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第三章 新たなステージ

第1話 初めての外出(メリュジーヌ視点)

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 私はずっと、公爵邸の屋敷の中しか知らなかった。
 お母さまがまだ存命だった頃は、同じくまだ生きてらしたおじい様にお会いしに、馬車に乗って出かけたこともあったような気もする。
 しかし、物心がついてお父様が再婚なさって、そしてお義母様たちが屋敷にいらしてからは、外に一歩も出ることはなかった。文字通り、公爵邸の敷地内はおろか、公爵家の屋敷の玄関をまたぐことはなくなった。

 今日、当たり前のようにリリアンヌの後をついて家を出たけれど、内心、心臓が口から飛び出そうなくらいに緊張していた。

 馬車までリリアンヌが見送ってくれてはいたが、馬車が走り出したら心細くてたまらなくて。
 それまでずっと、リリアンヌとは一緒にいたから。
 彼女と離れることになったのは、彼女と引き合わされて以来なかったことだ。

 しかし、不安以上に好奇心が大きくて。馬車が軽やかに走っていく間に、どんどんと元気を取り戻していった。
 わざわざ公爵邸まで迎えに来てくださったのは、話にだったら何度も聞いたことのある、子爵家のセイラ様だった。
 馬車の中で、涼やかな声できりっとした顔立ちの彼女は、にこやかに私に話しかけて和ませてくれた。

「初めまして、メリュジーヌ公爵令嬢。私はリオン子爵家のセイラと申します。令嬢の妹君、シシリー様の家庭教師をしてまして、その縁でリリアンヌと友人になりました」

 リリアンヌとセイラ先生が懇意にしているというのは、リリアンヌからも聞いている。
 セイラ先生が衣料品店を開いていて、そちらで私の作ったものを販売してくれているということも知っているし。
 しかし貴族である彼女がリリアンヌと友人であると言い切るくらいに仲良くしているだなんて知らなかった。どういうつながりがあってここまで親しくなったのだろうか。

「リリアンヌからメリュジーヌ様のご家庭の事情も聞いております。もちろんそれを知るのは私と、ここにいるリベラルタスの二名だけで、外には神に誓って漏らしておりません。我々はできれば正統なる公爵家の後継者であるメリュジーヌ様のお力になればと願っております」
「まぁ」

 私が公爵家でお義母様に冷たく当たられていることを、リリアンヌはこの方に話しているようだ。外聞的にいいものではないだろうに、と少し恥ずかしくなる。
 リリアンヌは何を思って話してしまったのだろうか。怒りっぽい彼女のことだから、友人であるセイラ様に愚痴混じりにでも話してしまったのだろうか。
 リリアンヌの思惑がわからない以上、考えこんでいてもどうしようもない、と思考を切り替えた。

「ただでさえ、いつもお心づくしをいただいておりますのに。ありがとうございます」

 この力になってくれるというのが社交辞令だろうとはいえ、セイラ様からいつもリリアンヌ経由で、布を融通してもらったり、新しい服をいただいたりと恩があるのに。

「私の方も、セイラ様の力になれるように、これから頑張らせていただきますので」

 そう。リベラルタスは言っていた。いわゆるこれは、縫物合宿なのだろう。
 セイラ様は私の縫物の腕を見込んで、オーダーを受けているドレスたちを縫わせるために私を呼び寄せたのだろうから。
 そして少なからず、私はそれを楽しみにしていた。
 どんな綺麗なものを見ることができるのかしら、と思えばわくわくする。
 しかし、セイラ様はそんな私に対して、なんとも言えないような微妙な笑みを浮かべるだけだ。

「我が家の別邸ではどうぞ、ごゆるりとおくつろぎくださいね」
「……?」

 彼女の言うことがよくわからず、きょとんとしながらもうなずくだけであった。




 小一時間馬車で走り到着した子爵家の別邸は、小ぶりではあっても綺麗に磨き立てられていて贅沢な作りであった。セイラ様の実家は裕福であるという話ではあったが、このようなものを見ていると実際にそうなのだと思わされる。

「いらっしゃいませ」

 数名の侍女と世話係が出てきて挨拶をされるが、その後ろから優しそうではあるけれど貫禄のある年配の女性が出てきて、セイラ先生の乳母だということで紹介を受けた。
 私の乳母はリリアンヌの母親で、亡くしてから随分と経つ。もし生きていたら、このような感じだったのか、と彼女を通して考えてしまった。

「お仕度は整っておりますが、どうなさいます? 中で休憩されますか?」

 丁重な扱いをされると困惑してしまう。普段、このように誰かに何かをしてもらうことに慣れていなさすぎて、どうしたらいいのかわからなくなる。

「せっかくだから、外を少し散歩してきたいのですが」

 セイラ様の方を見れば、うなずいてくれる。

「いいですよ。ただし侍女と一緒に、別邸からあまり離れない場所でお願いしますね」

 そう約束をして、マチルダと名乗った侍女と一緒に出ることになった。



「レーンの洞窟って近いのかしら?」

 お話で読んだことを思い出して、マチルダに聞いてみれば、「そこまで近くはありませんが、歩いていけない距離ではない」とうなずかれた。

「行ってみたいけれど、いいかしら?」
「近くに行くのは構いませんけれど、中には入れませんよ」
「それはわかっているけれど、見てみたいの」

 そういうと、彼女は仕方ないな、というように頷いた。それにまるで自分の乳母子の態度を思い出してしまう。

 半刻くらいも歩いただろうか、ぽっかりと大きくあいた洞窟が見えてきた。
 おざなりに柵に囲まれてはいるが、誰が警備をしているわけでもないのが随分と不用心である。
 あの噂の光る石は見えるのかしら、と私が恐る恐る遠いところから覗き込もうとしたら。

「お嬢様、こちらをおかけください」

 冷えるから、とマチルダが私にもってきていた毛糸のストールをかけてくれた。それならば、巻いていたショールは彼女の方に渡した方がよいだろう。

 その時だった。

「あ!」

 冬の木枯らしのような突風が吹き、ちょうど受け渡そうとしていたショールが、マチルダの手を離れてふわりと飛んでいく。
 そしてぽかんと見ている間に、近くの池のようなたまった水の中に落ちて行ってしまった。
 薄い布地のショールは、水に落ちてみるみるうちに色を変じていく。

「申し訳ありません!!」

 マチルダが青くなって私に深く頭を下げるが、それどころではない。
 早くしないと数少ないショールが水に沈んでしまうし、危ないので中に入って取るわけにもいかない。
 幸い長い枯れ枝が周囲には散乱していたので、それを手にして腕を伸ばしてショールをそっと取り上げる。水を吸って重くなった布とはいえ、水面から取り上げることはできた。
 しかし、ぷるぷると震えた腕は体力がそこで尽きて、泥の中に拾ったショールを落とすことになってしまったが。

「どうすればいいかしら……」

 布の奥まで入り込んだ泥は落ちにくい。泥を掻き出した後はいっそ染めた方がいいかしら。汚れは刺繍でごまかして……などと気楽に考えていたが、マチルダが罪悪感で死にそうな顔をしているのに気づいた。

「大丈夫よ。だからそんな顔をしないで?」

 そう侍女を慰めるしかなくて、洞窟見学どころではなくなって、そのまま帰ることになった。
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