骨な名前の作品も結構あるのだもの。
「もしかしたら……、オークションのカタログの罠を仕掛けたら、思っていたのと違う人が釣れるかもしれないなぁ」
中をぱらぱらめくりながら、ロナードが頷いている。
「え、どういうこと?」
「いや、実際にやってみた方がいいと思う。僕の考え違いかもしれないから」
元々、ロナードは誰が釣れると思っていたのだろうか。
オークションに出品依頼の手配はロナードがしてくれるということで、私はそのままノートだけ持って、家に帰る。
幸い、父は帰宅した時にまだいない。隠し部屋は昨日、自分が入ったままのような気がする。
こっそりとノートを元あった場所に戻し、離れることにした。
――しかし、私は気づいていなかった。
小さな仕掛けが、その部屋の入口に仕掛けられていたということに。
蝶番に挟まれた軽くて潰れやすいその球は、扉が開閉すると潰れ、侵入者がいたということだけを教えてくれる簡易なもの。
なぜ忘れていたのだろうか。
父はそのように細心なところもあったからこそ、その地位まで上がって来た男だったというのに。
私が目星をつけていたあの絵が本当に名作なのかどうかはわからない。
しかし、私の直観というより母の話を信じるだけだ。
だってもしあの絵が複製画だったとしても、私じゃそうかどうかすらわからないもの。
ノートはちゃんと管理しているらしく父の字で丁寧に色々と、買った時の状態や、どこで購入したかまで書き込まれている。
その中から、あの絵と思しきものをページをめくって探す。
最初からこのノートに値段が書かれていれば早いのに。そうしたら、その中から金額が高いものを選んで書き写せば早かった。
もしかしたら、値打ちの高いものは違う場所に管理されているのだろうか。
いや、この家の中で一番管理が厳重なのはあの部屋だ。
そして、父の性格上、大事なものほど自分の身から離さないだろうから、他所で管理していることも想像がつかない。だから父の持っているコレクションの中で、価値が最も高い物はあの部屋の中にあるとみていいだろう。
幸いキャンバスサイズと、画家のサインの最初の字が読み取れたから、これではないかと当たりをつけることができたのだが。しかし。
「あの絵のタイトルが、聖母の凋落? どういうモチーフなのかしら」
なんか考えない方がいいような気がして、思考を停止した。
しかし、余計なことを言ってる暇も考えている暇もない。必死になって書き写している間に、父が帰って来たようで家の外に馬が走る音とガチャガチャと重たい物が引っ張られるような音も聞こえた。
これは困った。
父が部屋に入っていってしまったら、もう自分はこのノートを返すことができなくなる。今のうちに、と慌ててノートを持って立ちあがり、父が自分の部屋に入る前に返してこようとするが。
「あ」
どぼぼぼ……。
立ち上がった拍子に、蓋を閉め忘れていたインクを倒して机の上が黒く染まり、勢いで零れたそれがドレスにもかかる。
「~~~~~~っ!!」
悲鳴を上げたら人が来る! そう思うと上がりそうになってしまった声を必死に堪えて。
とっさにノートにかからないように腕を高く上げてそれを守ったが……。見れば1滴、ノートにインクが飛んでいる。
とりあえず、この汚れた状態になってしまった今、このタイミングでノートを返しになんてとてもじゃないが行けない。
着替える時間もない。このまま行ってあちこちにインクの染みをつけて回るわけにもいかないし。
「このノートの滲み……どうしよう」
ドレスの浸みはこの際どうでもいいが、ノートに飛んでしまった汚れはどうしたらいいのやら。
このまま返すべきかすら自分でも判断できなくて、とりあえずはそのノートを自分の机の引き出しの奥に隠し、着替えることにした。
***
翌日に書き写した紙と、盗んできた目録のノートを持って、こっそり訪れるのはロナードの家だ。ばれても一見してわからないように、ノートは厳重に梱包してバッグに2重に入れたのだけれど。
父がこのノートが持ち出されていることに気づいているかどうかはわからない。様子をうかがうことすらできなかった。
私の話を聞いたロナードは、ああ、と軽く頷いた。
「インクの浸み? 消せるよ」
「そうなの!?」
「漂白剤でたいていの染色料の色素は落とせるからね。どこ?」
そういうと、布を裂いて細い棒に巻き付けたものと、洗濯用の漂白剤をメイドに指示して準備させるロナード。
まず目立たないところで試してから、私が汚したところに、そっと浸した布で撫でていく。汚したのは表紙で、紙に漂白剤が多少浸みても裏移りして裏側の文字が消えたりしないのがわかっていたから安心できる。
面白いように色が綺麗に消え、危惧したようにノートの表紙の色は消えたりしなくてほっとした。
中の方は無事だろうか、と確認するためにノートの中身を見ていたロナードは、気まずそうな顔を隠そうとしなかった。
「……僕、君のお父さんのコレクションがなにか、わかっちゃった」
「……何も言わないで」
「うん……」
こうなる予感はしていた。だって、露骨な名前の作品も結構あるのだもの。
「もしかしたら……、オークションのカタログの罠を仕掛けたら、思っていたのと違う人が釣れるかもしれないなぁ」
中をぱらぱらめくりながら、ロナードが頷いている。
「え、どういうこと?」
「いや、実際にやってみた方がいいと思う。僕の考え違いかもしれないから」
元々、ロナードは誰が釣れると思っていたのだろうか。
オークションに出品依頼の手配はロナードがしてくれるということで、私はそのままノートだけ持って、家に帰る。
幸い、父は帰宅した時にまだいない。隠し部屋は昨日、自分が入ったままのような気がする。
こっそりとノートを元あった場所に戻し、離れることにした。
――しかし、私は気づいていなかった。
小さな仕掛けが、その部屋の入口に仕掛けられていたということに。
蝶番に挟まれた軽くて潰れやすいその球は、扉が開閉すると潰れ、侵入者がいたということだけを教えてくれる簡易なもの。
なぜ忘れていたのだろうか。
父はそのように細心なところもあったからこそ、その地位まで上がって来た男だったというのに。
2
お気に入りに追加
1,981
あなたにおすすめの小説
伯爵令息は愛を叫びたい〜だが諸事情があって叫べません。なのでこっそり思い出作りを始めます〜
新川はじめ
恋愛
「この魔法陣、君が描いたものか?」
目の前に突き出された紙を、魔術店の雇われ店長リリアは凝視していた。
婚約者から蔑ろにされている伯爵令息デリクは、この魔法陣を使おうとした婚約者の口からリリアの名前を聞いてこの魔術店へと訪れたのだった。
デリクは婚約者がこの魔法陣を使って自分の命を狙ったのではないかと怪しんでいるが、その魔法陣、実は媚薬効果のあるもの。
事実を話したところ、どこをどう勘違いしたのかリリアがデリクと熱い夜を過ごそうとして婚約者に命令したのだと解釈してしまう。誤解を解こうとしたのだが、デリクはリリアに言い放った。
「こんなハレンチな物を売った君にも罰を与えるから覚悟しておくように!」
さあ困った。貧乏男爵令嬢のリリアはクビになったら仕送りが出来なくなってしまう。とにかく無実を証明するために彼の提案を受け入れることになったのだった。
一度甘さを知ってしまえば我慢するのは大変。所々で甘い恋心が漏れてしまう彼に振り回されるリリア。
これは長い間恋心を押し殺してきたデリクの、思い出作りから始まる恋物語です。と言ってもただ甘いだけじゃ済ましません。
(主人公はリリアです)
小説家になろう様にも投稿し始めました。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
婚約者を幼馴染にとられた公爵令嬢は、国王陛下に溺愛されました
佐倉ミズキ
恋愛
ダミア王国でも美しいと有名な公爵令嬢セシリアは、幼馴染でソフィアナに婚約者ガルを寝取られた。
お腹には子供までいるという。ソフィアナの計画的犯行だった。
悔しかったが、取り乱すところを見せたくなかったセシリアは笑顔で二人を送り出す。。
傷心の中、領土内にあった王宮病院に慰問へ行く。
そこで、足を怪我した男性と出会い意気投合した。
それから一月後。
王宮から成人を祝うパーティーが開かれるとのことでセシリアはしぶしぶ参加することになった。
やはりそこでも、ソフィアナに嫌味を言われてしまう。
つい、言い返しそうななったその時。
声をかけてきたのはあの王宮病院で出会った男性だった。
彼の正体はーー……。
※カクヨム、ベリーズカフェにも掲載中
馬鹿王子にはもう我慢できません! 婚約破棄される前にこちらから婚約破棄を突きつけます
白桃
恋愛
子爵令嬢のメアリーの元に届けられた婚約者の第三王子ポールからの手紙。
そこには毎回毎回勝手に遊び回って自分一人が楽しんでいる報告と、メアリーを馬鹿にするような言葉が書きつられていた。
最初こそ我慢していた聖女のように優しいと誰もが口にする令嬢メアリーだったが、その堪忍袋の緒が遂に切れ、彼女は叫ぶのだった。
『あの馬鹿王子にこちらから婚約破棄を突きつけてさしあげますわ!!!』
大好きだったあなたはもう、嫌悪と恐怖の対象でしかありません。
ふまさ
恋愛
「──お前のこと、本当はずっと嫌いだったよ」
「……ジャスパー?」
「いっつもいっつも。金魚の糞みたいにおれの後をついてきてさ。鬱陶しいったらなかった。お前が公爵令嬢じゃなかったら、おれが嫡男だったら、絶対に相手になんかしなかった」
マリーの目が絶望に見開かれる。ジャスパーとは小さな頃からの付き合いだったが、いつだってジャスパーは優しかった。なのに。
「楽な暮らしができるから、仕方なく優しくしてやってただけなのに。余計なことしやがって。おれの不貞行為をお前が親に言い付けでもしたら、どうなるか。ったく」
続けて吐かれた科白に、マリーは愕然とした。
「こうなった以上、殺すしかないじゃないか。面倒かけさせやがって」
婚約破棄されたので復讐するつもりでしたが、運命の人と出会ったのでどうでも良くなってしまいました。これからは愛する彼と自由に生きます!
柴野
恋愛
「グレース、お前との婚約破棄を宣言する!」
義妹に浮気をされ、婚約者だったハドムン殿下から婚約破棄をされてしまった。
こんなにも長い間王太子を支えて来たというのに。グレースの努力は、結局何の意味もなかったのだ。
「――ワタクシ、必ずあなたに復讐します」
そう心に誓い、平民に身を落として冒険者とやらになっただが……。
そこで、素敵な人と出会ってしまった。
この人といられるなら復讐とかどーでもいいです。とりあえずラブラブ冒険者ライフを満喫してしまいましょう!
※小説家になろうとハーメルンにも投稿しております。
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
お姉様は嘘つきです! ~信じてくれない毒親に期待するのをやめて、私は新しい場所で生きていく! と思ったら、黒の王太子様がお呼びです?
朱音ゆうひ
恋愛
男爵家の令嬢アリシアは、姉ルーミアに「悪魔憑き」のレッテルをはられて家を追い出されようとしていた。
何を言っても信じてくれない毒親には、もう期待しない。私は家族のいない新しい場所で生きていく!
と思ったら、黒の王太子様からの招待状が届いたのだけど?
別サイトにも投稿してます(https://ncode.syosetu.com/n0606ip/)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる